これまでに2度アカデミー外国語映画賞(現在の国際長編映画賞に当たる)を受賞し、イランのもっとも優れた映画監督のひとりとして知られるアスガー・ファルハディ。彼の新作が、2021年のカンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた『英雄の証明』だ。
借金を返せず告訴されて刑務所に入られらた主人公のラヒムは、恋人が金貨の入った鞄を拾ったため一旦は借金が返済できると喜ぶが、考えを改め持ち主を探し出して返却する。そのニュースはメディアを通して瞬く間に広まり、正直者として賞賛される。時の人となりチャリティ協会によって和解金の募金集会まで開かれるが、債権者はラヒムを許そうとしない。そのうち「ラヒムの行為は自作自演、詐欺なのではないか」という噂がソーシャルメディアで広がり始め......。立場の異なる人間たちが絡み合う群像劇のなかで、メディアによって人生を左右される主人公の悲哀を描いたファルハディ監督に訊いた。
---fadeinpager---
“私にとって興味深いのは、真実と嘘の曖昧な境界”
――さまざまな要因が綿密に構築された素晴らしいストーリーだと思いますが、具体的にベースにした実話などがあったのでしょうか。
実話がきっかけになったのは確かですが、ひとつの話をベースにしているわけではありません。イランには、こういう話は少なくありません。何か善行をした人が有名になる、価値のあるものを見つけて本人に返すなどといったニュースをいつも耳にすることからヒントを得ました。
イランでは、借金を返せなくて借主から訴えられたら刑務所に入れられます。出所するには返金するか、あるいは示談などで借主が告訴を取り下げるか。ただし囚人は他の犯罪者と違って、拘留中も比較的簡単に休暇をもらって数日出所することができます。またイランではチャリティが盛んなので、お金を募って借金返済を援助してもらうこともある。こうした要素を組み合わせて脚本が完成しました。
---fadeinpager---
――主人公ラヒムがお金を借りた、別れた妻の兄は頑ななまでにラヒムの申し出を拒否します。ラヒムを憎んでいるようにも見えますが、彼を現代社会の不条理性のメタファーとして考えられたのでしょうか。
いえ、私は自分の映画でメタファーは使いません。ただ個人個人で立場が異なり、それぞれの言い分や理由があるということを表現したかったのです。本作のもっとも悲劇的な点は、両者とも自分は理に叶っていて認められる理由があると思っているなかで、決して他人から合意を得られないことです。
――合意を得ようとして、時にちょっとした嘘をついてしまうこともまた、問題をさらに悪化させてしまいますね。「罪のない嘘」に対する社会の不寛容とでも言えるでしょうか。
社会のシステムはつねに黒か白、善か悪のどちらかに分けようとします。でも社会に生きる私たちにとっては、ある人にとって善なものが他の人にはそうでなかったりする。私にとって興味深いのは、そんな真実と嘘の曖昧な境界です。それぞれの人が自分にとっての善や真実というものを追求するわけで、そのぶつかり合いが物語の原動力になる。
---fadeinpager---
“誰も完璧な人などいません、それなのに……”
――本作におけるもうひとつの大きなトピックは「ソーシャルネットワークの脅威」です。まず、イランでもソーシャルネットワークサービス(以下SNS)の影響がこれほど広がっているということに驚かされました。
他の国同様、いや、もしかしたらイランではもっと重要かもしれません。特に若い世代にとっては、抑圧的な世の中においてSNSは外に向かって広がる窓です。私はそうした社会自体を批判するわけではありませんが、時にSNSは個人の生活を脅かす。たとえばある人物が善行により有名になったら、彼または彼女に対する興味や尊敬を引き起こす。それはその人物の生活のすべてに影響を与える。有名になったら最後、非の打ち所のない人物でいなければならない。そうでなければ失墜させられる。期待が裏切られたあとの人々の失望は大きいし、それは時に暴力的な反応を巻き起こしますから。ゆえに人々のヒーローに対する憧憬は、その人物を画一的な枠のなかに押し込めることであり、それこそ私が表現したかったことなのです。というのも、人間は誰も完璧な人などいませんから、そもそもそんなことは期待すべきではない。それに間違いを犯すことなくして前進することなど、ほとんど不可能でしょう。
もうひとつSNSの問題は、ニュースを驚くほど早く伝達することによって、それを単純化せざるを得ないということ。短文で伝達されるニュースは、事件の複雑さを説明することを許さない。だから多くの誤解を招く。いっぽう、映画はその対極にあります。映画には物事を発展させる時間があり、複雑さや繊細なニュアンスを持たせることができる。それが映画の面白さであり強みです。
---fadeinpager---
“明快な答えなどないのが、映画であり、人生です”
――監督のどの作品にも共通していると思いますが、観客を安心させるような結末がないゆえに、観終わったあとに鉛の塊のような重みを心に抱かせられ、考えさせられます。それはあなた自身が映画を作るときにご自身に課せられている条件なのでしょうか。
私の映画はすべて同じ願いから始まっています。観客が退屈しないこと、観に来たことを後悔しないような作品にしたいということです。答えがないということに関しては、私たちの人生がそういうものだから。リアルなアプローチで映画を作ろうとすればするほど、登場人物は複雑になり、いろいろな側面を持って相反する感情に振り回され、人間関係もこじれていく。そこに明快な結末はない。でも私自身は、そんな映画こそ面白いと思うのです。
---fadeinpager---
ラヒル役のアミル・ジャディディ、特別インタビュー
●監督・脚本・製作/アスガー・ファルハディ
●出演/アミル・ジャディディ、モーセン・タナバンデ、サハル・ゴルデューストほか
●2021年、イラン、フランス映画
●127分
●配給/シンカ
●4/1(金)よりBunkamura ル・シネマ、シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテほか全国順次公開
© 2021 Memento Production - Asghar Farhadi Production - ARTE Fr ance Cinéma
https://synca.jp/ahero/
text: Kuriko Sato