転職と天職 ソフィーの転職、マーチャンダイジングからジュエリーの創作。

210423_w01.jpg

Sophie d’Agon(ソフィー・ダゴン)のジュエリー。もっとも人気のあるコレクションは「Gaia(ガイア)」。ブランドが得意とする繊細な色のプレシャス・ストーンのミックスが魅力だ。重ね着けも可能。イヤリングはペンダントタイプもある。価格は指輪(写真右)が695ユーロ〜。

ジャンヌ・ダマスは2年前にフィアンセから贈られた「Sophie d’Agon(ソフィー・ダゴン)」の指輪がお気に入りで、しょっちゅう身につけている。そんな彼女の出産に際し、ブランドの創設者ソフィー・ルプーリが彼女にジュエリーをプレゼントしたところ、ジャンヌは自身のインスタグラムのストーリーにその写真をアップ。彼女にしては珍しくブランドのアカウントをタグ付けしたおかげで、ソフィー・ダゴンのインスタグラムは一夜にして1200名のフォロワーを増やし……。日本にはまだ上陸していないが、繊細でアンティーク的風合が魅力のソフィー・ダゴンのジュエリーは、パリジェンヌたちにとても愛されている。

210423_SD46.jpg

ソフィー・ルプーリ。ファッションビジネスに20年従事した後、ジュエリーブランドのソフィー・ダゴンを設立した。

企業家を目指し、会社員生活にピリオド。

ソフィー・ルプーリが14年勤めたサンローラン社を去ったのは、2015年6月。最後の3年間はワールドワイド・リテール・マーチャンダイジング・マネージャーという要職にあった。これはエディ・スリマンのサンローラン時代に重なり、彼がメゾンに大改革を起こした3年間、彼女は職業的に信じられないような経験を積むことができたという。とはいえ、世界を相手の仕事である。朝はアジア、日中はヨーロッパ、夜はアメリカというように、仕事はノンストップで週末もなく、旅も多い。プレッシャーはとてつもなく大きく、じつにハードで心身ともに疲弊感を覚えるようになった頃に、エディ・スリマンがメゾンを去ることに。後任者として囁かれる名前に彼女は情熱がかきたてられず……。

「また、新しいアーティスティック・ディレクターとゼロから始めるのか……という思いもあり、退社を決心しました。20年間、他人のためにがむしゃらに働いてきたのだから、次は自分のために試してみたいという気持ちもありました。その時私は43歳。あと5年待ったら遅すぎる、これが最後のタイミングだと思ったこともありますね。年齢は転職を決めた大きな要素のひとつだったといえます。素晴らしい肩書き、恵まれたサラリーを捨て、ずっと会社員だった私が起業するというのは、まるで高い崖から飛び込むような感じ。不安、恐れは小さくなかった。でも、試さなかったら一生それを後悔するに違いないって思ったのです」

会社を辞め、次にすることについて彼女には3つのオプションがあった。ひとつ目はサンローラン社に比肩する別のメゾンに行くこと。だが、“もう会社員はうんざり”ということで、このオプションはすぐに消去。2つ目は経験を生かしたコンサルティング業、3つ目が何か自分のブランドを起こすことだった。そして、3つ目のオプションこそが自分の進む道と心を決めた彼女は、2017年にソフィー・ダゴンというジュエリーブランドを設立したのだ。ダゴンというのは彼女が子ども時代から多くの時間を過ごしたノルマンディー地方の地名。“ダゴンのソフィー”という意味で、音の響きも気に入っての命名である。

210423_w02.jpg

ソフィーが最初に発表したコレクションはアメリカのイエローストーン国立公園の火山の噴火口の輪をジュエリーで再現した「Yellow Stone」。日常生活で気軽に着けられるようにと、シンプルなデザインを心がけている。20年のファッションビジネス経験で、シンプル品ほど強い、ということを彼女は学んだという。

