主人公の葛藤を音楽で表現した映画『白い黒人』。

「パッシング」と聞いて、すぐにわかる読者は少ないかもしれない。この言葉は、「黒人であるのに白人になりすまして生きている人」のことを指す。このことを題材にした、Netflixで11月10日に公開された『PASSING -白い黒人-』は、イギリス人女優レベッカ・ホールが初めて脚本&監督を務めた映画作品である。

211116-music-02.jpg黒人の血が一滴でもあれば黒人とされる社会で、白人になりすまして生きるクレア(ルース・ネッガ)。

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レベッカは自分の家族の秘密を探りながら、映画を製作。

この映画の基となるのはネラ・ラーセンの小説『白い黒人(原題:PASSING)』(1929年)。レベッカは、自分に黒人の血が流れていることを知り、25歳の時にこの小説を人から勧められて読んだという。

彼女の父はシェイクスピア作品等で知られる高名なイギリス人舞台監督のピーター・ホール、母はアメリカ人オペラ歌手マリア・ユーイング(その後離婚)。レベッカはデトロイトの労働者階級の家庭で育った母が祖父の話をしないことを気にかけていたが、祖父にアフリカ系とネイティヴアメリカン系、オランダ系の血が流れていて、ずっと白人のふり(パッシング)をして生きてきたことを知る。それゆえ「監督デビュー作は絶対にこの題材で」と、こだわったのだ。

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演技指導をするレベッカ・ホール監督(写真右)。『それでも恋するバルセロナ』(2008年)で女優として話題になる。

そこから6年かけて脚本を幾度か書き直し、7年かけて資金を集めて撮影。完成した映画は、2021年のサンダンス映画祭でプレミア上映されて高評価を受け、ネットフリックスが購入した。1920〜30年代中期にかけて、黒人文化が脚光を浴びたハーレム・ルネッサンスと呼ばれる時期があり、その当時からこの小説は高く評価されていたものの、実は今回が初の映画化となった。

ストーリーは、高校の同級生である黒人のアイリーン・レッドフォードとクレア・ケンドリーが、黒人が入店を拒否されるようなニューヨークの高級ホテルのカフェで偶然再会する場面から始まる。肌の白いクレアは金髪にして白人を装い、人種差別主義者の白人男性と結婚している。そして、医者である黒人の夫と息子2人と実直に暮らしているアイリーンの日常が、クレアの登場によって一変する。
 

211116-music-01.jpg写真左から:クレア(ルース・ネッガ)とアイリーン(テッサ・トンプソン)。

黒人社会で暮らすアイリーンといることに居心地の良さを感じたクレアは、こちらの生活に戻りたいと思い始めるが、アイリーンは自分とは真逆の性格で自由奔放で快活なクレアに愛憎入り混じった感情を抱き、子どもや夫までもが魅了されていく。しかし、ついにクレアは夫に黒人であることがバレて、結末を迎えるのだ。

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レベッカのテーマ曲はピアノ、アイリーンの曲はトランペットで。

この映画は音楽が少ない。画面がモノトーンとあって、より静寂を味わうことができる。監督のその意図は、アイリーンの頭の中を覗くような感覚を限られた音楽から観た人に味わってほしいからだそうだ。

それゆえひときわ魅了されるのが、幾度となく流れるエマホイ・ツェゲ・マリアム・ゴブルーのピアノの曲「The Homeless Wanderer」である。彼女は、アフリカの教会音楽にエリック・サティなどの影響を受けたというピアニスト。レベッカは脚本を書き直している時に偶然耳にして、これが映画に求めていたようなサウンドと気づき、しかもその後、曲名を知って「頭の中が少し爆発した」と説明している。

すぐにクレアのテーマ曲にしようと思ったというが、それは黒人社会でも白人社会でも落ち着くことのできないクレアを察したのだろうか。偶然にも、ゴブルーはエチオピア出身であり、クレア役のルース・ネッガも母はアイルランド人だが、父はエチオピア人である。

さらにエチオピアといえば、社会学者で公民権活動家であるW・E・B・デュボイスが、ハーレム・ルネッサンス期にブラック・ナショナリズムを鼓舞しようと注力した舞台『エチオピアの星』(1913年〜)を公演していたことを想起させる。アフリカン・アメリカンが祖先の地とするアフリカの中でも、聖書からエチオピアを人種的なアイデンティティの拠り所としてきたことはいうまでもない。なお、レベッカの言葉を借りれば、音楽家のゴブルーは人生のほとんどを亡命して過ごし、現在は97歳で修道院に暮らしているという。

