転職と天職 アメリーの転職、香水会社とジュエリーのクリエイション。

「いま私は自分の気に入るふたつのことをしています。まったく異なるふたつのこと。そのひとつはジュエリー、これはまさに私の天職よ」

Amélie Huynh(アメリー・ユインヌ)はジュエリーブランド「Statement (ステートメント)」のオーナーデザイナー、そして昨年日本に上陸した香水メゾン「D’Orsay(ドルセー)」の社長である。転職の裏には父親から与えられたチャンスが当初あった。が、それを生かして事業の才覚を身につけた彼女。その仕事にかける情熱は紹介するに値する。今年40歳の彼女が愛してやまないという、ジュエリーの話から始めてもらおう。

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アメリー・ユインヌ。姉のメラニーはイン&アウトのビューティブランド「Holidermie(ホリデルミー)」の創始者だ。photo:Moos-Tang

目指すはヴァンドーム広場のジュエラー

「小さい頃、母や祖母たちが着けていたジュエリーに心を引かれていたわ。ノルマンディー地方の田舎のことです。彼女たちのジュエリーといったら洗礼のメダルと婚約指輪。それらをとっても貴重な品!という目で見ていて、魅了されていました」

大学では商業を専攻。 卒業後は絶対にジュエリーの世界へ!と心に決めていた彼女は、最終年の論文にはダイヤモンド産業をテーマに選んだ。

「アールデコのジュエリーも好き。それに信じられない技術から生まれるJAR(ジョエル・アーサー・ローゼンタール)の具象的ジュエリーも好き。宝飾品に対する強い情熱があります。学生時代、目指すはヴァンドーム広場のジュエラー! それ以外は考えられない。商品のマーケティングに携わりたい、と願っていたのだけど、あいにくと私が卒業した学校はヴァンドーム広場のジュエラーが認めるレベルの学校ではなかったので、どのメゾンの扉も開かず……」

幸いなことにヴォーグ誌で働いていた姉のおかげで、ヴァンドーム広場のあるジュエリーメゾンでプレスの研修生として働けることになった。2001年、いまから20年前のことだ。長年夢見ていたマーケティング部門にプレスから移るのは、同様の理由からこれまた容易なことではなかったが成功した。

「ハイジュエリーのアトリエがヴァンドーム広場のメゾン内にあって、マーケティング時代、そこでアトリエのチーフからいろいろとプロセスを説明してもらうのが、いちばんの喜びでした。石の購入担当の女性が、小さく折りたたんだ紙包みを静かに開いて、中のきれいな色の石を見せてくれる瞬間も素晴らしかった。まるでボンボンみたいで。情熱、秘密厳守、技術……宝石そのものに限らず、ジュエラーの世界のすべてが私は好きなんですね」

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香水メゾン、ドルセーを21世紀に再興

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ドルセーの香水。ネーミングも個性的で、たとえばフランスのいまのベストセラーは「C.G. Vouloir être ailleurs.(どこかほかの場所に行きたい)」、「J.R. J’ai l'air de ce que je suis.(自分らしさ)」だそうだ。日本で人気の香りは「M.A. Je suis le plus grand.(最高の自分)」。

マーケティング時代、人々が何を期待しているのか、なぜそれを買うのか、といったことを探るのは楽しかった。それでも、彼女はヴァンドーム広場のジュエラーを8年後に去ることにする。自分の上には誰もほしくない、ほかの人のために働きたくない、という理由からだ。彼女の両親はそれぞれが企業家。母親はノルマンディー地方で商業を営んでいて、父親はフランス産の贅沢品をアジア市場で販売する事業を行っている。そのように自分以外の人のために働いたことがない両親を見てアメリーは育っている。

「ヴァンドーム広場で働いている間、父の企業で一緒に働きたいと実はリクエストしていたのだけど、イエスとなかなか言ってもらえなくって……。8年たって、やっと彼のビジネスに私が参加するのをOKしてくれたのよ。最初に任されたのは、時計・宝飾品のフレンチブランドをアジア市場で展開する仕事。フランスのブランドを買収して、アジア市場向けにフランスで生産した品を輸出するの。しばらくしたところで父から、“フランスの歴史ある香水ブランドを見つけて、パリで事業を起こすように”と言われて……。私は香水のエキスパートではないけど、父が私に任せたというのは私の可能性を父が認めたことでしょ。自分の持っている知識で進むしかない、と心を決めました。恐れていては何もできないし、それに新米というのは、その分野で規則に法って長く働いている人があえてしないことができてしまうものだし。やるしかない。実地に学べばいいのだわ、って……」

