転職と天職 PRから転身、ジュエリーブランドを立ち上げたセゴレーヌ。

自分に正直に、好きなことで新しい道を切り拓いて転職した人たちの物語。実行力あふれる彼女たちの話に耳を傾けてみよう。

衝動的にジュエリーブランドを設立。
うまくいかなかったら前の仕事に戻ればいい!

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Ségolène Dangleterre
セゴレーヌ・ダングルテール
@dangleterre_paris
www.dangleterre-paris.com

1980 トゥーロンの近くに生まれる

2001 ランス市のアート・デザイン学校を卒業

2005 パリでPRエージェンシーを設立

2018 オリエント・エクスプレスのマーケティング担当を辞す

2019 ジュエリーブランド、ダングルテールを始動

「私が何かを始める時、左右を見ることもせず、いつも衝動的なんです」

セゴレーヌがアート・デザイン学校に入ってからジュエリーブランドを持つにいたるまでの道は、まっすぐではない。この学校を選んだのは、自分の見解をオブジェを介して語れるなんて素晴らしい! とインダストリアルデザインに興味を持ったからだが、在学中に進路変更。デザインと写真を学んだ彼女は、ファッション誌の写真スタジオでアシスタントになる。彼女がアタッシェ・ドゥ・プレスの道を歩み始めるのは、そこで雑誌の仕事への興味が芽生えたからだ。

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マーケティング・PR時代。勤めていたオリエント・エクスプレスが3カ月間開催したディナー列車のプロモーションを担当。ゲストのジャーナリストとともに特別な時間を堪能した。

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インドで貴石に魅せられて。

「いくつかのオフィスで研修し、25歳の時にPR エージェンシーを設立しました。勇気がある! と言う人もいたけれど、そうじゃない。自分がしたいからするというだけで、大冒険という自覚すらなかっただけなの」

クライアントであるデザイナーやブランドのために戦略を考え、彼らとともに前進するという仕事が気に入った。8年後、経済危機があり、他社と融合。デジタル化が加速度的に進んだ時代で、スピードと数字が優先され、PRはクライアントと一緒に何かを築くという仕事ではなくなった。楽しめなくなったと感じていたところに、オリエント・エクスプレスのマーケティング部門への誘いがあり転職。しかし、会社がアールデコ分野からホテル業へと軸を移した時に疑問が湧いた。

「仕事はおもしろかったけれど、この分野は興味が持てることだろうか? と。答えはノン」

次を決めずに退社した彼女だが、頭の中にはなんとなくジュエリーがあった。というのも、その2年前に休暇でインドを旅した際、彼女は貴石の種類の豊富さ、色の美しさに衝撃を受けたのだ。気に入って買った石でパリのジュエラーに希望のデザインで製作をリクエストしたが、因襲的な職人は彼女のアイデアを理解しようとしない。この苦い経験をきっかけに、資金ができると石を買い、自分なりにジュエリーを製作。退社後、宝飾学校の週1日の成人コースに3カ月通い、周囲の賛同は得られなかったけれど、2019年、セゴレーヌはブランドを設立した。

「ワックスで型を作り、好みのフォルムに石をカットして……ジュエリーを作っていると、自分は居るべき場所に居るんだという正当性を感じます。退社した時、ジュエリーがうまくいかなかったら、またマーケティングの仕事に戻ればいいと思っていました。突発的に始めたことだけど、後悔はありません。権威とは相容れない私は、インディなのが向いているんですね」

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石の独特な色合わせと個性的なフォルムが特徴。蝋で原型を作るロストワックス技法を用い、自らジュエリーを製作する。

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パリから高速鉄道で1時間ほど、自宅の庭に設けたアトリエで。

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*「フィガロジャポン」2021年5月号より抜粋

photos : MOHAMED KHALIL, réalisation : MARIKO OMURA

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