【虹の刻 最終章】村上虹郎×山田智和×常田大希。
2020.05.20
フィガロ本誌3月号より始まった新連載「虹の刻」は、俳優の村上虹郎と映像作家の山田智和、そして各回ごとに変わる文筆家と音楽家を招き、”とある瞬間”を表現する連載企画。
第16回目の文筆家には、小説家で劇作家の古川日出男が登場。音楽は、3人組のラップクルーMGFのKSKと、ピアニストShimon HoshinoからなるOsteoleuco(オステオロイコ)が担当。
等間隔に西日が射す、終わりの見えない線路に立つ。4人の表現者が描く、「水中分解」の話。
コート¥232,100、パンツ¥39,600、フリンジニット(参考商品)/以上アクネ ストゥディオズ(アクネ ストゥディオズ アオヤマ) 中に着たニット¥126,500(予定価格)/ジ エルダー ステイツマン(サザビーリーグ) シューズ/スタイリスト私物
水中分解 古川日出男
あんたにはこういう話をする。どんなに日本語を操るのが上手な作家たちも、いつかはその文学的な運動神経を失うんだって。どんなに豊富な、ラグジャリーな日本語の数を誇ってたりしても、そういうのも記憶喪失みたいになるんだって。
そのことがわかって、俺はとうとう覚悟を決めた。まず台所のシンクに水を張った。そこにコンピュータを沈める。さようなら、俺の執筆機械。それからノートを沈め、万年筆を沈める。さようなら、俺のアナログな筆記具。筆先からインクが流出して、水はブルーに染まり出した。そこに顔をつけた。さようなら、俺。
こういう死に方には根性が要る。俺の脳内で日本語が暴れる。俺の思考は日本語で構成されているから、そいつが崩れる。水、と俺は考えている、その漢字が剥がれる。音だけが残り、ミズ、になった。そうなんだ、「水」と「ミズ」は違う。水死しようとしてる人間が言うんだから本当だ。で、その先は?
呼吸が停められて、遂に「ミズ」だって失われる。思考の構成要素が、やわやわってなって、それは「み ず 」だ。もしかしたら「 ず 」で、この話をしている俺も、こんな日本語を う し な
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réalisation : TOMOKAZU YAMADA, direction de la photographie et montage : YUKI SHIRATORI, musique : OSTEOLEUCO , acteur : NIJIRO MURAKAMI, texte : HIDEO FURUKAWA, stylisme : KEISUKE SHIBAHARA, coiffure et maquillage : KATSUYOSHI KOJIMA(TRON)