『ビューティフル・ストレンジ』、プリンスの人間性を丁寧に描いたドキュメンタリー映画。

プリンスのドキュメンタリー『ビューティフル・ストレンジ(原題: Mr. Nelson On The North Side)』は、"華やかなスターのプリンス"ではなく、デビューするまでの少年時代や、ファンとの交流など、彼の人柄がわかるコミュニティを中心に描いた作品である。両親の離婚によって孤独に陥った彼が、何故これほど多くの人たちに愛されるようになったのか、また何故彼の心がこんなにも愛にあふれているのか......。その人々との交流に焦点を当てたことで、彼の音楽の奥深さが増してくる。私は1986年の来日公演には行ったし、彼の作品や言動はチェックしてきたものの、公になっていることしか知らなかっただけに、初めて知ることも多かった。自ら数多くのインタビューを行ったというダニエル・ドール監督に話を聞いた。

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本名プリンス・ロジャーズ・ネルソン(1958〜2016年)。住民の99%が白人という北ミネアポリスで育ち、独学で多くの楽器をマスター。幅広い音楽性、挑発的なメッセージをはじめ、インターネットを使った作品の発表など、天才ならではの数多な発想で時代を牽引した。7度のグラミー賞受賞、2004年にはロックの殿堂入りを果たす。私生活では2度離婚している。

あのプリンスがどのようにして誕生したかを描きたかった。

――プリンスのドキュメンタリーを作るきっかけは何だったのですか?

プリンスのバンド仲間が彼のドキュメンタリーを撮ろうと考えたらしく、契約や資金集めなどの手伝いをすることになったんだ。でも、彼らは「撮りたい」という気持ちだけで、どのようにして映画を撮るのかどうかをまったく知らなかった。そこで結局、私が撮ることになった。

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チャックD(パブリック・エネミー)などミュージシャンの貴重な発言も多い。

――方向性はどのようにして決めていったのですか?

リサーチする上で、ファンやコミュニティの人たちにアプローチして、情報を収集していった。でもファンは「プリンスについての映画を作って欲しくない。なぜなら、プリンスが亡くなってから彼について書かれた本や映画は、当人とプリンスとの関係だったり、死因についてだったりで、本当の彼の姿を描いていないからだ」と言ってきた。ファンこそがプリンスにとても近い存在で、彼のことをよくわかっていた。そして、プリンスについて知りはじめたら、彼がどのくらいファンにとって重要で、どのような影響をファンに与えてきたのかがわかってきて、そこからどのような映画を作るべきか方向性が決まったんだ。

――映画の前半は、彼が過ごしたミネアポリスの北部がどのような地域か、そしてプリンスの幼少期について描かれています。

彼がどのような地域でどのように育って、父親との関係も含めて、どのようにして今日の彼が生まれたかを描きたかったから、彼のコミュニティを訪ねたことから始まった。そこで最初にわかったことは、(彼のことをこれまで取り上げてきた人間は)誰も彼のコミュニティに行っていなかったことなんだ。

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最初は誰もプリンスについて話したがらなかった。

――ミネアポリス北部のコミュニティは取材しやすかったのですか?

いや、難しかったよ。最初の晩はとても大変だった。私はプリンスととても親しかった10人か15人くらいの人たちを夕食に連れて行った。夕食の間、私は質問を始めたものの、誰も答えてくれない。彼らは私を信用していなかったし、プリンスについて話したがらなかった。そこで、自分について彼らに説明し、時間をかけて接することで、私が彼らのために正しいことをしたいのだ、ということを理解してもらった。そこから徐々に私を信用してくれるようになった。

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プリンスによる最初のバンド、グランド・セントラル。右から2番目がプリンス。

――確かに、信頼関係を築くことから始まりますよね。

そうなんだ。私は彼らに「映画に入れたくないものは言ってください。あなたたちが映画に入れたいと思うものだけ、ここに残しますから。あなたたちには削除する権利があります」と伝え、コミュニティから承諾を得るところから始めた。そこから映画をプリンスが過ごしたコミュニティにフォーカスするようになった。彼らはプリンスを愛し、プリンスはそのコミュニティを愛していたからね。

