自身のルーツに向き合い、再構築した世界。
セイント・ヴィンセント|ミュージシャン
前作アルバム『Masseduction』がグラミー賞の2部門を獲得し、その名を世界中に知らしめたセイント・ヴィンセント。来日公演を果たした際には、音楽性だけでなく、エレガントで凛とした佇まいにも多くの人が魅了された。
「前作のツアーでは、ラテックスのスーツにハイヒールを履いていたの。あえて心地よくないファッションを纏うことで、きちんと構築された世界観や、これまで伝えられていなかったパワーをうまくコントロールして響かせることができたと思う。それを経て、今回のアルバムは幼い頃から慣れ親しんだ音楽から新しいものを構築することを目標に制作した。私は、数年ごとに自分の表現や世界観を変えていきたいと思っている。だって、同じ場所に居続けることはつまらないじゃない」
完成した4年ぶりとなる新アルバム『Daddy’s Home』は、1970年代のスティーリー・ダンやスティーヴィー・ワンダーに代表されるヴィンテージ感のあるソウルなど、彼女にとって聴き心地のいいサウンドを取り入れて制作している。
「70年代ソウルは、私の父のレコードコレクションにあった音楽でもある。今回は、サポートメンバーとともに遠隔でアルバムを完成させたの。でも、出来上がったものを聴くと、不思議と全員が同じ場所で演奏している風景が浮かんでくる」
実は、彼女の父親はかつて刑務所で服役していた時期があったそうだ。このアルバムは、その事実を彼女がどのように受け止めて乗り越えたのかを丁寧に綴った内容でもある。
「このことを今回話そうと思ったのは、自分の知らないところで、情報がリークされたから。一時期、タブロイド紙に追いかけられたこともあった。でも私の家族の真実の物語なのだから、この出来事が自分にとって何だったのかを残したかった。つまり、自分の言葉で事実を伝えたいと思ったの。ユーモアや許しなどもちりばめてね。だからといって、リスナーやファンに同情してもらいたいとは思ってない。ただ、本当に起こったことを書き留めておきたいという純粋な気持ちだけなの」
本作にて、家族の真実や自身の音楽ルーツと向き合ったことで、より自身を冷静に見つめられるようになったようだ。
「今回の制作だけではないけど、これまでの経験と向き合うことによって音楽を深く理解できたというか、自分の表現することを信じられるようになったと思う」
1982年生まれ、ニューヨークとロサンゼルスを拠点に活動。2014年発表のアルバム『St. Vincent』がグラミー賞を受賞し、世界的注目を集める。音楽だけでなく、ステージ衣装も自らプロデュースし、独自の世界観を築く。
*「フィガロジャポン」2021年7月号より抜粋
photography: Zackery Michael text: Takahisa Matsunaga