彼女の身体の中まで入り込んで体験してほしい。
オードレイ・ディヴァン|映画監督
ポン・ジュノ監督が審査委員長を務める第78回ヴェネツィア国際映画祭で、満場一致で金獅子賞(最高賞)を受賞した『あのこと』。脚本・監督を手がけたフランスの新鋭オードレイ・ディヴァンは、監督デビュー2作目にして一躍、世界から脚光を浴びることになった。
「受賞は奇跡的なこと。人がどこまで主人公の体験を自分のことのように受け取り、彼女の身体の中まで入り込んで体験してくれるのだろうと自問自答しながら、この映画を撮りました。出来上がってみたら、性別や年齢、文化的なバックグラウンドにかかわらず、さまざまな人たちが彼女に起こったことを追体験してくれてうれしい」
『あのこと』は、2022年、ノーベル文学賞を受賞したフランスの作家アニー・エルノーが、自身の体験をもとに書いた短編「事件」を原作としている。まだ人工妊娠中絶が違法だった1960年代のフランスで、予期せぬ妊娠をした大学生のアンヌが、自分の未来を守るために、たったひとりで中絶を実行しようとする壮絶な体験を描く。ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』やガス・ヴァン・サントの『エレファント』に影響を受け、「自分たちのスタイルを探した」というが、カメラはアンヌの視点に寄り添い、それによって観客はアンヌの戸惑い、憤り、恐れ、不安といった複雑な感情を追体験する。
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「短編は2000年に刊行されたものですが、メディアではほどんど報道されず、私が読んだのは随分後になってからでした。私自身、中絶を経験していて、何か自分を癒やしてくれるようなものが必要だった。そんな時にこの小説を薦められて読み、驚きました。エルノーの描き方はもったいぶったところや誤魔化しがなく、真正面からストレートに体験を描いていた。これは映画にすべきだとすぐに思いました。映画なら、女性の身体と心に何が起こるのかを視覚的に表現でき、多くの人に体験してもらえるからです」
小説の映画化の場合、作家と距離を置くことも多いが、ディヴァンはエルノーと会い、むしろ積極的に意見を取り入れることを望んだ。
「今回は、彼女が想像した物語を映画化するわけではなく、彼女の人生の一部を映画化したからです。エルノーは私に原作との違いを論ってプレッシャーを与えたりしなかったし、むしろ"書かなかったこと"について話してくれました。特に、小説ではあえて深掘していなかった当事者たちの恐怖について知ったことは発見でした」
本作で脚光を浴びたディヴァンだが、「闘いは続く」と語る。
「そう簡単にはいかない。私たちは女性たちの物語を語る権利があることを主張し、作り続けていく必要をいまも強く感じます」
1980年、フランス生まれ。2008年、脚本家としてキャリアをスタートさせ、『ナチス第三の男』(17年)ほか、多くの脚本を手がける。19年に『Mais Vous Êtes Fous』(原題)で監督デビューし、2作目である本作で高い評価を得る。現在はレア・セドゥ主演で新作を準備中。
*「フィガロジャポン」2023年1月号より抜粋
text: Atsuko Tatsuta