――両親の離婚後、友人のアンドレ・シモンの家に住むようになったプリンスにとって、母親代わりをしてくれたバーナデット・アンダーソンをはじめとする地元の人々や、コミュニティセンター「ザ・ウェイ」 の存在が重要だったということが丁寧に描かれています。プリンスがずっとミネアポリスにこだわった理由も理解できました。

私が彼らにインタビューした後、彼らはもう誰にもプリンスについて話すつもりはないと言っていた。皆、これがプリンスとコミュニティの話を描いた最高の映画だと信じているから。プリンスのパフォーマンスの話ではなく、プリンスがコミュニティを愛している話だから、彼らは私の映画製作を100%サポートしてくれたのだと思う。プリンスの人間性について描いたことで、彼らは本当に感謝してくれている。彼らのために正しいことができたことを光栄に思う。

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チャカ・カーンとフレッドがプリンスの親友だった。

――プリンスは分け隔てなくみんなを愛し、ファンからもとても愛されていたものの、映画の終盤では彼には壁があったと語られていました。その壁について、もう少し伺いたいのですが。

チャカ・カーンがその発言をしていたと思う。彼女がすごく長い間、いちばんプリンスのことをわかっていたんじゃないかな。プリンスの実の(異父母)兄弟姉妹たちよりも、チャカ・カーンの方が姉弟のような関係性であって、彼を叱責していたというくらい本当に身近な存在だったんだ。

――取材する中で、監督もプリンスが壁を作っていたような感じを受けましたか?

要するに彼は、ひとりの人間のための愛を受け入れなかったということだ。なぜなら、それらの個人のほとんどは理由があってプリンスと一緒にいたわけで、たとえばプリンスのために働いたり、彼の大金を欲しがったりしていた。彼らからは下心が見え隠れして何かを欲しがるけど、ファンは彼から何も欲しがらない。しかも、彼は多くの人のたち命を救ったので、個人的な関係よりコミュニティと彼の関係に私は着目することにした。

チャカ・カーンはプリンスの5歳年上。共演も多い。

――プリンスは個人的な愛情を抱くことが苦手だったのでしょうか。

その理由のひとつは、彼は成長過程で愛をほとんど感じなかったことだろう。プリンスが周りの人たちと打ち解けなかったのも、信頼性というものをなかなかうまく築けなかったのかなと思う。ただファンの人たちは彼に絶大な信頼を置いていたので、そういった人間性もあったのかなと思っている。

――チャカ・カーンの他に親友はいたと思いますか?

フレッド・エバンズ(プレズリーパーク管理人)もそうだと思う。チャカ・カーンと同様に、プリンスに叱責できる人というのを、彼は求めていたんじゃないかな。カメラが回っていない時にフレッドが言っていたけど、プリンスは父親との関係にずっと引っかかって育ってきたから、彼には父親的な人が必要なんじゃないかな、と。それと、ただ一緒に遊んでくれる人っていう、お金などの利害関係がない状態の人間関係をプリンスは実は求めていたんじゃないか、とフレッドは感じていた。

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ありのままの自分を見せることで、彼はスターになった。

――"人間プリンス"に大きな影響を与えた人物として、他に誰が考えられますか?

ハリー"スパイク"モス(「ザ・ウェイ」代表)は、ゴールデングローブ賞を7回受賞するほどの優れたボクサーだったけれど、その後はプリンスの父親的存在だったと言っていい。というのも、彼はストリートの子どもたちを助けるために自分のキャリアを捨てて、活動家としてコミュニティセンター「ザ・ウェイ」を立ち上げた。そこは教育や音楽を楽しむ場となり、プリンスも入り浸っていた。そしてプリンスがある問題を抱えていた時に、それを克服するためにスパイク・モスが手助けして「自分のありのままの姿を見せていいんだよ」と彼に伝えたところ、そこからプリンスは開花してスターになったんだ。

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プリンスにとって父親的存在だったというハリー"スパイク"モス。

