ブランドのPRの仕事から、慈善+キャンドルのブランド設立へと。

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ブランド「Charity Bougies de NY」を設立したNancy Chabert(ナンシー・シャベール)。Bougieはキャンドルを意味するフランス語で、Charityは英語だがフランス語読みする。photo:Mariko Omura

転職を考える人は大勢いる。転職する人も大勢いる。自由を求めて起業する人も大勢いる。しかし試みを成功させ、発展させ続けている人の数はぐっと減るだろう。2017年に、慈善団体が販売する中古のうつわをリサイクルした香りのないヴィーガンキャンドルのブランド「Charity Bougies de NY(シャリティ・ブージ・ドゥ・ニ)」を設立し、起動に乗せたのはナンシー・シャベールだ。「チャリティ購入とヴィーガン素材という人々のためになり、そして地球に優しいエシカルなブランドを作りたいと思ったのです」と語る彼女。ブランド名についているNY(ニ)とは彼女の愛称だという。いまや海外のブティックでも販売される成功ぶり。デパートのル・ボン・マルシェでもノエルのポップアップコーナーで販売中だ。

彼女の前職はプレスオフィスのオーナーである。といっても、アタッシェ・ド・プレスの学校で学んだわけでも、マーケティング&PRを学校で専攻したわけでもない。高等学校教育の終了時、大学入学資格バカロレアの試験も不合格だった。独学の人である。

「私、学校になじめない子どもでした。机の前にじっと座ってるというのが退屈で……。興奮していて、落ち着きのない生徒だったんです。とにかくいち早く勉強とはさよならをしたいと思ってました」

1980年代はバカロレア取得者でなくても、育ちがよくて、文章が書けて、自己表現ができるのであれば、仕事を見つけるのは簡単な時代だったという。実際、彼女もメリディアン・ホテルのPR部門で偶然にも研修生として仕事を始めるのだ。

「PRという仕事って、なんて素晴らしいのだろうってここで発見したのだけど、その後PRのポストを得ることはなく、行政機関で働き始めました。インターネットのサイトを発展させるのが仕事で、プログラムを作る必要があったので講習を受けて……。おもしろいとは言えないけれど、技術面では興味が持てました。テクノロジーを学ぶのは、今後何かしら役に立つはずだわって。2~3年この仕事をしたでしょうか」

勤めていた行政機関ではパリの企業を地方に誘致、あるいは投資家がフランスで製造するといったことの誘致の仕事にも関わった。そんな時、50~70年代の懐かしいお菓子を集めたブティックを開いた友人からプレス用の資料を書いて!と助けを求められ……。

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偶然からアタッシェ・ドゥ・プレス業へと

「プレス用コミュニケを書いた結果、いまももちろんだけど、当時実に大きな影響力を持っていたフィガロ・マガジンに友人の店が半ページで紹介されることになったの。アタッシェ・ド・プレスにとっては、これ以上ないトロフィーです。私は楽しみを兼ねて試しにやってみただけ。まさにビギナーズラック! まるで宝くじに当たったかのように、震えがきました」

この友人の知り合いの中に、アタッシェ・ドゥ・プレスを必要としている人たちがたくさんいた。そんなことから、ナンシーは1989年、自分のオフィスを設立するのだ。彼女がクライアントを探すより先に、クライアントから彼女が指名されるという恵まれた状況でのスタートを切ることに。

「この仕事をするための勉強は何も私はしていません。でも、文章がまとめられ、誰に向けるかという的を的確に定められる、という、これが大切なこと。それに私、ものすごくエネルギーがあり、また忍耐力もありました。いまより簡単な時代で、ひたすら頑張って働いていれば結果がついてきたのです」

インテリアブランド、ファッションブランド、そしてガストロノミーも少しというのが彼女のオフィスが扱っていたことだ。オンワード樫山の仕事を経由して、リボンのMOKUBAのパリ出店に際して彼女に声がかかった。

「MOKUBAのリボンに心をすっかり奪われてしまい、25年間、このブランドの仕事をしました。私の人生の一部ですね。店のオープン5周年を記念して、カルーゼル・デュ・ルーヴルの中の広い会場に2000名を招待してリボンをプレゼントするというイベントを開催したんです。この日に限って交通機関のストがあって。それでも通りまで行列ができるほど集まってくれて……。これは何もにも代えがたい思い出です」

何も知らずに飛び込んだアタッシェ・ドゥ・プレス業。日本人と仕事をしたことで、チームでひとつのことに取り組むことがリスクを回避でき、良い結果へ至れることなど、多くを学んだとナンシーは述懐する。

