私が初めて「リオレ」を食べたのは、隣人であったフランス人夫妻の夕食に呼ばれた時だった。

リオレとはつまりライスプディングのことで、フランスではとてもポピュラーで家庭的なデザートである。だから各家庭で作られるものも、お店で出てくるものも、スーパーで買うものも、それぞれ個性がありレシピも違う。その時に振る舞われたものについては、香辛料の効いた甘みの強いクリーム状のものに、硬めに炊いた米が大量に交じっているものだった。

それをひと口食べたあと、私はあからさまに動揺してしまった。これは、食べられない、と思ったのだ。

私はつねづね砂糖断ちを提唱している人間だが、それは子どものころからとにかく甘ければなんでも好きというくらいに生粋の甘党だったからだ。そうでなければ砂糖断ちなんて必要ない。甘ければなんでもおいしいはずの私がこれ以上食べられないと思った初めてのデザート、それがリオレであった。

しかし私がそれをなんとか食べようとしていると、夫妻はハッと気付いたように「君、それ嫌いだよね、日本人リオレ嫌いだもんね」と言って私に代わりのヨーグルトを出してくれた。私はもちろん詫びたし心から申し訳なく思ったのだが、彼らは「いやいや、日本人みんなこれ嫌いだよね。気にしないで」と慣れた様子に見えた。

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フランスで市販されている、ネスレのリオレ、ラムレーズン味。

それからも、いろんな場所で私の目の前にはたびたびリオレが置かれたが、その都度同じように

「そうだった、日本人リオレ嫌いだよね」

と回収されることになった。

「私はリオレ好きだけどなあ」とパクパク食べている日本人の友人も、私は知っている。知ってはいるが、あまりに毎回「そうそう、日本人リオレ嫌いだったよね」と言われるので、これはやはり私以外にも相当数の日本人がリオレを食べられないのではないかと考えている。

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しかし、ある日、フランス人と中国人のカップルに持ち寄りパーティーへ呼ばれた時のこと。
私は飲み物のほかにグラタンを大皿に作って持っていった。あまり料理は得意ではないがグラタンだけは子どものころから仕込まれて、そこそこ上手くできる自信があったからだ。

オーブンを使わせてもらい熱々を提供したのだが、そのパーティーに参加していた5人の中国人は誰も私のグラタンには手を付けなかった。

「え、グラタン嫌い? みんな嫌いなの?」

やっぱりちょっとショックだったので、その場で最も親しかった中国人の女の子に直球で聞くと、

「嫌い」

ときっぱり言われてしまい、一瞬、聞き間違いでは?と淡い期待にすがったほどだった。私ならば多少嫌いであろうと、もう少し取り繕おうとするところなのに、ここまでの剛速球を投げて返すとは、よほどのことである。

彼女は続けて、

「でもそれはあなたが悪いんじゃない。中国ではバターはお菓子を作る時に使うもので、こういう風に料理には使わない」

と説明してくれ、ほかの中国人も彼女の言葉にうんうんとうなずいた。牛乳や生クリームを使った料理も苦手で、つまりホワイトソースは嫌いなもののコンボだという。

この言葉は、子どものころからバターを使えば料理は格段においしくなると信じてきた私にとって、大変な驚きがあった。念のためバター醤油味でもだめかと尋ねてみても、バターに醤油? なぜそれが良いと思った?という反応しか得られないのだ。なんということだ。

同時に、つまりこれはリオレの「料理に使うはずの米をデザートに使うなんて信じられない」と同じ、「デザートに使うはずのバターを料理に使うなんて信じられない」を自分自身がやってしまったということなのでは?と思いついた。

私にとってホワイトソースもバター醤油も絶対的な正義であった。それと同じようにリオレを愛するフランス人にとっても、それは子どものころから当たり前のようにそこにあり、当たり前のこととして客人に出してみると「え、米を? 甘く? そんな、米をデザートにするなんて!」と驚かれたとしたら、あちらとしても初めはびっくりしたことだろう。

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私がリオレを嫌いなのは、単に「米は食事」という子どもの頃からの習慣が思い込ませているだけかもしれない。

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photo: iStock

そう思ってある日、友人と大好きなビストロのランチに行った私はデザートにリオレを選んでみた。そして想像してみる。米は私が生まれた時からサラダやデザートに使われるのは当然のことだった、そういったものをごく自然に食べながら自分は育ってきたのだと。

その時出てきたリオレはクレームキャラメル、つまりプリン(硬め)の中へ全体的に米が混ぜ込まれているものだった。米は大粒でふっくらしているが芯は残っている。そして、ひと口食べてみて思った。

“米さえ入っていなければすごくおいしいのに”

と。

しかしそこには初めて、私とリオレのあいだに一瞬の和解があった。

最初から顔を背けるのではなくて、「これはおいしいものだし、おいしいと思う人がたくさんいるだろう」ということが理解できた。自分にはおいしくないけれど、おいしいと思う人がおいしいと思う理由を舌で感じ取ることができたのだった。うれしかった。

それでも私にはやっぱり克服できない。

育ってきた環境の味覚への絶対的な影響、それを克服することの難しさを私に教えてくれたもの、それが「リオレ」だった。

パリの片隅で美容ごとに没頭し、いろんな記事やコラムを書いたり書かなかったりしています。のめりこみやすい性格を生かし、どこに住んでもできる美容方法を探りつつ備忘録として「ミラクル美女とフランスの夜ワンダー」というブログを立ち上げました。

パリと日本を行き来する生活が続いていますが、インドアを極めているため玄関から玄関へ旅する人生です。

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