転職と天職 ー 刺繍作家ヴィルジニィ・ルノーの仕事。
パリジェンヌの転職と天職 2020.05.01
Virginie Renault(ヴィルジニィ・ルノー)
ルイ・ヴィトンの靴の購入者のため、シューズケースに刺繍を施すヴィルジニィ。
http://virginierenaultbrodeuse.com
Instagram:@virginie.renault_brodeuse
ヴィルジニィの刺繍を見ていると、刺繍のイメージが一新する。絵の具の代わりに糸やビーズで絵を描いてるみたい、インクの代わりに糸やビーズでイラストを描いているみたいだ。刺繍はどちらかというと二次元の世界だが、彼女の刺繍は立体感もある。イラストレーターとのコラボレーションも新しい刺繍の分野だ。彼女が刺繍の仕事を始めたのはいまから5年前。日々情熱を傾け、針を動かす彼女は、いかに刺繍の道に入り、いかに歩み続けているのだろう。
2年前にヴィルジニィが始めたパーソナルプロジェクトはイラストレーターとのコラボレーション。これはCamille Garoche (カミーユ・ガロッシュ)の絵本『Fox’s Garden』に収められたイラストを、ヴィルジニィが刺繍で立体感をもたせて表現した作品だ。photo:Courtesy of Virginie Renault
刺繍との出合い。
「ジャン=ポール・ゴルチエのクチュールアトリエのルポをテレビで見ていて、職人技、プティット・マン(お針子)たちの仕事に目を奪われてしまったの。彼女たちが指を動かして刺繍を進めてゆく様子を見て、閃くものがあったんです。ひと目惚れなので、それがなぜかとか言葉で説明するのは難しいのだけど……」
イラストとグラフィックデザインを学んだ彼女。もともと布や糸といった素材も好きで、そのふたつを結びつける方法が刺繍だ!とテレビを見ていて思ったのだ。
刺繍を職業にするべく、早速行動へ。刺繍といったら誰もがすぐに思い浮かべるのが、パリで最大規模のルサージュ刺繍学校である。彼女もここでしばらく学ぶが、自分に向くタイプの刺繍の授業がなかったために、ほかの場所を探した。
「Shikha Chireux(シカ・シルゥ)のインド刺繍のアトリエを見つけ、ここで1年間かぎ針刺繍と金糸刺繍ほか、たくさんのテクニックを学びました。メタリックな糸やジャズロンを用いる金糸刺繍はとても難しくて時間がかかるのだけど、彼女から受けた指導はどれも豊かなもので、まったく後悔していません」
シカ・シルゥの教室で制作したボリューム豊かでゴージャスな金糸刺繍は、著作権の都合で残念ながらここに紹介できない。彼女のホームページやインスタグラムで見ることができるので、のぞいてみるといいだろう。
職人仕事とアートの両面を備えているヴィルジニィの刺繍。
自然界からのモチーフ。彼女の場合、花よりも昆虫や蛇が選ばれる。photos:Courtesy of Virginie Renault
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刺繍家以前の職業は……?
「7年間、青少年向け書物の仕事をしていました。イラストレーションとグラフィックアートを専攻したので、卒業後青少年向けの書物のデザインに関わりたいと思って、パリ中のジュニア書店を回ったんです。それで14区のある書店がすっかり気に入って……。ジュニア書のイラストについて学べるから、たまに書店に仕事をしにきてみたら?とオーナーから提案されました。これは過去にどんな仕事がなされたのか知るよいチャンスとなりました。書店主とすっかり息が合い、雇用され、そして共同経営者となり、一緒に多くのことを手がけました。あいにくと経営は大変で、2014年に閉店となったのです。よい仕事でしたけど、天職というのとはこれは違います。閉店まであと1カ月、さて、これから自分は何をしようか?と考えていたところで、先にお話ししたお針子のルポをテレビで偶然見たというわけです」
イラストレーターAdolie Dayとのコラボレーション。photo:Courtesy of Virgnie Renault
刺繍家として仕事をスタート。
シカに学び、刺繍は自分のためにある!と確信したヴィルジニィ。芸術的刺繍の確かな知識と技術を得て、プロとしてやっていけるという自信もついた。それで、自作の刺繍をマクロ撮影してもらって、美しい写真を集めたブックを制作。
「営業を学んだわけではないので、ブックを持って自分なりの方法で売り込みをスタート。私の場合、心に感じるままに行動することが多く……書店で仕事をすることになったのも、そう。こうして、最初に得た、つまり支払いのあった仕事はボン・マルシェで毋の日のためのイべントで、小さなタグにママンとかアムールといった文字を刺繍することでした」
刺繍に関するあらゆる工程が好きだという。モチーフ、素材、作業……最初から最後にいたるまで、同じ情熱を持って彼女は取り組んでいる。
「意欲と喜び。これに導かれて刺繍を進めているだけです」
手芸店があると必ずのぞいてしまうという彼女。パリでよく材料を調達する店はFried Frères(13 Rue du Caire, 75002)とLe Comptoire à Perles(86, rue de Rochechouart 75009)だそうだ。photo:Courtesy of Virgnie Renault