210504_paris_01.jpg

左:アールデコ調の「Ava」。 右:ヴァザレリー財団で見た幾何学模様にインスピレーションを得た「Paloma」。ヴァザレリーやソニア・ドロネーなどの抽象画の中に、ソフィーは興味深い色の組み合わせを見いだしている。イエローゴールドが使用されているが、どのジュエリーについても、同じ価格でホワイトゴールド、ピンクゴールドでのオーダーが可能だ。

---fadeinpager---

ファッションビジネスの世界で昇進を続ける

時間を遡って話を聞いてみよう。彼女が商業専門の大学に進んだのは、ファッションに興味があり、どこかのブランドのプロダクトマネージャーになりたいという気持ちからだったという。「パリ・マッチ」誌発行の辞書が自宅にあり、子どもの頃、その最後のセクションのモードのページをよく眺めていた彼女。ゴッホのひまわりを刺繍したイヴ・サンローランのオートクチュールのジャケットやクリスチャン・ディオールのニュールック……美しいものが好きで、モードの世界に魅了されていたのだ。もっとも進学した大学はブルターニュ地方レンヌ市にあり、その周辺の主な経済活動は農業である。モード界の夢は遠のき、学業終了年の最後の実地研修も農業関連の企業だった。

「なんてことかしら。この分野で一生を過ごすことになんて、恐ろしいわって思いました。卒業後のエピソードをひとつお話しましょう。いくつか企業の面接を受けたのですが、最後がフォアグラの会社でした。その面接官から言われたんです。“マドモワゼル。悪く取らないでくださいね。でも、あなたはこの業種にはまったく向いていません”って。帰宅して、自分でも思いました。そうよ、この分野に自分が不向きなのはわかっていたことだわ!!と」

そこであらためてモードの世界に目を向けたのだ。職人仕事、商品のクオリティの高さなどの点で好きだったエルメスに志願書を出したところ、「ブティックから仕事を始めることに興味がありますか?」と、クリスマス期間中のスカーフ販売の臨時雇いを提案された。かくしてソフィーの最初の職場はフォーブル・サントノーレ24番地のエルメス本店に。しかし、彼女が目指す分野は販売ではない。スカーフ売り場で1年仕事を続けたところで、プラダがバイイング・オフィスをパリに開くという情報が耳に届いた。この仕事なら学校で学んだビジネスが活かせるし、プロダクトへのアクセスもある、と志願書を出した結果、バイヤーとして雇われた。

「ちょうどプラダがボーリングバッグを発表した登り坂の時期でした。入社当初はバッグ、革小物を担当し、次いでメンズも加わって……。パリとロンドンのすべてのブティックのための買い付けを任されていました。6年経ったところで、ウンガロとイヴ・サンローランの2つのメゾンからヘッドハンティングが。ウンガロのよい時代で、サンローランはトム・フォードが就任したところでどんなメゾンに進展するか見えない状態でしたので、どちらに決めるか随分と迷って……。面接で会った人ゆえに、サンローランに決めました」

プラダ時代よりバイイングの担当範囲がヨーロッパ全域のブティックに広がり、さらに男女の靴も担当するようになり、そして次には……と彼女は着々とワールドワイド・リテール・マーチャンダイジング・マネージャーへと昇級していったのだ。

210423_w09.jpg

コレクション「Athéna(アテナ)」。ジュエリーによってはエナメルが施されている。なお、ソフィーはジュエリーが継承されてゆく永続性も大切に考えているので、イヤーカフのようなファッション性の高いタイプをデザインすることは考えていないという 

会社を辞めた最初の時期は、身体と心の休養に専念。それから設立するブランドについて本格的に考え始めた。最初に頭に浮かんだのは、バッグのブランド 。しかし、この世に山ほどのブランドがあるし、彼女の中にこれという特別なバッグのアイデアも浮かばないことから、徐々にジュエリーへと気持ちが向いていった。

