人には日々無数の出会いが存在する。だが、それを一生保ち続ける出会いとするのには、当人たちの「会いたい」という強い感情がなければ成立しない。それも片一方の感情ではなく、双方になければ……。
井上荒野が自身の父、井上光晴と母、そして同じく作家の瀬戸内寂聴との長年にわたる特別な結びつきをモデルに書いた小説『あちらにいる鬼』を、廣木隆一監督が映画化した。瀬戸内をモデルとする主人公、みはるを演じるのは寺島しのぶ。井上光晴をモデルとする白木篤郎を豊川悦司、そして妻、笙子は広末涼子。3人はなぜ、同じ寺の敷地内で永久の眠りまでそばにいることを選んだのか。運命の出会いについて寺島しのぶに聞いた。
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――井上荒野さんの小説に描かれている関係性は凡人から見るとなかなか理解しがたい関係性です。映画の中で豊川悦司さんが演じた白木篤郎は多くの女性と縁を結んでいきますが、最終的に決して手を離さなかったのが寺島さん演じるみはると、妻の笙子でした。なぜ、みはるは篤郎と運命の出会いを保ち続けたと思いますか?
性別は違うけど、やっぱりお互いが似過ぎていたんじゃないかなあ。私、撮影しながら、みはるは“女版光晴”じゃないかなって思っていたぐらいだから。モデルである瀬戸内寂聴さんと井上光晴さんは誕生日が一緒なんですよ。で、私とパートナーのローラン・グナシアも同じ誕生日なんです。ということは星回りの周期も一緒で、盛り上がっている時はいいけど、タイミングが同じすぎて困ることが何度もある。信じがたいんだけど、相手に電話したらずっと電話中で……。実はお互い、同じタイミングで電話を掛け合っていたから繋がらなかったとか。私生活で、どうしても“一致してしまう景色”をよく知っていたから、『あちらにいる鬼』に書かれた話はものすごくわかる。で、やっぱりオスとメスの部分の塩梅がすごく良かったんでしょうね。篤郎を演じた豊川さんの部分なのか、みはるの部分なのか、私の部分なのか、一緒に芝居していて、この時は私の方がオスの部分が強かったりとか、そういうやりとりが動物的にできるんです。
――寺島さんにとって『あちらにいる鬼』の廣木隆一監督との出会いも運命的だといえますね。ローランさんとの出会いは、寺島さんが廣木さんと組んだ初めての映画『ヴァイブレータ』のパーティだと聞いていますが。
そうです。その意味で、私にとっての運命的な出会いは廣木隆一監督であり、『ヴァイブレータ』だった。豊川さんともこれだけ共演が続き、しかも濃厚な役でっていうのも何かの縁だと思う。自分が働いている時代に、こういう人たちと出会えて良かったなって思います。出会いって人を苦しめたりもする。出会わなければ何も起こらなかったことが、出会ったことによって、人を好きになったことで、永遠の仲となり、そのことで誰かを苦しめたりするわけじゃないですか。それって生きていないとできないこと。篤郎とみはると笙子はそれぞれ、この人が同じ時代に生きていてよかったなって思うようにしたんじゃないでしょうか。
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――そもそも寺島さんは廣木監督の『ヴァイヴレータ』の時は役柄と廣木監督の演出とにすごく格闘されて、出来上がった作品は観ないと一時おっしゃっていたと聞きました。それが『やわらかい生活』とつながり、毎年、次は何を撮ろう、演じようと運命的な関係性に変わったのは?
