あどけない笑顔の小さな子どもと、彼をやさしいまなざしで抱き上げる医師。
見ているとほっと心和むようなその光景を捉えたのは、映画『いのちの子ども』の監督でありカメラマン、そして自らナレーションも務める、シュロミー・エルダール。いまも紛争が絶えないパレスチナ・ガザ地区の最前線で、20年以上取材を続けているTVジャーナリストだ。
余命を宣告されたパレスチナ人の男の子ムハンマドと、彼を救おうと奔走するイスラエル人の小児科医ラズ・ソメフ。
その子どもはガザ地区に住む余命を宣告されたパレスチナ人で、医師はイスラエル人。国境を超え、民族も宗教も超えて、ひとつの小さな命を救おうとする人々の姿を描いたこのドキュメンタリー作品に、監督が付けた原題は『尊い命』(英語、ヘブライ語、アラビア語で併記)。この言葉に込められた思いの強さと深さはあまりに計り知れなくて、映画が進むにつれて、誰もが大きく心を揺さぶられることになる。
そのエルダール監督が、日本公開に合わせて来日。映画の登場人物たちと会話し、ときに愕然としたり、ぶつかり合いながらも、ガザ地区に住むパレスチナ人家族と、彼らを救おうとするイスラエル人医師を撮影し続けた監督が、素顔で語る言葉はとても穏やかで、やさしい響きに満ちていた。
シュロミー・エルダール(Shlomi Eldar)監督。イスラエルの公共放送であるチャンネル1でレポーターとしてのキャリアをスタートすると同時にガザ地区の取材を始め、20年以上にわたってパレスチナ人たちの実情をレポート。現在は商業テレビチャンネル、チャンネル10のレポーターとしてアラブ情勢を中心に取材を続けている。
――映画を観ていて、取材対象がテレビカメラも監督も親密な人であるかのように自然に話したり、振舞っているように感じられました。取材対象との距離感はどのように取りましたか。
「今回の撮影では、私が監督でありカメラマンでした。そして私はアラビア語が話せたこともあり、家族ととても近い関係で撮ることができたのだと思います」
――この映画を撮ることになった経緯は?
「そもそもの始まりは、友人であるラズ・ソメフ医師からのメールでした。ガザから免疫不全症の難病を抱えた子どもが運ばれてくるから、テレビで放送し、手術のための資金提供をしてくれる人を募ってほしい、と。私は彼に共感して、TV局のプロデューサーたちに持ちかけましたが、マイナーなテーマだからテレビには向かないと断られ、自分で撮り始めることにしたのです。
完成した映画を観て、私の妻が、ラーイダ(子どもの母親)たち家族のことがとても好きになったと言ってくれました。実は私自身にとっても、この映画を撮り始めたとき、ラーイダはごく普通のパレスチナ人女性だった。でも撮影が終わる頃には、彼女はとても美しい女性に変わっていたのです。それは私自身が彼女のことをすごく好きになって、それが映画に表れていたのだと思います。取材対象を理解しようとすること、愛するように努めること――これが、初めてドキュメンタリー映画を撮り、私自身がたどり着いた結論です」
――確かに、監督自身がナレーションも担当したことで、観客は監督と同じ視線で家族と向かい合い、監督と同様に喜んだり、ショックを受けたりします。このような方法を意図的にとられたのでしょうか。
「いいえ、当初はこのようなスタイルで撮ろうとは考えていませんでした。自分で撮影を始めて5~6カ月経った頃に、テルアビブでのとあるパーティで、この映画のプロデューサーとなる人に出会いました。彼はLAに住む有名なプロデューサーで、私にガザの状況について尋ねてきたのです。私がこの映画の話をしたら、映像を見せてほしいと言われ、後日、20~25分ほど映像を見た後で、これはすばらしいストーリーだから、映画にする価値があると思う、ただし自分がプロデュースするにはひとつ条件がある、と言いました。
『これはパレスチナ人の赤ちゃんについての話ではなく、君と、ラーイダと、ソメフ医師の物語だ。その3人の関係性をめぐる旅について語るために、君自身がストーリーを語らなければならない。君は単に監督やカメラマンであるだけでなく、物語の一部だからだ。君が自分のコネクションを使い、子どもの手術のための資金提供者を見つけ、子どもと骨髄が適合する家族をガザから呼び寄せ、検問所を開かせることで、彼らの物語を変えた。だからカメラの後ろに隠れていてはいけない』――そう言われたのです。
私はソメフ医師にこのことを話しました。すると彼は、もし君が資金提供者を見つけたり、骨髄適合者を連れてこなければ、ムハンマドはおそらくもう亡くなっていただろうと言いました。そのときに初めて、私はプロデューサーの出した条件を受け入れることができました。自分自身も物語の一部であろうと、心を決めたのです」
ムハンマドの母ラーイダは、息子を病から救いたいと願いながら、親身に助けてくれるイスラエル人と、同胞のパレスチナ人の間に挟まれて葛藤する。
――取材をしていて、いちばん心を打たれた言葉は?