「もともとジュエリーが好きだったのですね。とりわけヴィクトリアン、エドワーディアン、ジョージアンといった時代のジュエリーです。旅先でも、よくジュエリーを探したものです。人生の大きな節目となる出来事があると、アンティークジュエリーを自分に贈ることも。たとえばプラダに就職が決まった時は、ドゥルオー競売場でダヴィンチの横顔のような素晴らしいアンタイユの指輪を。ダイヤモンドもついていて当時の私にしてはちょっとした投資でしたけど、とても貴重なジュエリーで誇らしく感じました。サンローランを辞めた時、ジュエリー・ウォッチを購入しました。これもアンティークです。ジュエリーには子どもの頃から興味があったんですよ。ノルマンディー地方で名付け親の叔父が営む時計宝飾店に行き、アトリエで時計の修繕を眺めるのが楽しくって……。客の邪魔にならないだろうと、11歳頃になってやっとジュエリーの売り場に行くのを許されたんですよ」

210423_w04.jpg

左:アンティークジュエリーはソフィーのプライベートコレクションだ。ソフィー・ダゴンのインスタグラムより。 右:コレクション「Ava」のジョンクブレスレット。これに限らず、ソフィーのジュエリーにはどこかアンティーク風な香りが漂う。

---fadeinpager---

東京、バリ……ジュエリーブランド発足に向けて旅へ。   

2015年の暮れにはジュエリーについてのアイデアがほぼ固まり、彼女はデッサンを開始。そして、自分のブランド設立に向けてジュエリーを巡る旅をオーガナイズした。最初の行き先は仕事で行く機会の多かった東京で、この旅ではジュエリー売り場をじっくり観察する時間をとり、さらにインスタグラムで発見して魅了されていたジュエラーKataokaの東京郊外のアトリエにもお邪魔したという。

「あれほど繊細なジュエリーを彼がどのようにクリエイトするのかに、とっても興味があったのです。東京で1週間過ごした後、バリに向かいました。数年前に訪問した時に知った宝飾職人たちが軒を連ねる村を再訪。私のジュエリーを製作するアトリエを探すのが目的だったけれど、あいにく見つけられず……」

失望もあったが、ロンボク島でサーフィンを楽しむ素晴らしい滞在で旅を締めくくった。帰国後ブランド設立のプロジェクトを進めるべく、パリで知人の紹介も含めじつに多数のジュエリー・アトリエ主たちに出会った結果、価格的に難しいという結論にすぐに達したのだ。

「特別なオケージョンを待たずに、欲しい時に女性が自分で購入できるジュエリーのブランドにしたかったので、価格について明快なアイデアがあり、パリのアトリエではそれが不可能だとわかったのです。私が作りたいジュエリーは小さな石を多数セッティングするもので、手仕事の量が半端ではありませんから」

210423_w05.jpg

新作、新色が加わったコレクション「Miniflower」より。中央のイヤー・ジュエリー(左耳用)は575ユーロ。2年前からソフィーがジュエリー製作を託すのはポルトガルのアトリエJoao。リサイクルゴールドを使用するアトリエで、ソフィーのエシカルな意識を共有している。

プレシャスストーンを用いた繊細なジュエリー。石の価値が引き立つように、石以外の部分は可能な限り控えめで……というようにソフィーは自分のジュエリーを思い描いていた。さらに、彼女が好む昔の時代のジュエリーからのインスピレーションもあり、また花のジュエリーという好みも取り入れて、というように、ブランド設立前からしっかりとしたイメージがあった。

「陽気、カラフル、リラックス……ブランドプロジェクトを立ち上げたときに、いろいろなことばを紙に書き出したんですよ。色石をミックスして楽しいジュエリーを作りたかったし、ヴァンドーム広場じゃないのだから気軽に付けられるジュエリーであること……」

