映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』の音楽。

映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』(堀江貴大脚本・監督)が面白い。しかも、主人公である漫画家夫婦、早川佐和子(黒木華)と早川俊夫(柄本佑)が無口なだけに、佐和子の漫画を通してお互いの心を探り合う様子は、劇伴の音楽から察することができる。音楽を担当するのは、いくつかのバンド活動やデヴィッド・シルヴィアンのワールドツアーにバンドメンバーとして参加経験のある渡邊琢磨。ピアノ奏者としてステージに立っている姿は何度か見てきたが、現在は、インストゥルメンタル系でジャンルレスな音楽を中心としたソロ活動と並行し、『あのこは貴族』(2021年)、『いとみち』(2021年)など多数の映画音楽を担当している。さっそく、メールインタビューをお願いした。

210924-music-01.jpg渡邊琢磨
音楽家。米バークリー音楽大学から帰国後、国内外のアーティストと多岐に渡り活動。2021年、イギリスのレーベルConstructiveより、ソロアルバム 『Last Afternoon』をリリース。www.takumawatanabe.com

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笑える場面の一方で、不安を煽る場面ではホラーに寄せた音が演出をプラス。

――冒頭から、筆を入れる音や、デザインカッターで削る音といった作画する音、また、原画をめくる音などとも音楽が馴染んでいて、素晴らしいと感じました。後半でも、俊夫の運転する車の排気音も音楽に溶け込んでいました。劇伴に惹かれてクレジットを見たら渡邊琢磨さんでしたので、ぜひお話を伺いたく思いました。まず、どのようにして音楽制作を進めていったのでしょうか?

渡邊琢磨:編集があらかた出来上がった段階で、堀江監督と音楽の打ち合わせをおこない、シーン毎に演出の方向性を確認した上で作曲に入りました。本作は、喜劇的な場面のあとにミステリアスな会話劇に転じるなど、演出や構成も錯綜するので、こちらでシーンの動きに沿った音楽を制作していきました。

210924-music-02.jpg写真左から:早川俊夫役の柄本佑と、妻・佐和子役の黒木華。佐和子が描く不倫をテーマにした連載漫画を軸に、どこまでが本当のことでどこからが妄想かわからない心理合戦が展開される。

――漫画の世界の真偽がわからないだけに、途中から音楽が醸し出す感情を頼りにストーリーを追っている自分がいました。まず、サウンドトラックでいうと1曲目の「Opening」や次に流れる「Dining」でモチーフとなっている弦楽器のピチカート、そしてピアノのフレーズが陽気で小気味良くて印象的です。このフレーズはどのようなアイディアから生まれてきたのでしょうか? 

渡邊:私的に映画音楽の場合は、イメージや演出の雰囲気から主題を着想することが多く、メッセージや意味合いをベースにつくることは稀だと思います。ただ本作は、登場人物の妄想や漫画内の描写が現実のドラマと地続きであるなど、解釈の余地も多々あるので、監督とともに各シーンの演出を詳細に検討していきました。その結果、表向きは小気味良いピチカートやピアノのモチーフがありつつ、水面下には不穏な弦の響きが漂うという、ある種二律背反的な楽曲になったのかもしれません……。

――車内で俊夫の携帯を借りて、妻の佐和子が自分の不倫相手の編集者・千佳と話した後の、不安げな俊夫の心情を表すかのように、蝉の鳴き声にホワイトノイズのようなサウンドが被っていき、でも最後はメジャーの響き終わるところも好きです。その後、不安が増す俊夫の心情を表現するかのように、「Name」や「Concerned」といった曲で懐疑的なトーンや、バイオリンの高音で気持ちが煽られます。二人の心理描写を表現する音遣いなどでこだわったことはありますか?