「ラーイダが言った『命は尊い』という言葉。私にとって、命は尊いものです。ジャーナリストとして、多くの血が流される紛争を取材しているときも、常にそう思っています。私はこの映画に『Precious Life(原題)』というタイトルを付けましたが、この言葉は私にとってすべてです。モチベーションであり、目的でもあります。だからラーイダが『命は尊い』と言ったとき、私は撮影しながら泣き始めました。実はイスラエルでは、ソメフ医師が語る免疫系の話――人間の身体は異物が入るとそれを攻撃する、というくだりを紛争のシンボルとして印象深く思った人が多いようですが、私にとっては、『命は尊い』という言葉がいちばん印象に残っています」
――彼女があの言葉を語るシーンは、思い出しただけでも涙が出てきます。
「私自身も、この映画を観てたくさんの人が泣いているのを見ました。印象的だったのは、2010年9月にコロラドでの国際映画祭でこの映画がプレミア上映されたとき、『ウォールストリート・ジャーナル』に映画評を書いている著名な評論家が、上映後に最後まで残って、私を見るなり泣き出したことです。手を私の肩に置いて泣き始めました。驚きましたが、すばらしい経験でした。
そしてとても重要なのは、イスラエル人たちが映画を観て、ガザ地区のパレスチナ人女性に心を動かされたことだと思います。映画が平和のために貢献できると思うか、とよく尋ねられますが、私はナイーブではないから、映画が世界を変えられるとは思いません。でも、映画を通して国境の向こう側、敵と言われている人々の素顔を観ることができたことは、和解のためのほんの小さな1歩だったとしても、とても重要な1歩だと思っています」
イスラエルの病院に運び込まれてきた当初は、無菌室でしか生きることのできなかったムハンマド。
――madameFIGARO.jpのユーザーに向けてメッセージをお願いします。
「この映画は、大きな震災に襲われた後の日本で上映されます。被災された方たちのことを思い、とても心を痛めています。『いのちの子ども』が、みなさんにとって、生きることへの希望をもたらしてくれるように願っています」
監督は、その後元気に成長して少年の顔つきになってきたムハンマドと、映画の後半に誕生した彼の妹の写真を持ってきていて、見せてくれた。家族の物語は現実で、この先もずっと続いていく。
いまもガザ地区で続く紛争の当事者ではなくても、遠く離れた国の家族を監督のまなざしを借りて見守るうちに、いのちについての価値観が大きく揺さぶられるようなドキュメンタリー。いまぜひ、出合っておきたい映画だ。
●監督/撮影/ナレーション:シュロミー・エルダール
●2010年、アメリカ=イスラエル合作映画
●配給/スターサンズ
●90分
ヒューマントラストシネマ有楽町(Tel. 03-6259-8608)ほかにて公開中。
http://www.inochinokodomo.com/