――映画の終盤では、ファンをペイズリーパークに招くなど、彼が大切にしている人々へどのような対応をしてきたか、その交流がいろいろと紹介されています。

プリンスにとっての生きていることの意義、つまり彼の人生の最大の目的は"人に与える"ということだったように、私は感じている。

――まさにハリー"スパイク"モスからの影響ですね。あなたは本当にたくさんの人たちに会ったそうですが、実妹のタイカには会ったのですか? プリンスの両親は彼が7歳の時に離婚し、双方とも再婚しましたが、現在は亡くなっています。

そこは話しづらいなぁ。タイカにも会ったけれど、これは公になっているので知っていると思うけど、彼女にはいろいろと問題があり、プリンスにお金をせがんでいた。一旦よりを戻したとされたけど、プリンスは彼女を拒絶し、お互い犬猿の仲になってしまった。プリンスが死んだ時、手にフェンタニル(註:モルヒネの100倍の効果を持つ鎮痛剤)を含む錠剤を持っていたため、誰が手に持たせたのか、その件も捜査中であって、その遺産相続の裁判についても私は全部追っているところなんだ。誰がやったかについては、彼のコミュニティでも意見が分かれていた。しかし、彼らは証拠をつかむことができず、今日にいたるまでいまだに捜査中だ。タイカはテレビでも取り分をもらった時に「このお金を使ってプリンスの大きなミュージアムを作ったり、何かいいことをしたい」と発表していたにもかかわらず、遺産が手元に入っても、またお金が要るという状況になってしまった。私個人としては、タイカには興味がないね。

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プリンスに宛てて、赤裸々な自分を手紙に書いて欲しい。

――私はこの映画を既に2度観ていて、プリンスを育てた地域コミュニティを知ることができたり、ファンを通した彼の人間性も描かれていたりと、心温まる秀逸なドキュメンタリーだと思っているので、そうですね、確かにタイカとのネガティヴな話は入れたくないですよね。

その通りで、これはプリンスの素晴らしさを讃えた映画だから、欲の強い人など悪い人々を出したくなかった。彼が亡くなってから、プリンスのことで金を稼ごうとしていた人ばかり目についたからね。

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カナダ・トロント在住のダニエル・ドール監督/プロデューサー。映画やTV業界で長年にわたり活躍。映像に特化した複数の企業も設立している。

――監督自身、この映画を製作したことで何か変化はありましたか?

プリンスは私の人生を変えた。そもそも私自身は、彼に対して風変わりで自己中心的な人かなと思っていたので、あまりプリンスに興味を持っていなかった。けれど、映画を作るにあたって知る上で、彼の人間性に魅力を感じ、完成した映画を観た後、この男は天才であるだけでなく、愛にあふれた素晴らしい人間なのだと気づいた。私は「愛している」と言うことは苦手だったのに、言えるようになった。彼は私に愛とは何かを教えてくれたんだ。最後にお願いがあるんだけど、いいかな。

――はい。

プリンスに手紙を書くことを読者に勧めてほしい。プリンスに手紙を書くという体(てい)で、ありのままの想いを伝えるために赤裸々な手紙を書くことで、何かに気付かされたり、それを読んだ人に何かしらの影響を与えられたりすることがあると思う。プリンスに手紙を書くということをきっかけにして、人と人とのつながりを深めていくことを私は勧めたい。


撮影する対象が監督にとって好きなアーティストだと、思い入れの強い(どこか偏った)ドキュメンタリーになりがちだが、この映画は逆に監督がプリンスのことを知ろうとしながら製作したため、フラットでスムーズにプリンスの世界観に入り込める。人間性に焦点を当てたことでプリンスの心の温かさに触れるようで、何度でも観たくなる内容なのだ。なおこのドキュメンタリーに幾度も登場する、プリンスから信頼されていたというミネアポリス在住の記者、アンドレア・スウェンソンが著書『Prince and Purple: 40 years』(Motorbooks 刊)をこの5月に発表したばかりなので、興味のある人はぜひチェックを。

『ビューティフル・ストレンジ』
●監督/ダニエル・ドール
●出演/プリンス、チャカ・カーン、チャックⅮ、ビリー・ギボンズ ほか
●2021年、カナダ映画 68分
●配給/アルバトロス・フィルム
©PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.
https://prince-movie.com

*To Be Continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
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