映画の音楽担当のデヴ・ハインズにこの曲を伝え、レベッカはアイリーンの頭の中にクレアの存在がこびりついていて離れない象徴として使おうとした。そして心理状態によって聞こえ方が違ってくるよう、デヴが工夫したという。

また、デヴはアイリーンのテーマ曲作りに注力し、それは彼女が住む家の通りの向かいから聞こえるトランペットによって表現された。対照的に、こちらはひとつとして同じ演奏はない。最初は音階の練習ばかりだったが、自分の音色(声)を見つけようと必死になっているうちに、自分らしい演奏(歌)を堪能できるようになったと解釈できそうだ。もちろん、その双方が一緒に流れてくることもある。自分のことを抑えがちなアイリーンの頭の中を知るにあたり、とても興味深いアイディアだ。

ジャズ・エイジとも呼ばれた時代であり、劇中では当時を彷彿させる踊れるジャズのような音楽も流れる。とはいえ、基本はピアノとトランペットで、クレアに対して揺らぐアイリーンの心情が描かれている。

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デヴ・ハインズは映画にインスパイアされたアルバムも発表。

さらに紹介しておきたいのが、この映画にインスパイアされてデヴ・ハインズが制作したアルバムだ。こちらもトランペットとピアノを基調とした楽曲で構成され、彼はアイリーン自身の頭の中に棲んで作曲したのではないかと思うような仕上がりになっている。

デヴ・ハインズはプロデュース業のほかに昨今は映画音楽での仕事も多いが、まずはブラッド・オレンジ名義の楽曲で才能が高く評価されたアーティストだ。レベッカが依頼した経緯はわからないが、シエラレオネ共和国出身の父とガイアナ共和国からの移民である母を持つマイノリティの出自であり、さらに性的マイノリティの人々が抱える不安や希望を、自身の体験を元に歌ってきたため、彼自身、この作品に強く通じる部分があったに違いない。

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人種差別が人種という虚構を生み出している。

レベッカ・ホールがモノトーンにこだわったのは、パッシングを題材にした映画だけに、ひとりひとりの肌の色の違いをしっかりと見せるためだった。「モノトーンの映画は白と黒ではなく、ほかのものと同じように千差万別の色合いがあるのよ」と話し、そのために、トム・フォード監督作品『シングルマン』での映像美で脚光を浴びたエドゥアルド・グラウを撮影監督に起用しているほど。作家アリス・ウォーカーは「肌の黒さの濃淡により同じ人種の優劣を決定すること」を、カラリズム(Colorism)と定義したが、レベッカは濃淡で分けるというより、おのおのの美しさを引き出そうとしているように感じる。

211116-music-03.jpg幸せであるとは思いつつ、夫ブライアン(アンドレ・ホランド)との生活に違和感を感じているアイリーン。

また、レベッカ・ホールは、製作にあたり、バーバラ&カレン・フィールズ姉妹が書いた『RACECRAFT』(2014年)から影響を強く受けたと語っている。この本は、社会学、歴史、科学を駆使して「人種というものは存在しないものの、人種差別が人種という虚構を生み出している」とし、アメリカの政治、社会、経済などに多大な影響を与えている人種主義について掘り下げたものだ。

そして『白い黒人』について、「この小説にはいわゆるインターセクショナリティ(人種や性差、性的指向、階級や国籍などの属性が交差したときに生じる、差別や不利益を理解するための枠組み)から、家父長制のもとでの女性のさまざまな側面など、すべてが関係している」と語る。ここでは書き切れないが、この映画ではそういった面に加え、黒人の子どもの教育問題や、肌の色から生じると言われがちな貧富の格差などについても焦点を当てている。

もし、自分が居やすい場所が自分らしさを取り戻せる場所なのだとしたら、自分の気持ちを抑圧しがちなアイリーンは、ちょっと辛辣で聡明な人物である白人の老作家ヒュー・ウェントワースと話している時が、人種や性差、年齢に関係なく、彼女らしい姿を見せられる相手なのかもしれない。確かにこの映画のモノトーンには、くっきりと分けた白と黒は存在していない。

Netflix映画『PASSING -白い黒人-』独占配信中。
https://www.netflix.com/jp/title/81424320

*To Be Continued.

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
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Twitter:@natsumiitoh

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