第76回カンヌ国際映画祭で役所広司が日本人俳優としては19年ぶり2人目となる最優秀男優賞を受賞した『PERFECT DAYS』は、『パリ、テキサス』(1984年)などで知られるドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースが東京で撮影した最新作だ。
渋谷のトイレ清掃員の平山(役所広司)は、スカイツリーを臨む下町の質素なアパートでひとり暮らし。文庫本、オールディーズの曲を入れたカセットテープ、銭湯、居酒屋といった好きなものに囲まれたささやかで静かな暮らしが端正なカメラワークで映し出されるーー。
公開を前に来日したヴェンダース監督と主演を務めた役所広司が、作品の魅力を語った。
──『PERFECT DAYS』は渋谷区の公衆トイレを気鋭の建築家やクリエイターたちがデザインする「THE TOKYO TOILET」プロジェクトが起点となっていますが、このプロジェクトのどこに魅力を感じたのでしょうか。
ヴェンダース この作品の撮影は、自分の人生ですごく重要な時期だったんです。パンデミックの直後で、それまでやってきたことをそのまま続けられないと思っていました。「次の作品は、自分にとっての仕事とは何なのかを定義づけてくれるものでなければならない」と。だからこの話を(日本から)依頼された時は、ほとんど白紙からのスタートで、初めての作品を手がけるような気持ちでした。日本で役所さんとお仕事をするのは、私にとってパーフェクトな新しい始まりだと思いました。
役所 いままでやってきた映画にはない作品になる、というところに惹かれました。プロジェクトの発案者である柳井康治さんが「東京のトイレを舞台にした清掃員の話」というテーマだけ投げて、あとはヴェンダースが自由に撮る。こういうやり方は通常の日本映画にはない。本当に新しい経験ができました。
──役所さんは、エグゼクティブプロデューサーとしてもクレジットされていますね。
役所 エグゼクティブプロデューサーは、"何やっているかわからない"ポジションのナンバーワンですけどね(笑)
ヴェンダース いや、汚れ仕事を全部担っていましたよ(笑)
──平山という役を演じるにあたって、人物像をどのように作り上げたのでしょうか。
役所 脚本からは非常に説明が排除されていましたが、でもそこから雰囲気が伝わるという美しい台本でした。監督からはその都度ヒントを言ってもらって演じていましたね。トイレ掃除は1日3回行われるんです。ただただ、黙々と綺麗にする。それがトイレを使う我々の心にどう影響するのか、試されているような気がしますね。我々の日常生活は、平山のような人がいてこそ成立しているのだという気もします。
──姪のニコ(中野有紗)とのシーンから、平山という人物は裕福な家の出で、父親と確執があったことがほのめかされますが......。
役所 そうですね。監督から彼の過去については知らなくていいって言われたんですけど、プロデューサーたちがかなりしつこく聞いたこともあり、平山の過去についてのメモをもらいました。具体的な内容は言えませんが、本当に重要なメモでした。
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──木造アパート、浅草の飲み屋、銭湯、神保町の古本屋といった日本の懐かしい"昭和の風景"が切り取られていますよね。この設定にした理由は?
