転職と天職 マリー・カステル、広告業界を経てアール・ド・ラ・ターブル。
パリジェンヌの転職と天職 2020.10.15
メゾン・フラジルにて。video : courtesy of Marie-Anne Bruschi(www.re-voirparis.com)
もしこんなカップでカフェをサービスされたら? それにしても、こんな大胆なアイデア。誰が思いついたのだろうと思わずにはいられない。カップの裏にMaison Fragile(メゾン・フラジル)、リモージュのポースレン、と書かれている。受け皿中央のお尻のヌードは本誌でもおなじみのソニア・シエフが撮影し、写真集『Les Françaises』に収められているものだ。
デパートのル・ボン・マルシェにもコーナーを持つメゾン・フラジル。2017年に創業したのはMary Castel(マリー・カステル)で、18年間広告業界で働いていたという溌剌とした才気あふれる女性である。
「最初はプライベートのアートスクールに通い、その後エコール・デュ・ルーヴルで学んで……。広告の仕事につきたいという思いがあって、次の学校ではマーケティング とパブリック・リレーションズを専攻したの。広告の仕事って、もちろん最終的には数字で結果を出す必要があるにせよ、クリエイションに常に関わっていられることがとても気に入っていて……この仕事を通じて大勢の写真家、イラストレーター、映像監督たちと知り合いになり、いまでも親しくしています。仕事は18年くらい続けたかしら。クライアントはさまざまで、クリュッグの仕事では素晴らしいシャンパンの味わいを知ることができ、フランスのラジオ局の時は文化的分野に触れ……幸運なことは厚生省を担当できたことね。この仕事では、避妊計画といった問題に3年間取り組んだのよ」
マリー・カステル。彼女の手の中にはプルーストが描かれたカップが。photo : MARIKO OMURA
ソニア・シエフとのコラボレーションによる「Les Françaises」。コーヒーカップ(44ユーロ)から大皿(74ユーロ)まで4種あり。
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フレンチ・ガストロノミーとアール・ド・ラ・ターブル
「ある時、Labeyrie(ラベリ)というフォアグラなどの食料品のメゾンの担当になり、彼らとともに今日のガストロノミーとは?ということについて考えたんです……振り返ってみると、メゾン・フラジルが生まれるきっかけがこの時にあったのではないかと思う。フランスの美食ってユネスコの無形文化財のひとつで、昔からの資料の中に美食を構成する要素のリストというのがあって、アール・ド・ラ・ターブル(食卓術)もその中のひとつだと知ったのね。当時、ダイヤモンド商のボーイフレンドが私をあちこちの有名シェフたちの美食レストランに連れて行ってくれて……。テーブルでお皿を裏返して見るようになったのもこの頃から。思ったのは“信じられない、どれも似たり寄ったりじゃない!”って。もちろん私の主観だけど、どのお皿もひどく時代遅れに見えたわ」
もともとアール・ド・ラ・ターブルは、マリーが興味を持っていたことだ。というのも、彼女の曽祖父はリモージュで陶磁器製造所のディレクターを務め、曽祖母はパリ10区のパラディ通りで陶磁器とクリスタルを扱うブティックを経営。大勢の孫、ひ孫の中でもマリーを特別扱いしてくれた曽祖母から、食卓術の初歩を学ぶことができたと彼女は喜んでいる。叔父はレストラン経営者、父親も食べることが大好きで……という環境で育ったマリー。曽祖母が結婚した時に贈られた80ピースからなる白とピンクの食器一式が、30歳の誕生日にマリーに譲られた。あいにくとパリのアパルトマンの暮らしでは、これをフルに活用するのはたやすくない。ごく親しい人を集めて自宅でディナーを行う時に登場させるそうだ。
リモージュの伝統的な磁器(ポルスレーヌ)をマリーはオフィスのテーブルに並べている。そのピュアな美しさが彼女のアイデアの源泉となっているそうだ。昔ながらのサヴォワールフェールが生かされた楽焼は例外だが、彼女はいまの流行りの砂岩を素材にした陶器は素材感ゆえ好きになれないという。photo : Mariko OMURA
「私の頭の中で、アール・ド・ラ・ターブルが徐々にオブセッションとなっていって……そんな頃、道端に捨てられていた段ボールが目にとまったの。大きくFRAGILE(フラジル/壊れ物)と書いてありました。陶磁器を詰める段ボールには、常にこう書かれてるんですね。メゾン・フラジルのアイデアが生まれたのはまだ広告の仕事をしている時。そのアイデアというのは、現存のアーティストとともに、小規模な職人も含めてリモージュの複数の磁器製作所を稼働させたい、ということでした。仕事は好きだったけれど、自分がしたいことをするために代理店を辞め、大学でインターネットビジネスの修士号をとりました。授業で、頭の中に湧いていたアイデアをベースにしてメゾン・フラジルをプレゼンしたところ、教授も友人たちも素晴らしい!って言ってくれて。在学中にこのプロジェクトを進めていったのよ」
リモージュのチームに囲まれたマリー。photo : BENJAMIN BOCCAS
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リモージュ焼きとアーティスト