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廣木さんはそれまでの私の舞台芝居といいますか、大きな芝居を削ぎ落としたっていうことが大きかった。「あなたそのものが魅力的なんだから、そのままでいてください」っていうことを教えてくれた。あと、『ヴァイブレータ』のころの廣木さんは多分、私のこと好きだったと思う。あの時期、私というものにぶわーって没頭して、ずっと私のことを観察して、本番じゃないところも全部カメラを回していて。私は息が詰まりましたよ(笑)。「なんだ、こいつ」って思ったし「もう二度とこの人とは仕事なんてしない」とも思いました。廣木さん、不愛想だし、オッケー出さないし。それはいまだに笑い話でふたりで喋ってますけど、『ヴァイブレータ』は廣木さんからのラブレターだと思っています。だから、いまだに見直していて、ありがとうという気持ちしかないですね。
その『ヴァイヴレータ』のパーティでローランと出会って。でも、その時ローランは私が何者かを全然わかっていなかった。あのとき、ローランと出会っていなかったら、もしかしたら廣木さんと何かあったかもしれないし、それこそ豊川さんだって、あれだけ愛しあっている役を演じ続けてきて、好きにならないわけがないじゃないですか。だけど、プライベートと切り離したために、『やわらかい生活』も演じられたし、『愛の流刑地』もあったし、ドラマの「太宰治物語」でも夫婦役を演じて、いまだに年を重ねても『あちらにいる鬼』もできました。人との出会いなんて何かのタイミングとか、違いで大きく変わる。それがおもしろいんじゃないかしら。
――『あちらにいる鬼』は作家という人間の業を何もかもさらけ出して、包み隠さず書いてしまう性の持ち主であることを描いているとも思うのですが、それはある意味、役者にも通じるところなのかなと。寺島さんは篤郎とみはるの作家としての関係性はどういうものだったと思いますか?
みはるにとっての篤郎は、痛いところを突いてくる人だったし、だからこそ文学者として繋がっている。そこが特別だったのかなと思います。ある時期から、寂聴さんは井上光晴さんに添削してもらっていたそうなんですけど、そのやり取りを通して“私たちの子どもを作っている”ような感じだったんじゃないかと思います。単に男女の関係というよりも、創作を通してのつながりがあるから、やっぱりいろいろおもしろかったんだろうなあと思います。同時に、光晴さんに添削してもらった時期の小説はおもしろいんですよね。『蘭を焼く』とか、ものすごい臭いがこちらに走ってくるような。それこそ共同制作で、いろんな意味でいやらしいですよね。同世代の同業者の人たちには嫉妬で色々言われただろうし、「あいつら、何なの」「自分の力だけで書いてみろ」みたいなことを言った人もいるだろうけど、作品を残したもの勝ちですもんね。その時間はふたりにとって本当にかけがえのない時間だったんじゃないかなと思う。
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――篤郎役の豊川さんは「寺島さん自身が献身的なので、誰もが彼女に対しても献身的になれる女優だ」と、この撮影が終わった後におっしゃっていましたが。
それは間違っていると思う。そんな全員が全員にいい顔できない。やっぱり合う合わないってあるじゃないですか。私がみはるでいられたのは、相手が豊川さんだからです。『あちらにいる鬼』でも、カットされて見えてない部分がいっぱいあるんですけど、豊川さんは本当にものすっごく細かい芝居をしています。みはるは篤郎と7年付き合って出家しますが、それ以降、家族ぐるみの付き合いをするようになる。その最初の会合というか、彼の自宅に招待されていく場面があります。最後の別れ際、家族が見守る中、彼はみはると一切目を合わせない。で、みはるはタクシーに乗るのですが、そのとき、袈裟がタクシーのドアからはみ出るんです。そこは映画では見えていないんですけど、豊川さん演じる篤郎さんは袈裟がドアに挟まらないように押し込むんです。私はその気遣いの気持ちを受けてタクシーに乗ってのあの顔なんです。役者によっては映っていないこと、見えないところはやらなくていいじゃんっていう人もいるけど、豊川さんは「でも、僕ら、わかってるよね」というところまでを演じてくれる人です。
――寺島さんはもともと、広末涼子さんが演じた笙子役に愛着があったと聞きました。
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笙子さんの何を考えているのか底が知れないものを表現するとおもしろいだろうなと思っていました。フランス映画で言ったら、シャーロット・ランプリングみたいな芝居をしたいなと思ったんです。無表情で、能面のような。何考えてるの、この人? という人ですよね。私の女優人生の中でも出会ったことのなかった役だから、やってみたいなっていう気持ちはありました。だけど、笙子さんのモデルとなった方が綺麗な方で、広末さんにぴったりだったと思う。広末さんにとっても、廣木さんとの出会いは良かったと思うし、余分なものを削いだのかもしれない。映画を見て、素敵な佇まいだなと思いました。
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――映画の中でみはるが篤郎と出会ったとき、みはるには前の結婚生活を捨てるきっかけとなった年下の愛人と暮らしていた時期でした。彼の存在は瀬戸内寂聴さんの『夏の終わり』『花芯』などに、形を変えて描かれていますが、本作では高良健吾さんが演じています。どのような印象を受けましたか?