ヴェンダース 脚本を書いている時、平山の一日のルーティンがどんなものなのかを想像しました。(プロデューサーで共同脚本家の)高崎卓馬さんと話しながら設定を作っていったのですが、彼の生活にリアリティが出るように、舞台を自転車で行ける範囲の場所に設定しました。彼は仕事に行く時だけ車を使います。生活と仕事の領域をはっきりと分けているんです。 銭湯も何回か見に行きましたが、雰囲気がよくとても気に入りました。
役所 初めてあのアパートを訪れた時、本当に平山という男が住んでいる気がしました。監督は、(この映画の)メインビジュアルに天使の羽を落書きしていたのですが、僕は平山の背中に天使の羽根がついているような気がしているんですね。大都会の忘れられたような街に住み、首都高で東京を横断する。そんな彼の背中に羽根が見えるような気がしてならない。
───日本には"清貧"という言葉があります。この作品を観たら、この言葉を久々に思い出しました。平山は現代における清貧の生き方を体現しているのではないか......。そういう平山の生活は、おふたりにとって理想的な生活なのでしょうか。
ヴェンダース 理想化されすぎているかな、と思っています。でも、こういう人がどこかにいるって信じたいですよね。役所さんがこのキャラクターをリアルな平山さんにしてくれました。リハーサル撮影をしたら、それがリアル過ぎて、テイクを重ねる必要がまったくなかった。これは私にとって初めての経験でした。なので、あくまでフィクションのキャラクターですが、ドキュメンタリーを作っている感じで撮影していました。清貧という言葉は知りませんでしたが、日本語には、ドイツ語でたくさん説明しなきゃいけないことを簡潔に表現する言葉があってとてもいいですね。
役所 「足るを知る」ってことですよね。平山と同じような生活は僕にはできないとは思いますが、いまの自分の生活に満足できるというか、これで十分だというふうに思えるのは理想です。あれも欲しい、これも欲しい......結局、次は何が欲しいの? というような生活をほとんどの人が送っているわけですが、平山は財産を持たずとも、仕事をし、一杯のお酒を楽しみ、好きな本を読んで、豊かな気持ちで眠りにつく。僕なんかは、いつもあれもやりたかった、これもやりたかったと後悔しながら眠りに就くことが多いですけど(笑)。
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──ヴェンダース監督は、1985年に小津安二郎の名作『東京物語』を巡る『東京画』というドキュメンタリーを日本で撮影されました。いま、改めて日本を撮影し、どのような変化を感じていますか? 小津安二郎の面影は日本にまだありますか?
ヴェンダース いまでも小津監督は、自分にとっての師匠だと勝手に思っています。特に、戦後の作品は革新的だと思います。日本において女性の立ち位置、役割はどう変化していったのか......。興味深いこともたくさん教わりました。でも、私は小津映画の、何よりも優しさが好きなんです。その柔らかさや親切心を平山というキャラクターに反映したいと思いました。一方で、もし小津がいまの東京の変化を見たらどんな映画を撮っただろうと思いを馳せることもあります。それは、私の東京に対するヴィジョンをいつも豊かなものにしてくれます。
――木漏れ日の映像が印象的に使われています。特に、平山のモノクロの夢のシーンは溝口健二を彷彿とさせました。
ヴェンダース 溝口監督の名前を引き合いに出していただきありがとうございます。実際に意識していたので、とてもうれしいです。夢のシーンは、日々の生活のささやかな反映と言ったらいいのでしょうか。"その日の残り火"みたいなものです。木漏れ日や出会った人々の顔、それが平山にとってどのくらい意味があるのかが実感できます。
──平山が車の中で聞く音楽は、めちゃくちゃセンスがいいですよね。選曲はどのようにされたのでしょうか。
ヴェンダース ほとんどは自分が好きな曲を選び、脚本にそのまま書きました。自分の個人的な音楽テイストを日本語のキャラクターに押し付けているんじゃないかと心配だったのですが、(共同脚本家の)高崎さんに相談したら、日本でも同世代の人は同じような70年代の音楽を聞いていますから大丈夫ですと言われました。
役所 僕は2曲くらいしか知っている曲はなかったんですが、いい曲ばかりですよね。
――歌詞の意味も考えて選曲されたのですか?
ヴェンダース はい、音楽もストーリー的なプロセスの一部ですから。ニーナ・シモンズの「フィーリング・グッド」は、脚本の段階ではどこに入れようか決めていなかったのですが、結局終盤のシーンに入れました。最後までとっておいてよかった、といまでは思っています。
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──ところで平山は、首都高を使って毎日、仕事に通っていますね。やはりアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』へのオマージュなのでしょうか?
ヴェンダース 確かに頭の片隅にあったかもしれませんが、特にイメージしていたわけではないです。首都高が好きなのは"記念碑"のようだからです。車で走っていると、地上からは見えない風景が広がっています。建物の屋上とかも見えるんですけど、そこに住んでいる人たちがどう暮らしているのかと思いを馳せたりします。首都高を走る時には、イマジネーションがいつもオーバードライブ状態ですよ。日本で暮らすなら、首都高のすぐそばに住んでみたいですね(笑)。
●監督/ヴィム・ヴェンダース
●出演/役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、田中泯、三浦友和ほか
●2023年、日本映画
●124分
●配給/ビターズ・エンド
●2023年12月22日(金)より全国で公開
©︎2023 MASTER MIND Ltd.
https://perfectdays-movie.jp
text: Atsuko Tatsuta photography: Mirei Sakaki