心強いことにリモージュには彼女の親戚、そして2人の子どもの父親の親戚が暮らしている。これは彼女にはとても幸運なこと。というのも、閉ざされた世界なので製造所の扉を開かせるのは簡単ではないからだ。さまざまな製造所と議論を交わした後、マリーは曽祖父母の歴史にオマージュを捧げる“メゾン・フラジル”の具体的なプロジェクトを家族に説明した。
「クリスマスの晩にみんなが集まった時に。でも自分ひとりでこの冒険に乗り出すのではなく、家族一緒にやりたいと思っている、と。父は経営面、弟はアーティスティックディレクション、そして叔父には法律面を……というようにお願いしたの」
リモージュの磁器をいまの時代の趣向に合うものとし、若い世代に美しい品への嗜好を与えることを目標に、マリーはメゾン・フラジルを2017年に設立。クラウドファンディングの「KissKissBankBank」で3万ユーロの資金調達に成功した。その際に彼女が見本として示したのは、7名のアーティストによるお皿だった。イラストレーターやカメラマンたちと過去の仕事で築いた友好関係は、マリーが抱くリモージュ焼の新しいビジョンの実現におおいに役立っているのだ。マリーはアーティストのセレクションは作品以前に人物が気に入らないことには、と出会いを大切にしている。
「私のアイデアが常に最高ということではありません。ロゴ、パッケージング、ビジュアル・アイデンティティなどグラフィックについて担当する弟も、アーティストのセレクションに関わっています。私は彼のセンスを信頼しているので、彼の意見は尊重します。といっても口げんかは絶えませんけど……」
KissKissBankBankで受注生産のオーダーを受け付けたうつわのテーマのひとつは「パラディ通り」。パリの東駅に近く、かつてマリーの曽祖母も含め陶磁器を扱う商店が軒を連ねていた通りへのオマージュだ。左は人気のカリグラフィー作家ニコラ・ウシュニールが歌手アレクシア・グルディが作詞した歌詞を回転するレコードのイメージで描いたお皿(Φ27cm 59ユーロ)。右は写真家シャルル・プティが1960年代にパラディ通りの辻公園を撮影した写真のお皿(Φ16cm 32ユーロ)。photos : DIMAS J STUDIO
左:「パラディ通り」より。イラストレーターのヴァイヌイ・ドゥ・カステルバジャックは解釈を広げて、グルメなパラダイスを子ども向きに。(Φ21cm 48ユーロ) 右:アーティストのエティエンヌ・バルデリが大理石をイメージして描いたモチーフ5種は「パラディ・マルブレ」と呼ばれるコレクションだ。photos : Dimas J Studio
弟のロマンとマリー。昨年コラボレーションをしたアラン・パッサールの野菜畑にて。photo : NICOLAS BUISSON
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メゾン・フラジル、初クライアントは大統領官邸エリゼ宮!
2017年5月3日にKissKissBankBankで集まったオーダーの前払金をもとに、リモージュで製造を開始し、10月にクラウドファンディングの注文者たちに商品を配達。7名のアーティストによるお皿の一部はデパートのボン・マルシェやコレットでも販売されるという好調な滑り出しだった。
「KissKissBankBankで資金を得る前にエリゼ宮のシェフ、ギヨーム・ゴメスに会う機会があって、彼はメイド・イン・フランスを掲げる私のプロジェクトを気に入ってくれたの。ちょうど大統領選の真っ最中の時期。彼が、もし“よい”大統領が誕生したら連絡するよ!って。5月7日にエマニュエル・マクロンが選ばれ、約束どおりゴメスから5月16日に連絡があって。彼からの希望は小規模なミーティングの時に使う深めのうつわでした。これがメゾン・フラジルが受けた初のオーダー! こうした特注は個人客からも多いんですよ。KissKissBankBankを得た時、メゾン・フラジルはうまくゆく!という感触があったのだけど、昨年の初夏、一緒に計画を進めていたあるシェフから途中で投げ出されてしまって……彼からの返金もなく、会社の資金が底をついてしまいました。それ以来、契約、約束といったことには慎重に。こうして学んでゆくのですね。で、その時の危機を救ってくれたのが中国の富豪からのオーダー。会社をクローズせずに済みました!」
エリゼ宮からの注文によるゴールドが使われた2種のうつわ「Make Earth Great Again」。マクロン新大統領が政治に“春をもたらす”ということから春をテーマに、バラやツバメなどをイラストレーターのサフィア・ウアールが描いた。メゾン・フラジルのサイトで購入可能だ。各76ユーロ。2個セット化粧箱入り142ユーロ
オーダー例。惜しまれて閉店したコレットがドキュメンタリー映画『Colette, Mon Amour』の上映に際してメゾンキツネのブティック内で開催したポップアップで販売されたカップ&ソーサー。
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オートクチュールにオマージュを捧げる新作
「メゾン・フラジルの商品はすべてリモージュで愛情をこめて作られています。すこし厚めのお皿はこちらの製造所、ゴールドの仕事があるならこちらで……というように、プロジェクトごとに私が製造所を選んでるのよ。いまはオンラインミーティングに頼ってるけれど、以前は週に一度はリモージュに通っていました」
