充実の『モロゾフ・コレクション』展を目指して、パリへ行こう。
PARIS DECO 2021.11.12
9月22日にフォンダシオン ルイ・ヴィトンで幕を開けた『モロゾフ・コレクション - 近代美術のアイコン』展。これは2016年に開催され、130万人が来館した『シチューキン・コレクション - 近代美術のアイコン』展と合わせ鏡的な展覧会で、今回もまたこの展覧会を実現したフォンダシオンにおおいに感謝したくなる充実の内容だ。シチューキン・コレクション展では160点のフランス芸術家による作品が展示されたのに対し、今回は200点の展示でフランスのみならずロシアの芸術家の作品も含まれているという違いがある。これだけの作品を自力で見ようとするとサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館、モスクワのプーシキン美術館とトレチャコフ美術館を駆け回らなければならない。ロシア以外で公開されるのは初めてというモロゾフ・コレクションをフォンダシオンでは全館を使って展示している。時間をかけて心ゆくまで鑑賞を楽しみたい。
左: 地下のギャラリー2が『モロゾフ・コレクション』展の入り口。 右: 展覧会の始まりは、彫刻家アンナ・ゴルブキナによるモスクワ芸術劇場のためのマケット(1902〜03)から。奥に見えているのは、イワン・モロゾフの妻の肖像画。photos:Mariko Omura
最初のギャラリーは『画家とメセナ』。モロゾフ家や関係者の肖像画が集められている。Valentin Sérov, Portrait d’Alexeï Vikoulovitch Morozov, Moscou, 1909 Dmitri Melnikov, Portrait de Sergueï Chtchoukine, Moscou, 1914 Ilia Répine, Portrait de Pavel Mikhaïlovitch Trétiakov, Moscou et Saint- Pétersbourg, 1883 Konstantine Makovski, Portrait de Varvara Alexéïevna Morozova, née Khloudova, Moscou, 1884 photo© Succession Melnikov Dimitri © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage
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モロゾフ・コレクションというのは、セルゲイ・シチューキンとも友人関係にあったミハイルとイワンのモロゾフ兄弟が20世紀初頭に集めた芸術作品である。それら作品の運命はシチューキン・コレクション同様で、ロシア革命後1918年に国有化されてしまうのだ。長兄ミハイル(1870~1903年)が21歳の時にロシア芸術家の作品を購入したのを皮切りに、次いでモネ、ロートレック、ゴッホといったヨーロッパの画家の作品で折衷かつ大胆なコレクションをスタートするのだが、あいにくと早逝してしまう。その意思を継いで所蔵品を豊かにし続けたのが彼の1歳年下の弟イワン(1871~1921年)である。彼はスイスで学業を終えたあと若くしてモロゾフ家の財産を3倍に増やした優れ者なのだが、彼も決して長生きとは言えず、国にコレクションを没収されてから間もなく49歳で亡くなってしまう。
ギャルリー9のアンリ・マティスの部屋では1909年にイワン・モロゾフがマティスに依頼した『Fruits et Bronze(フルーツとブロンズ像のある静物)』(1910年)と、その作品を背景にヴァレンティン・セローフが描いたイワン・モロゾフのポートレートが並べられている。
イワンはフランスの芸術家たちに作品の依頼を行うメセナ活動にも熱心だった。その中の1907年に自宅の音楽室のためにモーリス・ドニにオーダーした『プシュケ』のシリーズがフォンダシオンの最上階のギャラリー10で再現されている。マイヨールの彫刻がここに含まれているのは、自分の作品が展示された音楽室を見た際に寂しさを感じたドニが作品に色を加え、さらに彫刻をプラスすることをイワンに提案したことからだ。音楽室の再現は今回の展覧会のハイライトのひとつといえる。
イワン・モロゾフ家の音楽室のためにモーリス・ドニが依頼を受けた『プシュケ』。photos:Mariko Omura
