いま再び。ラリックのガラス工芸が輝くアール・ドゥ・ヴィーヴル。
PARIS DECO 2024.01.26
1925年に開催された現代装飾美術・産業美術博覧会。現在プティ・パレで開催中の『モデルニテのパリ 1905~1925』展でも大きく紹介されている。"アール・デコ"という言葉が生まれることになるこの博覧会でラリックはパビリオンを開き、その前に15メートル高さの噴水「フランスの源泉」を設置しておおいに話題と注目を集めた。さらに博覧会場のひとつであるグラン・パレの香水パビリオンのフランス部門に6メートル高さの香りの噴水もクリエイト。また会場内に設けられた複数の門のひとつは、3つの職業(鍛冶屋、機織り、陶芸家)のモチーフを浅浮彫したガラスパネルを施した鉄枠の門で、このパネルも彼の仕事だった。来年100周年を迎える博覧会である。時代を超えて美しいルネ・ラリックが手がけたガラスの装飾について、再びスポットが当てられる機会がこれから増えるのではないだろうか。
左: プティ・パレで4月14日まで開催の『モデルニテのパリ 1905〜1925』展。 右: ルネ・ラリックが制作した1925年の現代装飾美術・産業美術展会場の正門の一部が展示されている。photos:Mariko Omura
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アール・ヌーヴォーのジュエリー作家として名を馳せたルネ・ラリックが、ガラス工芸装飾へとクリエイションを広げていったのは20世紀に入ってから。インテリア部門においてプレスティージュな初仕事が依頼されたのは1908年のことだった。パリ17区、モンソー公園近くに瀟洒な建築物が並び、いまも屋敷街の趣を保っているプロニー通りがある。彼はその30番地の建物の内装に関わったのだ。通りに面してテラスを持つヴィラのような個人邸宅は1876年に女優でありクルチザンヌのレオニッド・ルブランのために建てられたもので、ネオ・ルイ13世紀スタイルの建築物。その建物をジャック・ルーシェが入手し、大改装を行ったとのことだ。当時ルーシェは1893年に結婚した妻ベルトのファミリーが18世紀に創設した香水メゾンLTPivertのオーナーで、その後1914年から45年までパリ・オペラ座の総裁を30年間務めている。セルジュ・リファールを芸術監督に指名した立役者が彼なのだ。
左: 1876年にウージェンヌ・フラマンが設計したプロニー通り30番地のヴィラ。アール・ヌーヴォー期の建物らしく植物の装飾が外壁に施されている。 右: ジョルジュ・ルーシェが建物を入手後、ルイ・バリエに依頼したステンドグラスはいまも残されている。ジャズがテーマで楽器がモチーフだ。photos:Mariko Omura
家を入手した彼はマティス、モーリス・ドゥニ、ルイ・マジョレルなど当時の著名な芸術家たちに内装を依頼した。ルネ・ラリックはエントランスホールの装飾、ブロンズ製の麦の穂のドアノブをクリエイト。また1905年に彼が発表したトンボとスカラベのシャンデリアがキッチンに設置された。ルーシェ家の仕事の後、ルネ・ラリックはクチュリエのジャック・ドゥーセの自宅のガラス装飾を手がけるなど、インテリアの分野での活動を広げ、そして1925年の博覧会にガラス工芸のメゾンとして参加することに......。
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さて、このインスピレーションあふれるプロニー通り30番地の建物が昨秋にラリックの本社となった。当時の名残がほとんど失われてしまった建物内に、ラリック・インテリア・デザイン・スタジオ(LIDS)はメゾンのアイコニックなモチーフを現代的に解釈したガラスとクリスタルの室内装飾を施した。月桂樹、つぐみとぶどうなどが彫り込まれたガラスパネルが階段、ドアを飾り、また天井からはツル科の植物をイメージしたランプが下がり......自然光や人工光とのガラスの遊びに、創業者のエスプリが建物内に光り輝いている。
新たに設けられた月桂樹を描いたガラスの扉。©️Fabrice Van Hove
左: エントランスホール、リーフモチーフのライトが天井に瞬く。同様のモチーフの照明が階段ホールにもなされている。 右: 階段にはめられた月桂樹のパネル。photos:(左)©️Fabrice Van Hove、(右)Mariko Omura
©️Fabrice Van Hove
つぐみとぶどうのアイコニックなモチーフが本社内に再現された。photo:Mariko Omura
あいにくとこの建物は一般公開はされていないので、見学は不可能。来年の現代装飾美術・産業美術博覧会100周年に想いを馳せてアール・デコ・スタイルを堪能したければ、ラリックのガラス工芸を取り入れた朝香宮邸である東京都庭園美術館に行ってみては?
editing: Mariko Omura