これがドルセーの始まりである。アメリーは2015年に当時ある父娘が所有していたドルセーの買収に成功。父の企業グループ内での仕事として始めたのだが、この半年前から彼女が社長を務めている。

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パフュームキャンドル、ルームフレグランスも販売。時刻が名前に含まれている。たとえば日本での人気は、「21:30 Sous les drap(ベッドの中)」というように。新しい「02:45 Enfin seuls(やっと二人だけ)」は、温もりを感じさせる甘美な香りで、日本進出を意識してほんのりと桜が香る。

「この肩書き、ちょっと響きが仰々しいわね。ドルセーはその誕生の物語が気に入りました。アルフレッド・ドルセー伯爵とレディ・マルグリット・ブレシントンの秘めたる愛から1830年に生まれた香水メゾンです」。パリ初のブティックを2019年にオープン。伯爵とレディが書簡を多くやり取りしていた……ということからドルセー郵便局というコンセプトで店が作られたのは、当時のアーティスティック・ディレクション担当者によるアイデアから。それをアメリーが承認したという。

「半年前から私が経営する立場となり、より官能的な方向へとブランドを導くことにしました。夏に発表する新しい香りの撮影を進めているところで、いまちょうど移行の時期なんです。いまの時代、なんだかあらゆることが殺菌されてしまったような気がするの。私はドルセーで、下品になることなしにフランス的エロチシズムを語りたい、って思ったの。フレンチ・エロチシズムを開拓しないのは残念だわ、って……90年代のトム・フォードのポルノシックのようなクレイジーなのではなく、私は“欲望”を語りたい。肌の匂いを感じさせるようにクミン、ペッパーなどを新しい香りには調香しています。香りのクリエイションについては、私は色、映画のシーン、そして時刻を調香師たちへのブリーフィングで伝えます。これが私のやり方。そこから彼らから香りの提案があり、それを試し……何往復ものやりとりを繰り返すけど、これはわくわくするような工程ね」

いまや“香りのストリート”となったマレ地区のフラン・ブルジョワ通りにパリ2号店を開き、東京・青山にドルセー ジャポンを昨年オープンした。海外進出の第一号に日本を選んだのは、上質、繊細さが理解できる美意識の高い国ということから。アメリーはこの先ソウル、ロンドン、ニューヨークにもブティックを持ちたいと夢見ている。

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パルファム ドルセーのパリの最初のブティック。44, rue du Bac 75007 Paris

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マレ店は 3, rue des Francs-Bourgeois 75004 Paris
www.dorsay.paris インスタグラム@dorsayparis

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ジュエリーブランドStatementを創設

「ドルセーの仕事と並行して、ずっと父の会社のためにアジア市場向けのジュエリーをデザイン……でも、花のモチーフのジュエリーばかりで、フラストレーションが溜まってしまって。ある時、女友達とヴァンドーム広場近くのカフェテラスでこの不満をシャンパンを飲みながら、彼女に愚痴ってたんですね。で、彼女に、“ジュエリーに対する情熱があるというのに、私は自分が好きなジュエリーを作れていない。ボリュームが大きいとかではなく、ジュエリーそのものが存在感をもつようなタイプが私は好きなの。まるでステートメントのような……”とぶつぶつ言っていたら、彼女が“それよ!! もうブランド名が決まったじゃない!!”って。ステートメントという名前には、こんなエピソードがあるのよ」

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ベストセラーは指輪の「My way」。ダイヤモンドのパヴェはフル(写真左)とセミの2タイプがある。サイズはミニバージョン(写真右)も。

アメリーは2018年12月にブランドを設立し、オンラインショップで販売をスタートした。彼女がブランドのオーナーであり、クリエイターも兼ねている。自身がデザインのクロッキーを描き、それをテクニックデッサンのプロに渡す、という方法で仕事を進めているそうだ。スタート時はバンコクや香港でジュエリーを作っていたが、いまはチュイルリー公園近くに昨年オープンしたブティックから100mという至近距離のアトリエで製作。

