鎌倉の町にも、4年ぶりにお祭りに神輿が戻ってきた。

以前、鎌倉でわたしが暮らしていた大町。氏神様である八雲神社(地元の人は敬意を込めて「八雲さん」と呼ぶ。以前、このコラムで書いた、長女の七五三をしたのもここ。)では、例年7月に祭りを行なってきた。昨年も祭りは行われたけれど、コロナ禍のため、小規模で静かなお祭りだった。

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八雲神社の参道にて。今年は、4歳の長女は子ども神輿を担いで、わたしと1歳の次女は神輿を見学しつつ、オイチイチで飲んだり食べたり、久しぶりに会う友と語らったり

3日間行われるお祭りのハイライト。それは、バスは通るけれどさほど幅広くない交差点、大町四ツ角の神輿の行き来だ。4基の神輿が横に並んで合体し、掛け声を最大に挙げながら、通りを行ったり来たりする。その迫力はなかなかのもので、四ツ角の和菓子屋の軒先に停められた山車から、お囃子がリズミカルに高く鳴り、神輿の勢いをより盛り上げる。ふだんは静かな鎌倉大町が、祭りとはいえこれほどまで盛り上がるとは、鎌倉に暮らしはじめた最初の年、地元の祭りのその活気に、それはおどろかされた。

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おなじく八雲神社にて

コロナ禍を経ての開催だったので、神輿が合体することはなかったけれど、やはり四ツ角の十字路を、4基の神輿が練り歩く様子は、これまでにもう何度も見ているけれど、今年は、以前のように祭りを行いたい!という地元の人たちの熱い想いも重なっているようで、胸を熱くするものだった。

7年前、子どもが生まれる前には、神輿を担がせてもらったこともある。

大町でよく立ち寄っていたオイチイチという居酒屋の店主の掛け声で、よく店に居合わせる同世代の何人かで参加した。なかには、神輿担ぎを趣味にしている友もいて、彼の指導のもと、さらしを巻いて半被を着て、支度を整えた。大人になってから神輿を担ぐのは初めてのこと。想像以上に重くて、でもつい気合いを入れて担いだがために、翌日は負傷したかと思うほどに肩が痛くなった。(ちなみに神輿担ぎを趣味にしている友人の肩には、常に硬い「こぶ」のようなものが、万年あるのだそう。)

子どもが生まれてからは、1歳に満たなかった娘を抱き、神輿くぐりをさせてもらったこともある。その娘は今年4歳になり、先頭をきって子ども神輿を担ぐ活発な子になった。あの時、無病息災を祈った、そのご利益だなとしみじみと思うのだった。

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神輿くぐりの様子。長女のときは、一瞬の出来事で、本人はなにが起きているのかわかっていないようで、泣くこともなかった。

東京と鎌倉(今は逗子)を行ったり来たりの生活。もちろん東京で暮らす町でも、祭りは行われているし、遊びにもいく。けれど、ご近所さんとの付き合いが鎌倉と比べると少ないからか、祭り自体の情報はあっても、神輿を担ぐとか、そういった参加するようなことまでに結びつかないのが、すこし寂しくも感じる。

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2016年の大町まつり。ねじり鉢巻をして神輿を担いでいるのは、7年前のわたし。元気だったな!と思う

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2016年の大町まつり。4基の神輿が横に連なり、大町四ツ角を練り歩いている

距離にすると、ふたつの町はそんなに離れていないけれど、人との距離感はだいぶちがう。どちらがいいのかなぁ。長女の小学校入学が近づいてきて、そんなことを家族でよく話すようになってきた。もしかしたら、わたしの二拠点生活にも変化が起きるかもしれない。

KIKI

モデル。1978年生まれ、東京都出身。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒。雑誌をはじめ広告、テレビ出演、映画などで活躍。エッセイなどの執筆も手がけ、旅や登山をテーマにしたフォトエッセイ『美しい山を旅して』(平凡社)など多数の著書がある。現在、文芸誌『小説幻冬』(幻冬舎)にて書評を連載中。インスタグラム:@campagne_premiere

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