渡邊:特別こだわったことはありませんが、佐和子の企みが前傾化してくるところや俊夫の心理描写などを、部分的にホラーに寄せた音で演出してみたいと密かに思っていたので、ご指摘にあるような、不安を煽る弦の曲を作って監督に送ってみたところ、快諾いただいたので、この企みはいけるなと思いました(笑)。

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フィルム・ノワールや50年代のSF映画からのインスピレーション。

――不安感を表す音作りは、無限にあるように思えます。この映画では、特にバイオリンの絶妙なフレーズと高音が活かされている点に惹かれました。ストリングスが鍵になると感じたポイントがあれば教えてください。

渡邊:映画音楽の仕事に際して、監督から音楽性や楽器の指定が特別ないかぎり、第一感で思い描くのは管弦楽による劇伴です。子供のころから映画に付随する音には大きなインパクトを受けてきました。それは例えば、バーナード・ハーマン(『市民ケーン』『タクシー・ドライバー』ほか)やマイケル・スモール(『コールガール』『パララックス・ビュー』ほか)、ジェリー・ゴールドスミス(『オーメン』『氷の微笑』ほか)らによるスコア(総譜)ですが、その多くが古典的な管弦楽編成でありつつ、従来の和声法や楽典からは大きく逸脱した鮮烈な音像で、それはまさに映画館以外では聴いたことがない、映画のための音楽でした。なので、映画音楽の仕事の際には、現代映画の革新性を踏まえつつ、そういった映画史のコンテクストも留意しながら作曲できればと思っています。

210924-music-03.jpgコミカルな演技も見せる柄本佑に対し、まったく何を考えているのかわからない怪演を見せる黒木華。

――作曲する時、俊夫や佐和子の立場に自分を置くことはありましたか?

渡邊:割合、客観的に判断しながら作曲を進めていきましたので、登場人物の立場になるようなことはありませんでしたが、主演の黒木華さん、柄本佑さんはじめ、キャストの方々が演じる登場人物から、多くの音楽的着想を得ました。

――俊夫が佐和子の作画を見つけて、その内容から冷や汗が原画にポタリと落ち、ストリングスがそこから渦巻きながらドラマティックに音楽が展開していく箇所、また、俊夫が教習所で佐和子を目線で追う時に流れる「Episode3」の展開など、実に映画のシーンと0.1秒たりとも違わぬぴったり感で、音楽が全知の話者、ストーリーテラーになっているようにさえ感じます。このあたりの曲、どのように構成を考え、作曲されたのでしょうか?

渡邊:同シーンには、漫画の下描きが実写に移行するという明解な演出効果が付いていたので、その実写への変わり際が、音楽のピークになるよう作曲したと思います。邦画の音楽制作は、割とタイトな日程で進行しますので、まずは自分の解釈で一挙につくりあげ、それからその音楽をもとに監督やプロデューサーと協議し、方向性を再調整していきます。

210924-music-04.jpg俊夫(柄本佑)は佐和子の原稿を読みながら、佐和子の心中をなんとか知ろうと焦る。

――さらに「Uncomfortable」では、ユーモア溢れるピアノや不安感を煽るストリングス、どこかとぼけたようなストリングスのピチカートにテルミンやフルートまで加わってきて、音楽だけ聴いていても、この映画の展開の面白さが伝わってきます。どのようにして、加えていく楽器を決めているのでしょう?

渡邊:車を運転中の俊夫が、フロントガラス越しに困惑した表情を見せる同場面の印象から、どことなくフィルム・ノワールや50年代のSF映画などを想起したこともあって、テルミンやフルートなどを使った覚えがあります。そういう音色設計や楽器の選択というのは、やはり過去に観た映画の印象や記憶から着想されるもので、それは音楽に限らず、監督の演出の趣向やカメラマンの画作りほか、スタッフ方々のこだわりにもみてとれると思います。

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漫画のフィクション性や登場人物の妄想を、あえて音楽で誇張。

――サントラには後半の、佐和子が新谷先生を連れて帰宅し、俊夫と知佳が出迎えるシーンの音楽など、数曲収録されていないものがあるように思えました。けれどその分、終盤の「Cheating」からの4曲の流れは心地よく、実際に外を散歩しながら聴いていました。もっと尺が欲しかったくらいです。渡邊さんはサウンドトラックのアルバムも何枚も発表していますが、毎回アルバムなりの流れを意識されているのでしょうか?

