『マダム・マロリーと魔法のスパイス』と、消えたインド料理店の話。

2014年公開の映画『マダム・マロリーと魔法のスパイス』は、フランス映画ではなくフランスが舞台のアメリカ映画だ。スティーヴン・スピルバーグとオプラ・ウィンフリーが制作に加わっているが、そんなことも知らずぼんやりと観た。それでものちのちまで「良かったな、あのフランス料理店の前にインド料理店の映画」と何度も思い返す映画となった。

「フランス料理店の前にインド料理店の映画」というと、あまりにいい加減な概要のようだが、実際このひと言に尽きる映画だ。

ある南仏の山間に1ツ星のフランス料理店がある。その向かいに、国から逃げ出してきたインド人一家が、父親の鶴のひと声でインド料理店を開く。このふたつのレストランの距離が100フィートで、それが原題の『The Hundred-Foot Journey(100フィートの旅)』へ繋がる。

近年、フランスが舞台のコメディ映画というのは移民問題を織り込んだものが多いと思う。重要なテーマだからこそコメディなのかもしれないし、そもそも現代フランス社会に暮らすすべての人にとってあまりに身近なテーマだから織り込まずにはいられないのかもしれない。この映画で象徴的なのは、フランス料理店の伝統的なオムレツに、インド料理店の次男ハッサンがスパイスを加えるシーン。マダム・マロリーの「200年来のレシピなのに」との言葉に、ハッサンは「200年も使えば十分じゃない?」と答える。受容し、理解しようと努め、ときに自分が大切にしていたものも手放さなければ100フィートの距離は縮められない。

誰しもが予想するように、世界はこうであればよいという道筋から一切外れない映画だ。だからなのか、同作はメディアからこぞって辛口評価を受けていた。フランス版のタイトルが『Les Recettes du bonheur(幸せのレシピ)』という、2秒で決めたようなものだったことも辛口評価に拍車をかけていたようだ。

一方、一般の観客からは好感度の高い映画である。
一緒にこの映画を観たのは大学で映画を学ぶ監督志望の青年だったのだが、「批評家には受けないと思うけどこういうのはいい。現実にないものがいい。映画は夢だから」と言っていたのを覚えている。映画専門のWebメディア「Allociné」でも平均評価点はメディアより一般観客の方が星1つ以上高かった。そしてこの映画は観終わると必ず、何かおいしいものを食べたくなる。料理をテーマにする映画なら、それはひとつの成功のかたちであるはずだ。

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photo:iStock

後日、そんなふうにこの映画の話を友人にしていると、何となく流れでその夜インド料理を食べに行くことになった。友人と親しいインド人女性が教えてくれた店で、マドレーヌ寺院とコンコルド広場のあいだにあった。

入ると、これだけの好立地で土曜の19時だというのに、白髪をシニヨンに結った白人女性がひとり、食事をしているだけだった。私たちは広い店内で好きなテーブルに着くよう言われ、前菜にタンドリーチキンをとった。メニューを見て迷っているとウェイターが無言でタンドリーチキンの文字をトントンと指で叩くので、従ったのだ。

私たちが食事をするあいだずっと、5人のウェイターがテーブルの真後ろに直立不動で並んでいた。彼らは赤と金のひも飾りがついた白いコックコートのような制服と帽子を身に着け、無表情に立っていた。

追加注文をしようと呼びかけると、5人は探り合うようにお互いを見た。ひそひそと何かを話し合ったあと、ひとりが「仕方ないなあ」といった風情で私たちのテーブルにやってくる。ナイフを落としても、飲み物を注文しても同じことが繰り返される。
一体何を話し合っているのだろう? 友人と私は自然と声を落として、ついにはウェイターのようにひそひそと会話をするようになった。静かで、緊張感漂う食事だった。

最後に会計を頼むと、5人は戸惑ったようにまたお互いに顔を見合わせ、しばらくして奥から制服を着ていない別の男が現れた。食事はどうだったか?など何も言わず、無言のまま会計して、私たちは店をあとにした。

私はタンドリーチキンを食べるのはそれが初めてのことだったのだが、その後ほかのインド料理店を訪れるうち、それがぶっちぎりでおいしいタンドリーチキンだったのだということに気が付いた。あんなに柔らかくていい香りのタンドリーチキンには、いまだ出合えていない。

だから数カ月のちに近くを通りかかった際、もう一度行ってみようと思い立ったのだが、その店を見つけることはできなかった。場所ははっきりと覚えているし、閉店したり、居ぬきでほかの店が開店した様子もなかった。

一緒に行った友人にも聞いたが、その場所で間違いないという。別の日にふたりでもう一度行ってみたが不思議なことにやはり見つけられなかった。

あのタンドリーチキンはもう食べられないのかと思うと少し残念な気持ちになったが、私にとって『マダム・マロリーと魔法のスパイス』という作品はこれも含めた映画体験だった。不思議な夢みたいで、おいしくて、何だか忘れられない。

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