210423_w06.jpg

左:コレクション「Camélia(カメリア)」の指輪はエンゲージリングとして人気が高い。石により価格は異なるが、写真の指輪は1,250ユーロ。中:カメリアと睡蓮の「Nymphea(ナンフェア)」。右:コレクション「Georgia」も花にインスパイアされている。

---fadeinpager---

販売開始前、まずインスタグラムでバズを

2017年6月にインスタグラムで最初のプロトタイプを発表したソフィー。その時すでに1万人のフォロワーを獲得していた。これはインスタグラムの重要性を察知した彼女のマーケティング力のおかげである。

「ブランド開設前に時間をかけてフォロワーを増やしておこうと思ったので、2016年の終わりにインスタグラムをスタートしました。一種のムードボードのようにインスタを活用し、インスピレーション源の自然やアンティークジュエリー、石の写真などをアップ。じわじわとソフィー・ダゴンのジュエリーの手がかりを与えていきました。好奇心をそそられた人々がLikeを押し、コメントを寄せて……。インスタグラム経由で、私のジュエリーを女性たちは気に入るものだ、という確信が得られました。ブランドのコミュニケーションツールとして、インスタグラムは素晴らしい存在です」

210423_w07.jpg

ジュエリー発表前に、ソフィーは東京・青山のニコライ・バーグマンの花や、色さまざまなプレシャスストーンをインスタグラムにあげて、ソフィー・ダゴンのジュエリーのイメージを伝えた。

販売はオンラインショップあるいは2区のアトリエにて要予約で行っている。35〜45歳くらいのクラシックなタイプの女性たちが自分の喜びのために購入し、ファッション性の高い若いボボたちは最初の宝飾品として購入するそうだ。5月末に長い長い工事を経てリニューアルオープンするデパートのサマリテーヌでの取り扱いが始まるという、喜ばしいビッグな話題もある。

「ほかでは見つからないクリエイションだと言われることが、私にはいちばんうれしい褒め言葉です。ソフィー・ダゴンのジュエリーはほかのブランドとは異なり、しっかりしたアイデンティティを確立するのに成功したということですから。 以前より自分を開花することができているいま、転職したことをまったく後悔していません。でも、以前の人生で学んだことがあってこそ、自分のブランドを起こせたのだと思っています。マーチャンダイジング時代、どこのブティックに何を置くか、何が求められているか……極めて数字の世界でした。私は分析するのが好きで、いまも3カ月ごとに分析をしています。前の仕事で他国について多くを学べたおかげで、フランスだけに閉じこもらず、価格もユーロとドルでというように海外も対象にしています」

会社を辞めた時には、肩書き、給料、それに全身をサンローランで装える特権を捨て、自分の企業を!という彼女を、周囲の誰もがクレイジー扱いし、親友たちも、成功するとは思えないと彼女の考えに必死にブレーキをかけようとした。家族はというと、最初は確かに? 本当に?という感じだったが、割と早い段階にサポートに回ってくれたそうだ。

「ジュエリーのブランド!と思った時に、ルーブル通りの宝飾学校(Haute Ecole de Joaillerie)に通うことも確かに考えました。でも、テクニックを体得するには最低でも4〜5年通わなければならない。自分で作ることは諦め、2週間の3Dでデッサンするソフトの講習だけ受けました。10年あるのなら技術的養成を受けて自分で作れたでしょうけど、私の転職のアイデアはジュエラーになることではなく、ブランドの世界をクリエイトすることでしたから……」

210423_w08.jpg

左:色の組み合わせを考えることもソフィーの楽しみ。 右:コレクション「Babystone」より。ナイトブルーのサファイアとイエローサファイアを合わせ、仕上げにブルーマリンのサファイアの雫を。

Sophie d’Agon
100, rue d’Aboukir
75002 Paris(ショールーム・要予約)
www.sophiedagon.com
Instagram: @sophiedagon_paris

réalisation : MARIKO OMURA

Share:
  • Twitter
  • Facebook
  • Pinterest

Recommended

BRAND SPECIAL

Ranking

Find More Stories