渡邊:これは悩ましいところなのですが、アルバム単体でサントラをリリースする際は、選曲はもちろん、楽曲のミックスも本編で使われたバージョンとは別途つくり直しています。基本的にサントラは映画自体と切り離せませんし、全曲を包括したいところではあるのですが……。ただ、映画館の5.1チャンネル仕様の音響システムで音楽を聴くのと、ステレオ2チャンネルで聴く音はまったく別物だと思いますので、映画の印象を損なわない程度に、リスニング向けの微調整を各曲に施した上で、アルバムに収録しています。

210924-music-05.jpg写真左:佐和子の編集担当の千佳(奈緒)は漫画愛が強いものの、俊夫にも夢中。

――「Confession」はその曲名から言っても、残響音から教会的な音色や、光が差し込むようなピュアな響きを感じました。この音楽から伝えたいという、何らかの思いはあったのでしょうか?

渡邊:特別思いがあったわけではなく、同曲もシーンの演出として適宜に作ったつもりですが、監督と映画全体のバランスを考慮するなかで、後半の会話劇のあたりからは異化効果的な演出はひかえて、画の印象そのままに音を付けていくことになりました。

――最後の曲「Epilogue」こそ、音楽でこのストーリーを回収しているように思いました。

渡邊:「Epilogue」はオープニングテーマの変奏になりますので、回収感が出たのかもしれません。同曲は主題のアレンジですので、作曲自体は容易でした。

――魅力あふれる音楽ばかりですが、オーガニックな弾んだ響きが、舞台が田舎ということもあり、この不倫のストーリーをより爽快にコミカルにしているように感じます。音楽との絡みという点で、どのシーンをいちばん気に入っていますか?

渡邊:ご質問にもあった、佐和子のネームを俊夫が見つけるシーンと、俊夫が教習所に乗り込んでいくシーンでしょうか。いずれも画のイメージに対して少々大げさというか、壮大な音楽を当てている場面ですが、この演出に関しては、監督はじめプロデューサー部ともかなり議論しました。漫画のフィクション性や登場人物の妄想をあえて誇張することで、解釈の幅ができるのでは?と思ったのですが、奏功したのか否か……。映画をご覧いただいた皆さまにご意見お伺いしたいところです。

210924-music-06.jpg佐和子(黒木華)は新谷先生(金子大地)のいる教習所へ行く時、スカートを履くようになる。

――最新アルバム『Last Afternoon』(2021年)も、とても好きなアルバムです。ソロアルバムと映画音楽の制作作業は、渡邊さんにとって何らかの違いがあるものなのでしょうか? 

渡邊:締め切りの有無など制作のプロセスを別とすれば、映画音楽のような仕事とソロアルバムの制作を区別して考えてはいません。いずれも独自の音色や、作品相応の音を発明するという点で違いはありません。

――最後に、オススメの映画や音楽、小説などがあれば教えていただけますか? 自分のルーツとなるような作品でもいいですし、最近見た作品で気に入ったものでもかまいません。

渡邊:アラン・J・パクラ監督映画『パララックス・ビュー』(1974年)とあわせて、マイケル・スモール作曲による同作のサウンドトラック。音大時代に一聴して以来、この映画とサウンドトラックの謎に魅了され続けています。先頃、サントラ単体で再発盤がリリースされました。アンナ・カヴァンの小説『草地は緑に輝いて』(1958年)この異様にキラキラした無人の草原や湖から漂ってくる寂寞感は、ソロアルバム制作中のヒントになりました。

『先生、私の隣に座っていただけませんか?』

●脚本・監督/堀江貴大
●出演/黒木華、柄本佑、金子大地、奈緒、風吹ジュンほか
●2021年、日本映画
●119分
●配給/ハピネットファントム・スタジオ
●新宿ピカデリーほか、全国で公開中
www.phantom-film.com/watatona
© 2021「先生、私の隣に座っていただけませんか?」製作委員会

*To Be Continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
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