結構好きなんです、高良君とのシーン、シュールで。知り合って早々、篤郎がみはるの家に行っていいですかと唐突にやってくるじゃないですか。その中で、“うちの人”である高良君が戻ってきて、じゃあ、飲みましょうよと不思議な空気の中で3人が飲むんですけど、そのシーンが高良君にとって撮影の初日だったんです。なのに彼、なんのひるみもなく、ズバッと入ってきましたね。「ここは俺の家だ」という芝居をしてくれたおかげで、篤郎さんが部外者に見えた。まだ慣れていない現場のはずなのにすっと入ってきて、そこでとどまっている演技の方法にびっくりしましたね。考えて来たのか、感覚的にできる人なのか、わからないですけど。梅雨の季節の設定で、喋っているとき雨が降ってくるんだけど、雨音を3人がそれぞれで聴く。小津安二郎の世界のような、余白のある場面で好きでした。
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――あの青年とは「互いに食べつくした」という時期の間柄で、モデルとなった方の最期も知っているので、高良さんとのベッドシーンは胸がぎゅっとしました。
もう、終わりだったんでしょうね、きっと……。そうなるかもしれないというのを全部見せていないのに、高良君の演技でその先までもが全部見えたというのは、すごい役者さんだなと思いました。あの後、ボクシングの試合に高良君や妻夫木聡君たちと一緒に行ったんですけど、そのとき、高良君、『廣木さん、何か言っていませんでしたか』って心配してましたから、すごく褒めてたよって伝えたんです。
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――みはるが篤郎との恋愛関係を終えるために出家という選択をとり、男と女の関係性を絶ったことで違うフェーズで一生付き合ったことを演じ終わってどう感じられていますか?
原作者の井上荒野さんとも話したんですけど、寂聴さんは「全てを捨てるために髪を剃ったんじゃなくて、生きるために剃ったんだよね」と。出家の本当の原因はわからない。ご本人は「更年期だったのよ」ってポロッと荒野さんに仰ったそうだけど、ちょうど変わってみたいっていう時期だったのかもしれないですね。それが大げさにいったら出家だったのかも。私自身、役を通して髪を剃りましたけど、何が変わったって、何も変わんない。寂聴さんだって、髪を下ろした後も美味しいものを食べたり、恋もしていたでしょう。でも衝動的に、いろんなことを切る時だったんじゃないですか。人生にはそういう時期があると思います。
――廣木監督との今後にはどういう展望がありますか?
“女の本質”が全部出るような映画を、あと一本一緒にやれないかなと思っています。映画を作るのって大変ですから。いま、廣木さんぐらいでしょう、男性でちゃんと女性が撮れるの。あ、褒めすぎて殺しちゃうかもしれないので、このあたりで止めておきます(笑)。
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●監督/廣木隆一
●出演/寺島しのぶ、豊川悦司/広末涼子、高良健吾ほか
●2022年、日本映画(R-15)
●139分
●配給/ハピネットファントム・スタジオ
11月11日(金)から全国にて公開
https://happinet-phantom.com/achira-oni
©2022「あちらにいる鬼」製作委員会
UNITED ARROWS HARAJUKU tel:03-3479-8180
MESSIKA JAPAN tel:03-5946-8299
text: Yuka Kimbara photography: Mirei Sakaki styling: Ayako Nakai (crêpe) hair&makeup: Kazue Kawamura