左: ミステリアスな自分の愛人の正体をプシュケが知る瞬間が描かれた5枚のパネルのうちの3枚目。 右: フォンダシオン内の一室では、イワン・モロゾフ邸内の写真を展示。どのように芸術作品が展示されていたかを知ることができる。
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また1910年にピエール・ボナールに彼がオーダーしたのは、自邸宅のメイン階段に飾るための巨大な『地中海』3部作。地下のギャルリー1がボナールと印象派の作品に当てられていて、この縦長の3点が会場のひとつの壁を占めている。そしてその左右には同じくボナールによる『春』と『秋』の展示だ。なおボナールの購入は兄ミハイルが1902年に始め、その後イワンが1905年から13年までの間にオーダーのほかに、8作品を購入している。
地下の第4室。ピエール・ボナールの作品で満たされた一室のひとつの壁に、『地中海』の3部作。photo:Mariko Omura
地下の第5室では、クロード・モネを含めモロゾフ兄弟が愛した自然をモチーフにした作品を展示。photo:Mariko Omura
アンリ・マティスのモロッコ3部作もギャラリー9にて。photo:Mariko Omura
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展示は合計47名の芸術家による作品200点である。30名がフランスとヨーロッパ、そして17名がロシアの芸術家という内訳だ。ヨーロッパの作品についていえば、ミハイルは1899年にコローの初の絵画、ロダンの初の彫刻『Eve(イヴ)』、1900年にゴーギャンの初の絵画『Te Vaa(La Pirogue)(カヌー)』、1901年にゴッホの初の絵画『La mer aux Saintes Maries(サント=マリーの海の風景)』とフランスの画家たちの作品を精力的に集め、1903年、亡くなる直前にコレクション唯一のムンクの絵画となる『Nuit blanche. Osgarstrand(Filles sur le Pont)(オースゴールストランの白夜 橋の上の少女たち)』を購入している。イワンは1900年に引っ越した邸宅を絵画のギャルリーに変身させ、1903年にシスレーの初の絵画『Louveciennes(ルーヴシエンヌの雪)』(1873年)を購入。国有化された時点で彼の所蔵品の中のフランス芸術家による作品は240点を数えたそうで、その中にはイワンが1908年に最初にロシアにもたらしたピカソの作品『Les deux Saltimbanques(Arlequin et son amie)(アルルカンと女友達 サルタンバンク)』も含まれていた。デュラン= リュエル、ヴォラール、カーンワイラーといったパリの有名な画商たちのアドバイスを得て、兄弟が収集した素晴らしいコレクション。日頃目にできる機会が少ない巨匠たちの作品が多数で見ごたえたっぷりの展覧会である。すべてをここに紹介できないのが残念だ。
左:『オースゴールストランの白夜(橋の上の少女たち)』(1903年)はモロゾフ・コレクションが所蔵した唯一のエドヴァルド・ムンクの作品だ。右: パブロ・ピカソの『アルルカンと女友達(サルタンバンク)』(1901年)。photos:Mariko Omura
左: エドゥアール・ドガが入浴後の女性を描いた『Après le bain』(1895年)。 右: ポール・セザンヌ『Baigneurs』(1892〜94年)。第8室はセザンヌに捧げられ、次の第9室ではセザンヌの肖像画に影響を受けたロシア人画家たちの作品を展示。photos:Mariko Omura
左: 地上階の第6室はゴーギャンに捧げられている。『Café à Arles(アルルの夜のカフェにて)』(1888年) 右: 第10室にはゴッホがサン=レミ=ド=プロヴァンスで描いた『La Ronde des Prisonniers(刑務所の中庭 囚人の運動)』(1890年)
会期:開催中~2022年2月22日
Fondation Louis Vuitton
8,,avenue du Mahatma Gandhi
Bois de Boulogne
75116 Paris
開)10:00~20:00(月~木) 10:00~23:00(金) 9:00~21:00(土、日)
料)16ユーロ
チケット予約:https://www.fondationlouisvuitton.fr/en/visit
editing: Mariko Omura