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ル・ボン・マルシェで始まったクリスマスのポップアップ。シャリティ・ブージ・ドゥ・ニのクリスタルのうつわのキャンドルが集められた。21ユーロから。photos:Mariko Omura

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思うように仕事の結果が出せなくなって……

「仕事の契約金が大きいほどプレッシャーも大きい。結果を出さねばなりません。もちろん中くらいの契約でも結果は必要で……私、徐々にそれが果たせなくなっていったのです。広告主が雑誌に対して力を持ち、広告を出さないブランドには場所がなくなってしまった。5年くらい前のことで、インフルエンサーが出現し始めた頃です。感じました、これから難しくなってゆくわ、って。これまでのように自分が受け取る報酬に見合う結果を出さなければならないのに……私を信頼して選んでくれたクライアントたちの大きな期待に応えられないという後ろめたさを感じてしまい、こんなふうには続けられない。辞めなくては!!と」

仕事が不出来になったのか、市場が難しくなったのか。原因がわからず、彼女はバーンアウト状態に陥ってしまった。ほぼ寝込むような毎日。精神的にすっかり疲弊してしまい、自分を見失い……毎朝、目覚めるたび苦しさを感じるほどだった。

「かつては仕事に喜びがあり、楽にできていたことができなくなってしまい、こんな状況では続けられず。新しいクライアントを引き受けるのをやめました。当時50歳。でも年齢は仕事を辞める理由とは無縁です。それまで働きすぎたので、私、疲れすぎていたのですね。辞めるといっても、次にすることのアイデアもなく、ひどい状況でした」

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夏の海岸で始まった新しい物語

「2017年の夏、私は海岸で雑誌を読んでいました。『600万人の消費者』とかそういったタイプの雑誌です。その中に、“家の中で起きる殺人”的記事があって、私は士気も低下していたので、ぼーっとしながらも気になって読んでみたんです。ケミカルな毒性の高い危険なプロダクトが家の中にある。でも、それを避けることは簡単だという記事です。私はパフュームキャンドルなしでは暮らせないほど気に入っていて、高級なブランドの品なので香りが危険だなんて思ってもいなかった。疑問すら抱いていなかったのだけど、間違っていたのですね。なんてことかしら、私、家族に毒を盛っていたんだわって。香りの危険を知り、家にあったキャンドルもお線香もアロマディフューザーも全部捨てました」

センチメンタルなナンシーはキャンドルの灯りがとても好き。それに、海外で暮らした小さい時から両親がキャンドルを灯した食卓でゲストをおもてなしするのを見て育っている。これはエレガントな母の姿にも通じる思い出だ。キャンドルのない暮らし? どうしたらいいのだろう。こう考えたところから香りのないナチュラルなものだったら‼というアイデアが彼女に浮かんだのだ。

「私が関心を持ってるのはナチュラルなキャンドルだということがわかり、“自分のプロダクト”を見つけた!と思いましたね。いかに製造するのかを調べ、さあうつわはどうしようか、と考えた時に買うのではなく、既存の品を使おうと決めたんです。私、小さい時から母の教えで不要になった自分の玩具や服を慈善団体や教会に寄付する習慣がありました。そして、私たち子どもはそこで本を買ったりして。こうして育った私なので、チャリティの販売でうつわを購入しようというのは反射的でした。慈善のうつわと無公害のキャンドル。私がすることってチャリティキャンドルだわって思い、ああ、これでブランドが作れるわと……。まずは友人たちにギフトすることから始め、ついでちょっとしたセールスを行ったところ良い反響が得られました。まだ気分は落ち込んだままだったけれど、こうして続けたんです」

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シャリティ・ブージ・ドゥ・ニは既存のガラス、陶器、メタルのうつわを再利用している。photo:Elise Dumas

ブランド設立前、チャリティキャンドルのアイデアを彼女は家族に話したところ、手伝う!と姉妹、母、娘たち、息子たちの全員が大賛同。いまでこそ自宅に隣接の建物内にアトリエがあるけれど、最初は自宅の台所が作業場だったそうだ。ナチュラルといっても最初に試した大豆のワックスは間接的に環境破壊に加担していることになるのでほかのタイプを探し、現在はヨーロッパ産の菜の花あるいはひまわりのワックスを使用している。ここにいたるまでが大仕事だったと振り返るナンシー。それに無害なワックスほど高価なので、大量購入の必要もある。しかも、キャンドルを手に取ると人々は反射的に香りを嗅ぐというように、パフュームキャンドルが求められている時代である。ナンシーは香りがないのは残念だけど、害のないパフュームキャンドルを作るのは不可能だと断言する。