フォルムはフレンチクラシックを保ちつつ、モチーフさまざまなメゾン・フラジルの商品。昨年は料理人アラン・パッサールとのコラボレーションで、野菜やフルーツなどの切り絵がカラフルなセットが完成した。ほかのアイデアをもってパッサールのオフィスを訪ねたマリーなのだが、彼が雑誌のページやカードなどから切り絵してレシピ帳を作っているのを見てすっかり気に入ってしまったのだ。
アラン・パッサールの切り絵を生かしたコレクション「Dame Nature」。たとえば、キノコに見えるモチーフ、これは広告写真の中でダンスする女性のスカートを切り抜いて、それを配置しなおしたもの。こうして生まれたパッサールの切り絵100点近くの中から、3週間掛かりでハーモニーを考えてマリーは切り絵を選び出したそうだ。ディナープレート(Φ27cm)各59ユーロ、スモールプレート(Φ16cm)各32ユーロ
こうした単発のコラボレーションもあれば、アーティストとシリーズを続けているコレクションもある。イラストレーターのジャン=ミッシェル・テクシエとの「Chers Parisiens」のシリーズがそれだ。マルセル・プルースト、セルジュ・ゲンズブール、フランソワーズ・サガン、イヴ・サンローラン、王妃マリー・アントワネットなどパリを代表する人物の肖像をテクシエが描いている。コレクション・クチュールと呼ばれる最新作はガブリエル・シャネルだ。これは合計8名を考えているそうで、あと2名は誰だろうか……と気になる。
ジャン=ミッシェル・テクシエとのコラボレーション、コレクション「Chers Parisiens」。クチュールがテーマの新作の限定販売が始まった。自由なエスプリの持ち主を代表する女性クチュリエの肖像が描かれ、サヴォワールフェールへのオマージュとして糸と針が添えられている。化粧箱入りのセットは214ユーロ。単品購入も可能で、たとえばマグカップは48ユーロ。
4名のパリジャンのマグセットは182ユーロ。
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「美しいものはどれも儚く、儚いものはどれもかけがえがない」
メゾン・フラジルが商品に添えるのが、マリーの友人によるこのメッセージ。リモージュの繊細な磁器は割れやすい。それゆえにダンボールにもFRAGILEと書かれるわけで、メゾン設立当初からマリーは壊れやすいクリスタルについてもアーティストとともに仕事をしようと考えているのだが、彼女が守ろうとするのは物だけに限らない。
「ハチミツの販売も10月中に開始する予定なのよ。友人がフランスの北東部のアルデンヌ地方で養蜂業を営んでいて……。これはリモージュのうつわとは関係がないけれど、西洋のハチミツバチ(アピスメリフェラ)が絶滅の危機に面しているでしょ。“FRAGILE(儚い)”という概念を広げて、支援しようという意図からなのよ」
さらに、フラジャイルという言葉はマリーには、亡くなったダウン症の妹にも結びつく。メゾン・フラジルは若くして亡くなった妹へのオマージュでもあるのだ。ナント市にダウン症の人をキッチンやサービスに雇っているレストラン「Le Reflet(ル・ルフレ)」があり、この店を援助しているマリーは来年に向けてひとつのプロジェクトを進行中だ。
「レストランのオーナーと私は同じ体験をしているゆえに、互いに理解しあえる関係。私たちは同じエネルギー、パワーにあふれています。ダウン症の若者たちに彼らのお気に入りのレシピをデッサンしてもらって、そのうつわを来年5月に販売する予定なんです。売り上げのすべてはレストランに寄付します」
アルデンヌ地方からのハチミツももうじき販売。
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リモージュの磁器に新しい時代を
「さっき、うつわのフォルムは昔ながら……と話しました。新しいフォルムで作るのは、時間もお金もかかることです。でもメゾン・フラジルもここにきて構造もかなりしっかりしてきたので、フォルムの提案の段階へと……。それでデザイナーのイオナ・ヴォートランとのプロジェクトもあるんですよ。また春の外出制限期間中、リモージュの磁器でどんなことができるのかと考えてみたんです。私の息子のひとりはヴィーガンなので肉を食べません。自然食品店に彼と一緒に行って発芽器を購入したのだけど、世界は変遷してるというのにプラスチック製だし、とても醜いデザイン! なんとしてでもシックな発芽器を発明しなければ、って。それでまだ詳細は公表できないのだけど、発芽器やらフラスク(水筒)といった現代の用途に適応した磁器のアール・ド・ラ・ターブル関連品をデザイン学校と組んでコンクールを開催するというようなことを考えています」
広告業界での18年の経験は、いまの仕事におおいに役立っているそうだ。メゾン・フラジルのホームページの文章も写真もマリー本人が担当。問題があれば考え抜いて解決策を見いだすことも、あれこれ交渉することも18年間におおいに培った。
「私のとりわけの強みは粘り強さね。そして、仕事への愛情。これが私のやる気をかきたててくれます!」
réalisation : MARIKO OMURA