文:犬山紙子

さっきファンクラブに入った。最近とあるKPOPグループにハマり、日本で行われるライブを見たくなったのだ。まだKPOPの専門用語もよくわかってない。カムバとはなんなのかもぼんやりしている。(新曲が出ること……?)ファンミーティングについてもよくわかっていなかった。「握手会のようなものなのかな?」と思い、「私は推しと握手してはいけない」という謎の自意識によりスルーしていたけれど、ライブとトークで構成されるというのを知り「それはものすごく見たい!いてもたってもいられなくなったのだ。ちなみにまだファンクラブに入っただけでチケットが当たったわけでもない。いつも推しができるたび溢れ出る感情に溺れそうになり、思いの丈をつぶやいてしまっていたけれど、今回は公言せずプライベートで楽しもうと思っている。場を荒らしたくない、余計なことをしたくない。

それにしても3次元の推しが久々に増えた。ハロプロにハマって以降、その後に増えた推しはみな2次元で、この久々の3次元の推しに戸惑っている……というか緊張しているし、なんなら少し自分が怖い。3次元の推しに対しては「推しの人格を尊重する」に尽きるのだが(2次元でももちろんそうなのだが)、過去私はアイドルを消費するようなこと、褒める文脈でも外見の作りに言及したことがあり、激しく後悔していた。今は色々考えすぎて推しに対して「あなたを誇りに思います」以外もう何も言えない。「パフォーマンスが素敵」くらいは言ってもいいと思うけれど、私のことだ。ちょっとでも油断すると自分の「こうであってほしい」を投影した、私色にねじまげた偶像について語ってしまいそうで怖い。「尊い」は本当によく考えられた言葉の使い方だと思う。誰も消費しないし、誰も傷つかない。冷静に推しを語れる人に激しい憧れがある。

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photo:iStock

今は「推し活」という言葉があるくらい推しがいることが当たり前のようになっているけれど、本当は推しというのは作ろうと思って作れるものでもないし、誰かにハマることは奇跡みたいなことだと思う。私の場合、推しができたら心にその推し専用の部屋ができる。それは、新しく誰かを推したから前の部屋が消えることはない。推しが増えるたびにその部屋は増え、それは聖域が増える感覚だ。推しができればできるほど私の心は広がってゆく。

でも、その部屋にいる推しも、推しそのものではなく、私がこうであってほしい推しなんだろう。推しを考えることは、私を考えることにどうしても繋がる。結局私は私のことを知りたいからこうやって推しを作り続けるんだろうか。そんなことをごちゃごちゃ考えながら推しの動画を見ると「ただその魅力に心動かされているだけじゃん」とも思う。
……なんとも冷静ではない自分語りをしてしまったけど、この気持ち悪い文章はハマりたての今でしか書けないやつのはず。後になって書こうとしても冷静になったらもう書けない。いつかは冷静になるのはもう十分知っている。いかに冷静でない時間を楽しみ尽くすのか、なのだ。

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イラストレーター、エッセイスト。1981年、大阪府生まれ。2011年『負け美女 ルックスが仇になる』(マガジンハウス刊)にてデビュー。
テレビのコメンテーターとしても活躍する。2017年に1月に長女を出産。

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