映画『オン・ザ・ミルキー・ロード』のエミール・クストリッツァ監督にインタビュー。

ユーゴスラビアが生んだ奇才、エミール・クストリッツァ監督に取材する機会を得た。合同インタビューで、しかも数問しか聞くことはできなかったけれど、とても貴重な時間となった。

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世界三大映画祭を制覇した奇才、エミール・クストリッツァ監督は、旧ユーゴスラビアのサラエヴォ出身の62歳。

私がクストリッツア監督の映画を最初に観たのは、サウンドトラックも話題を集めた『ジプシーの時』(日本公開1991年)。そこからカンヌ映画祭で2度目となるグランプリを受賞した『アンダーグラウンド』(1995年)や『黒猫 白猫』(1998年)他、多くの作品を観てきた。最新作『オン・ザ・ミルキー・ロード』は戦地を舞台にしつつもファンタジー要素を含む大人のラヴストーリーで、監督曰く「今回の映画はアドヴェンチャーとロマンスをミックスしたもの。より冒険的なラヴストーリーだと自負している」とのこと。クストリッツア作品に欠かすことのできない日常的に続く激戦や、運命的な出逢いによる結婚といったコンテクスト、また人間と共存する動物たち、浮遊や水中、井戸といった特定の要素に加え、奇想天外なストーリーには彼特有のユーモアももちろん盛り込まれている。

なかでも『アンダーグラウンド』との接点が多く、それゆえ一度は映画製作から引退を表明したクストリッツア監督が、意気新たに9年ぶりに取り掛かった大作だと感じさせられる。それくらい素晴らしい。まるでヒロエニムス・ボスの絵画『快楽の園』を初めて観たときの、善悪全てを包み込んだ圧倒的なスケール感を想起させるというか、その先を行くような世界観が広がり、時間を忘れるほど一気に引き込まれて行く。

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『オン・ザ・ミルキー・ロード』では、自ら出演し、モニカ・ベルッチと愛の大逃避行を展開。

今回は彼のバンド、エミール・クストリッツァ&ザ・ノー・スモーキング・オーケストラの来日公演も兼ねた、プロモーション来日だった。映画監督、俳優、音楽家、小説家、そして旧ユーゴスラビアの一部だった現セルビアに自分の町まで作ってしまうほど多才な彼に、まずはヴァイタリティの源について聞いてみた。なにしろ、「エネルギーというのは、最後の一滴まで搾り取って映像に入れる必要があると思ってる」(月刊カドカワ1996年6月号)と以前話していたが、現在もそのテンションが変わらない“エネルギーの塊”を思わせる人物だからだ。

■映画のウィルスというものが僕の血流を巡っている

― 多岐にわたる活動の中で、自分の中のどのような才能や性格、欲求がそれぞれに表現もしくは発散されていると思いますか?

エミール・クリストリッツァ(以下、E):自分の才能を引き出す引き金のようなものは、自分の選ぶ可能性そのものだと思う。最初の映画の作品群を手掛けていた時に、僕は自分の名前をクレジットすることができて、そこから自分を成長させながら違う方向へ向かって行くことができた。もし最初に映画だけを作っていたら、こんなにたくさんのことを一度にできるとは想像できなかったと思う。今は建築を含め、いろいろなことをやることができているけど、そのきっかけはすべて映画から始まっている。しかも、それぞれ違ったコミュニケーションの形から生まれていて、音楽を演奏する時はそもそも僕の映画を観た人が来てくれていて、小説を書く時は「これが映画になり得るかもしれない」というストーリーを自分ひとりで作りあげるという特権からだった。映画製作には軍事作戦なのかというくらい多くの人が関わるし、空間から空間へ移動し、しかもその空間を刷新していかないといけない。しかし本を書くという作業には、自分としては芸術的なプロセスがあって、何か楽しみながらやっている感じがある。

― そうなんですね。

E:僕にとって、映画作りはわざわざ苦難を自ら経験しに行っているようなところがあって楽しくはないんだ(笑)。だから今は複数のことに興味を持っているけれど、それはある程度、映画監督として認められた後だからこそ持てる贅沢だと思う。音楽は、特に僕にとってイージーなものだし、一般の人たちと分かち合える、もしくはカタルシスを行き来させられる、そういう瞬間だと思っている。なので、映画を作る時の苦しみの報いのような、ご褒美のようなところが音楽にはあるよね(笑)。でも、映画のウィルスというものが僕の血流を巡ってしまうので、また映画を作った(笑)。それがこの『オン・ザ・ミルキー・ロード』という映画なんだ。

『オン・ザ・ミルキー・ロード』本予告編トレイラー

― 監督の作品には、過去の作品との共通項が多く観られますが、『オン・ザ・ミルキー・ロード』にも過去の作品との繋がりを意識して作った部分があるとしたら、そのテーマはどのようなものなのでしょう?

E:その通りだね。物語は違っても、いつも同じ作品、同じような要素のものを僕は作っている(笑)。人によってはそれが僕のフィルモグラフィーの悪い点だと指摘する人もいるけれど、ある画家の回顧展に行くと、同じような色彩を使っているのがわかるし、モチーフが被ることだって、全く同じじゃない?って思うほど似ている作品だってある。それと同じさ。メインストリーム的な監督たちは、パーソナルなものを作る権利をそもそも与えられていないけれど、僕は自分のモチーフを繰り返し掘り下げることができるし、しかも同時に新しい要素を持ち込んで映画を作っていける。それが僕の人生における贅沢なんだと思う。この映画には今までの作品と同じように現実とファンタジーがあり、それらを描きながら真実を引き出したかった。そのために世界の全く別の3箇所で起きた実話を繋ぎ合わせて、僕の世界にまとめたんだ。

― では、今回の映画で一番パーソナルな部分というと?