「特にメイドインフランスという意図はなかったけれど、とても満足しているわ。32歳の若い職人の小さなアトリエなのだけど、エタブリ(ジュエラーの仕事台)もあれば道具も揃っていて。昔ヴァンドーム広場のハイジュエリーのアトリエを訪問した時の喜びをここで再び見出すことができるの」

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マイルストーン・ジュエリーとして

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ジュエリーの重ね着けを楽しむアメリー。photo:Moos-Tang

「ジュエリーのラインも色もピュアであるのが好きなので、色石は使わない。私はモノクローム人間……創設者のパーソナリティに結びつくジュエリーとなるのは、ごく自然なことよね。シルバーとダイヤモンドがジュエリーのメインの素材。ゴールドには高価というイメージがあり、投資の対象にもなってますね。でも、私が貴金属で興味を持つのはそうしたことではないの。大切なのはシンボリックな面。シルバーは月に結びつくメタルです。月は女性に結びつき、明暗があり、さらに見せない一面も持っています……というように美しい象徴がシルバーにはある。それにシルバーのクオリティを証明するフランスの極印は、知識・芸術の女神ミネルヴァだし……。このように私がシルバーに感じる繋がりが、ゴールドには感じられないの。シルバーは黒ずむと嫌う人もいるけれど、いつも身に着けていれば摩擦ゆえに黒ずまない。それにステートメントではシルバーにロジウムコーティングをしているので、シルバーの白さがより輝き、さらに長持ちします」

ロストワックス手法を用い、手作業で製作されるジュエリー。アトリエを泣かせるのは、シルバーに多数のパヴェダイヤモンドを敷き詰める作業である。ゴールドに比べてシルバーはソフトな素材なので作業は簡単とはいえず、そこにパヴェを多数となるとさらに実に高度な仕事が要求されるからだ。

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シルバー950を使用するステートメント。photos:Maxime Guyon

2020年10月にブティックを開いて以来、クライアントとの絆もますます深まっているという。女性客は弁護士、建築家といった職業が多い。また企業家もいれば、それに調香師も……。

「カップルで来る女性もいるけど、自分ひとりで買いに来る女性が少なくないみたい。装身具を超え防御具的存在のジュエリーだけど、昇級した、離婚によって自由になれた、というように人生のマイルストーン・ジュエリーとして購入する女性も多いの。人生体験の記憶としてジュエリーが残る……これはとても美しいことだと思う。だから、たとえシルバーが黒ずんでも、思い出を消し去ることになってしまうから、私は磨きをかけるのには反対なのよ」

最近はフルシルバーのリングやイヤリングを求めてブティックに来る男性客も増えているそうだ。

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ブレスレット。右はブラックダイヤモンドをちりばめた新作だ。

ドルセーに加えて、ステートメントの経営とクリエイション。以前はこれに加えて、ファミリーが購入したレストラン&アートギャラリーのシャトー・マルロメ、父の会社が持つアジア向けブランドの取次にもアメリーは関わっていたが、最近これらからは手を引くことにした。

「チョイスする必要がありました。心を込めて仕事をしようとするなら、あちこちの仕事を同時にはできないでしょ。世に出したブランドの成長のために自分を100%捧げなければ……そう、まるで子どもを育てるのと同じね」

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パリのブティック。1, rue du 29 Juillet 75001 Paris photo:Quentin Lacombe
www.statement.paris インスタグラム@statement.paris

彼女は11歳を筆頭に3人の子どものママだという。ふたつのブランドの仕事と家庭の両立はいったいどのように?と気になるところである。

「毎日19時に帰宅し、その後自宅では仕事はしません。週末も仕事はしません。オフィスにいる時間中、集中して仕事を進めるの。子どもたちはそれでも私がどんな仕事をしているか理解していて、長女はしょっちゅうジュエリーの絵を描いてるわ。私と違ってカラフルなジュエリーですけどね(笑)。6歳の長男は香水に興味を持っていて、匂いを嗅ぎたがるの。親の仕事が子どもに与えるインパクト……子どもたちの頭に種を蒔いているといえるかもしれませんね、それが芽を出す出さないはさておいて。私も経営者の両親を見ていたせいか、15歳の頃、自分のランジェリーブランドを作るんだ!と息巻いていましたから……」

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réalisation : MARIKO OMURA

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