「自分らしさ」とは何かを、音楽が牽引する青春映画『C.R.A.Z.Y.』。

文・伊藤なつみ

この映画の魅力のひとつは、何といっても音楽だ。それは単に70年代や80年代を象徴する楽曲が流れるからというより、主人公のザックが聴いているそのままの気分を体感できるよう工夫されていること。好きな音楽を聴くことで、連れて行ってもらえる世界があるように、ザックが音楽に没頭するシーンでは、観客も一緒にその先へと導いてくれる感覚に包まれる。彼の心の動きのままに感情移入してしまうし、楽曲の心地よさが妄想世界にも案内するのだ。

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成長著しいザック(マルク=アンドレ・グロンダン)の顔つきの変化に注目を。

いっぽう、パッツィー・クラインの「クレイジー」をヴァージョン違いのアナログ盤で揃えるほどマニアックなザックの父親ジェルヴェは、自身のテーマソングとして、ことあるごとにシャルル・アズナヴールの「世界の果てまで」を熱唱する。好きな楽曲に憧れを乗せて、入魂し歌う姿に、共感する人もいるだろう。

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同性に惹かれてしまう自分と、「男らしさ」を求める父親との狭間で。

物語は1960年から始まる。五人兄弟の4番目としてキリストと同じ誕生日に生まれたザックは「不思議な力を持っている子」とされ、信仰心の厚い母親から、子どもの頃から「ケガや火傷などを祈るだけで治せる」と思われてきた。五人兄弟はそれぞれ両親から愛情を受けて育つものの、なかでもザックは「オレにいちばん似ている」と、父親からの贔屓がすごい。しかしザックはというと、世界一カッコイイと思っている父親に憧れるものの、「男らしくあれ」という父親の理想像と、同性に惹かれてしまう自分を否定できない自らのアイデンティティの間で、悩ましい日々を送るようになる。

北米に暮らす労働者階級の中流家庭の象徴となるこの厳格な父親ジェルヴェは、家父長制の典型的な人物。1970年代に入り、ザックはデヴィッド・ボウイやローリング・ストーンズ等にハマり、ミシェルというガールフレンドもできるが、父親が理想とする「普通」の男にはなれない。しかもこの時代、ホモフォビア(同性愛嫌悪)という概念が提唱されるようになったこともあり、学校や兄弟からからかわれるようになる。そのためザックの行動を理解できず、説明を信じることもできない父親は、「(人間は)男か女か、それだけだ」、「思い込みを正してやる」、「ヤツは病気だ」と短絡的に考えてしまうのだ。

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音楽愛と家族愛にあふれた父親がつけた、息子たちの名前の由来も気になる。

父親と同性に惹かれる思春期の息子の対話ということでは、作風は全く違うが、同じく名作である『君の名前で僕を呼んで』(日本公開2018年)が頭を掠めるかもしれない。しかしこのジェルヴェは、いまで言うヘテロノーマティヴィティ(異性愛規範)に染まっている。この用語は1980年代のエイズ禍以降、1991年に社会理論家のマイケル・ワーナーが作ったもので、社会制度や社会理論に見えない概念として浸透し、この規範に属さない者は疎外されるとした。しかも、自分のジェンダーについて明かす必要はないのに、公共圏で接している限りは常に晒されると指摘している。つまり、ザックの父親は自分の息子が社会的制裁を受ける者、恥ずかしい者と思い、何とか正そうとするのである。

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親戚まで集う賑やかな環境が、何にも挫けない家族愛を育む。

とはいえ、パッツィー・クラインのアナログ盤に加え、曲名もこの映画の重要な鍵となっていることから察するように、話の展開が重くなることはない。両親や兄弟たち(読書好きのクリスチャン、反抗的なレイモンド、運動好きなアントワーヌ、主人公のザック、歳の離れた末っ子イヴァン)はもちろんのこと、それぞれのガールフレンドや親戚との関係、さらには神との関係も扱いながら、周囲を含めた成長の中で丁寧にザックを描いていく。

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クスッと笑えるシーンを挟みながら、いろいろな形の愛の証が示される。

妄想シーンも楽しめるし、微笑ましいシーンが随所に鏤められていることもこの作品をさらに魅力的にしている。その筆頭は父親のキャラクターだ。息子たちの良い面を見つけると「オレに似たんだな」と言うものの、実際、父親が隠したい面も似ていたりして、クスッと笑えるシーンが多い。また、顔を合わすたびに一触即発でケンカばかりしているレイモンとザックだが、この一筋縄ではいかない兄弟の関係も熱い。両親からたっぷりと愛情を注がれたからか、いろいろな形で愛が証明されていく展開も見どころだ。果たしてザックのアイデンティティはどうなるのか、父親との関係は修復するのか、恋愛はどうなるのか、その辺りも見事に回収されていく。

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ジェルヴェ(ミシェル・コテ)は、息子たちに苦悩しながらも良き父親となるよう努力する。

監督は、『ヴィクトリア女王 世紀の愛』(09)、『ダラス・バイヤーズクラブ』(13)、『わたしに会うまでの1600キロ』(14)、『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(15)等の作品で知られているジャン=マルク・ヴァレ。実はこの『C.R.A.Z.Y.』は05年に完成し、当時はトロント国際映画祭最優秀カナダ作品賞をはじめ、38もの映画賞を受賞するほど海外で激賞されていた。ヴァレは2021年12月に惜しまれて亡くなったが、内面的な宗教的葛藤や中流家庭の描写は、監督自身の経験が反映されているという。そういう意味でも、身近に感じられるような親しみやすい作品になっていると思う。

自分は父親と息子の作品で、こんなに幾度も感涙し、しかも、同時に笑えた映画は初めてかもしれない。さらに音楽もバッチリで、なんて最高な映画!と、既に2回見てしまったほど。ぜひ、さまざまな人にオススメしたい映画だ。

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鍵となるパッツィー・クラインのアナログ盤。他にもストーリーズの「ブラザー・ルイ」、ザ・キュアー「土曜の夜10:15」など、多数の楽曲が彩る。

〈参考文献〉Warner, Michael. “Introduction: Fear of a queer planet”. Social Text. 1991; (29):3-17---. Publics and Counterpublics. Zone Books, 2010.

『C.R.A.Z.Y.』
監督/ジャン=マルク・ヴァレ
出演/ ミシェル・コテ、マルク=アンドレ・グロンダン、ダニエル・プルール
2005年 カナダ、モロッコ映画/129分
7月29日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷他にてロードショー
© 2005 PRODUCTIONS ZAC INC.
www.finefilms.co.jp/crazy22

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
Twitter:@natsumiitoh

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