E:自分そのもの。なぜかというと、役を演じるというよりも、ある種「自分がその場に置かれたら、おそらくこうするだろうな」ということをどのシーンでもやらなければいけなかったので、演じるのがとにかく大変だった。しかも監督をやることも結構大変で(笑)、だからもう二度と自分の作品には出演したくないね。

■アートに全てを捧げているから、どんな困難に直面しても諦めない。

― 常に自分の才能を押し出して行く、そのヴァイタリティはどこから来ているのですか?

E:オレンジジュースだよ(笑:取材続きでかなりお疲れの様子)

―(笑)。もしユートピアを求めて映画を作っているとしたら、監督にとってのユートピアとは? すでにセルビアに町を作って具現化しているところもありますが。

E:オレンジジュース。

― そんな……。

エミール:冗談だよ(笑)。そうだね、僕は自分のユートピアを実現できている数少ない人間ではあると思う。ヴァイタリティという意味では、母から受け継いだものが大きいね。母は頑固でタフで、自分のやりたいことは必ずやり通す、そんな女性だった。でも、今みんながとても良く使うのは“成功”という薬だと思うんだけど、実際に自分も“成功”というものを手にしたことで、いろんなことができると思えたし、自分の次の成功は名声ではなく芸術的な意味での成功を得たことで、自分のユートピアを信じることができて、それに向かって前に進むことができた。村を作り、町を作り……。だからラッキーだったとも思うよ。僕はアートに全てを捧げている。それがどんな困難に直面しようとも決して諦めることはないよ。

■ブラックユーモアは非常にシリアスな映画をも助けてくれる。

ユーモアを重視している点に関して、「それは“シリアスであっても笑いはわかるべきである”という、僕の文化から来ているところなんだよね。ブラックユーモアは非常にシリアスな映画をも助けてくれる、そこから一歩外に連れ出してくれる役目を果たす。監督の多くは、シーケンスをうまく解説できない場合はダークな方向に行きがちなんだけど、それでは映画は成立しない」と話していた監督。祖国の人々の身に降りかかった悲惨な実情を描きながらも、知性を感じさせるユーモアを必ず織り交ぜているのものクストリッツァ監督作品の魅力的なところだし、そのユーモアは映像の美しさで魅せていくファンタジックな場面にも多く表れていると思う。

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監督演じる主人公コスタにはお茶目なシーンが多い。

笑いへと続く発想に関しては、「(前略)自分が生きてそこにいて、何かにリアクションして、修正しながら何かを加えて……、そうして映画は作られるものだから」と話す。前述のように、人生そのものを映画に直結させていて、パーソナルと呼べるものに染めているのだ。悲劇的な瞬間からも喜劇の要素を引き出せるのは、監督の視野の広さ、引き出しの多さもあるだろうが、何事もポジティヴな面を捉えて生きてきた、ある種の「生きるための知恵」なのだ。とにかく、スクリーンから溢れ出るクリエイティヴィティとエネルギーに圧倒され、エンディングに到達してもそこにしばらく居座ってしまうような物凄いパワーを感じさせる大傑作になっている。

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多数の鳥やロバ、クマ、ヘビなどを使ったシーンも見ものだ。

エミール・クストリッツァ&ザ・ノー・スモーキング・オーケストラはというと、サラエヴォ出身のパンクバンド“ザブランイェノ・プシェンェ”にエミール・クストリッツァが加わったタイミングで現在のバンド名に改名。 パンクにスカ、バルカン・ミュージックやジャズ、ジャズやハードロックなどをミクスチャーした“ウンザ・ウンザ・ミュージック”と呼ばれる音楽へと進化し、注目を集めるようになった。ヴァイオリンやホーン等を軸に強力なユニゾンのフレーズでパフォーマンスを盛り上げ、東京公演では女子ばかりをステージに上げて、クストリッツァが演技指導するかのように一緒にダンスをしたり腕立て伏せをしてみせたり、ヴァイオリン奏者と一緒に曲芸まがいの演奏を披露してみせたりで、ホール全体が物凄い熱量で満たされた。監督も、「バンドも良かったけど、来てくれたみんながそれ以上に最高だったね。物凄くエモーショナルで、ちょっとしたことにも熱いリアクションを返してくれて。それぞれの人が爆弾のように弾けていたよ。そういうような体験ができるのは僕たちにとって光栄以外の何物でもないんだ」と話していた。

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総勢9名がステージに登場し、熱演を繰り広げた。9月2日Zepp Tokyoにて。Photo:RAN IWASAWA

映画『オン・ザ・ミルキー・ロード』の音楽は、息子のストリボール・クストリッツァが担当(バンドの一員だが、今回は来日せず)。父親と同じく出演し、カオス化した宴での演奏シーンをはじめ、音楽が映画に絶大な効果を加えている。クストリッツァ監督は自分の映画の作風に関し、「『アンダーグラウンド』を撮った時に“シェイクスピアとマルクス・ブラザースの間のような作品だ”と評された。それだけ聞くと不可能なことのようだけど、僕の映画作りの上では、いつもそれは全然可能なことだと思っている」と話していたが、音楽が流れるタイミングや演奏シーンの挿入の仕方も絶妙で見応えタップリ。そちらにも是非注目を!

『オン・ザ・ミルキー・ロード』
TOHOシネマズ シャンテほか全国公開中。
配給:ファントム・フィルム
(C)2016 LOVE AND WAR LLC
http://onthemilkyroad.jp/

*To Be Continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
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