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さまざまな活動。
「刺繍の仕事は自宅でひとりきりで作業する時間が長いですね。でも、たとえばSézane(セザンヌ)のブティック内で行ったパーソナライゼーションでは、買い物客のTシャツやジーンズにイニシャルや言葉を刺繍しました。ブランドとの出合い、ブティックの販売員、そして買い物客……直接の出会いがあります。刺繍のアトリエを開催するとインスタグラムのフォロワーたちが会いに来てくれる機会となって、これもうれしいことですね。個人客のオーダーや、ウエディングドレスのブランドからのオーダーは自宅で進めますが、これも私には楽しい時間なんです」
可能な限り刺繍を続けていくことが彼女の夢。多くのことを多くの人とともに探ってゆきたいと思っている。
「バリエーション豊かな活動の中でいちばんの喜び、それはパーソナルプロジェクトの刺繍かもしれません。これは100%自由な作業ですから。気に入ったイラスト、あるいは私が好きなイラストレーターの仕事を選び、それを糸やビーズといった素材でボリュームをつけ、レリーフをつけて刺繍する。使用する素材に好き嫌いはなく、イラストを刺繍に置き換えるのにぴったり合った素材や色を見つけることも楽しんでいます」
昨年12月はセザンヌ、メイク・マイ・レモネード、コーダリーといったブランドで、パーソナライズ刺繍を。photos : Courtesy of Virginie Renault
イラストレーターの仕事を刺繍する。
「このパーソナルプロジェクトのきっかけとなったのは、シャルロット・ガストーのイラストです。彼女の仕事は書店時代から知っていて、私は彼女の仕事の大ファン。シャルロットのイラストって豪華そのものでしょ。見ていると刺繍が浮かんでくるんです。イラストに描きこまれたたくさんのディテール、仔細で繊細で……オートクチュールのよう。イラストが刺繍に見えてきます。彼女のイラストを刺繍し、すっかりこの仕事が気に入り、シャルロットだけでなく、私が気に入っている青少年向け書物のイラストやバンドデシネの作家たちの作品も刺繍してみたい……となって。私の学んだデッサンやイラスト、それを刺繍と結びけるパーソナルプロジェクトです」
お気に入りのイラストレーター、シャルロット・ガストーの『Secrets d’étoffes』(Albin Michel刊)のイラストを刺繍に。
刺繍が完成するとイラストレーターにプレゼント。たまに販売されるものもある。photo:Courtesy of Virgnie Renault
書店時代の仕事のおかげで、気に入っている大勢のイラストレーターの名前には事欠かない。刺繍の仕事をしていてとても幸せ、とヴィルジニィは語る。こうしてアーティストたちとのコラボレーションができることは彼女にとって素晴らしい出来事。セックスやエロスを官能的なイラストに表現するPetites Luxures(プティット・ルクシュール)がサンフランシスコで開催する展覧会のために、彼の作品のひとつを刺繍にしてほしいというリクエストがあった。
「あいにくとあちらも外出制限なのでバーチャル展覧会となったけれど、私の刺繍が展示されたのはとっても素晴らしいことよ。シャルロット・ガストーはもちろん、ソフィー・ランブダなど才能あふれる人たちとのコラボレーション。幸運ですね」
バンドデシネ作家のRiad Sattoufの作品を、これから刺繍に。photo:Courtesy of Virginie Renault
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広がる刺繍の可能性。
刺繍の可能性を広げたいという思いを抱く彼女は、こうしてアーティストたちと仕事をする幸せをかみしめている。彼女が生み出すさまざまな刺繍からは、刺繍の枠を超えた新しい世界が見いだせる。とりわけ刺繍を施すベースの素材について、意欲的に新しい試みをしているそうだ。
「普通は布に刺繍しますね。でも、私は布以外にも刺繍をします。アトリエ・サン・ルーというバッグや革小物のブランドの仕事では、革に刺繍。これまであまりなされていないことなので、革ベースの刺繍について開発してゆこうと思っています。そして、紙も。紙の彫刻家として知られるLauren Collinの作品は、刺繍ととても相性がよく、彼女の作品に刺繍を施すプロジェクトが進んでいるんですよ。彼女とコラボレーションできるなんて!」
ペーパーアーティストのLauren Collinとのコラボレーションでは紙に刺繍を。photo:Courtesy of Virginie Renault
サポートのバリエーションを増やす彼女だが、使用するテクニックはインドのかぎ針刺繍が少しほかより多いかもしれないが、表現したいイメージに合わせて過去に学んだあらゆるテクニックの中から選んでいる。糸やビーズといった材料は市場にバリエーションが豊富なので、既存の品がもたらしてくれる可能性でおおいに満足しているという。
réalisation : MARIKO OMURA