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確固たるコンセプトとともに

プレスオフィスをクローズした時に次の具体的な仕事のアイデアはなかったものも、アタッシェ・ド・プレスの仕事と同じくらい情熱を傾けられることが見つけられるということは確信がナンシーにはあったという。慎重な彼女は次の企てのために、1~2年は仕事なしでも暮らしていけるように貯えも用意してあった。

「このキャンドルのブランド以前に試したことがひとつありました。ファッションに長く関わったので、今度はインテリア部門で何かしたいと思ったんです。それで、家の玄関スペースに限定したインテリアというニッチなアイデアが浮かびました。家の入り口に服を掛け、口紅が塗れて、靴がしまえて、鍵を……というような。そのためのブランドを探し始め、売り場についてなど調べ始めたのだけど、これには家族のリアクションはいまひとつだし、自分でも100%確信がありませんでした」

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母が手縫いするキャンドルのための布製ポシェット。photo:Mariko Omura

現在アトリエ内には200近いうつわが待機している。しかし、地方の倉庫にストックしているものを含めると2万点近いうつわを彼女は持っているそうだ。うつわの素材はガラス、クリスタル、メタル、陶器、磁器。たとえば、いま、ボン・マルシェのクリスマス・ポップ・アップで販売しているのはクリスタルのうつわを使用したキャンドルである。フランスには素晴らしいアール・ドゥ・ヴィーヴルのメゾンがある。高級ブランドの品も交ざっているけれど、それは価格には反映されていない。買ったキャンドルのうつわの底を見たら、意外や高級ブランドの品だったということもありえるそうだ。

「シャリティ・ブージはエシカルな装飾品といえます。かつて私は一個人として慈善団体に小切手で寄付をしてました。いまはその何十倍もの寄付をしていることに相当しますね。慈善団体が人から貰い受けた無料のうつわを私は購入しているのですから。よくチャリティと称してブランドが寄付をしますけど、それは売り上げが出てからのこと。でも、それでは十分ではありません。私は先に寄付し、自分でリスクを負っているのです。動物のため、困窮生活者のための慈善団体でうつわを探します。ボーイスカウトの少年たちが家から親の許可をもらって持ち出して売っているうつわが、もし養老院のコンポストボックスを作る費用のためというのであれば買います。既存のうつわの再利用といっても、ブロカントでもヴィッド・グルニエでも私は購入していません」

シャリティ・ブージの人気を見て、そのアイデアをコピーしたかのような古い容器を使ったキャンドルのブランドがほかにもちらほら。ナンシーは慈善購入と無害なキャンドルという自分のテリトリーを弁護士とともに保護しているという。しっかりとしたコンセプトを持ってブランドを設立した彼女。その裏には強力なアドバイザーの存在があった。

「秘密があります。私には永遠のフィアンセがいるんです。彼はマーケティングとストラテジーの偉大な教授で、人々が抱えているプロジェクトを産むのを助けることができるんです。話を聞き出し、営業的に可能であるようにとプロジェクトのしっかりした構造を提案します。私も彼と何度もやりとりをしてゆくうちに、自分の進む道が見えてきました」

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成功への第一歩

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美しいビジュアルにメッセージを添える戦略で、ナンシーはクライアントの心を引きつけた。photos:Elise Dumas

「2017年から2019年の間はちょっとした販売を何度か行ってというテスト期間でした。そして2019年3月8日。11区のブティック「Merci(メルシー)」の当時のアートディレクターだったダニエル・ローゼンストロックにメッセージを送ったのです。彼には過去にパーティなどで2~3回顔を合わせたことがあって……。キャンドルのテストを重ねている時から、私の頭にあったのは彼。彼に狙いを定めていたんですね。いちばん大切だったのが彼だったのです。メッセージを受け取った彼から、“これから向かう“という返答があり、車をこのアトリエまで走らせてきました。私のキャンドルを見て“ああ、なんてことだ!”と言うので、私、間違ったのかしら? 失望させたかしら、無駄足を踏ませてしまったかしらって思ったところ、「いや、これは最高だ。いったいどこからこのアイデアを思いついたんだ?」と。そして、その年の8月末に彼がメルシーで最後に企画したオブジェのセカンドライフをテーマにした『Surcyclage』展で私のキャンドルが販売されることになりました。私を見いだしてくれた彼には感謝のことばしかありません」

新しいブランドの多くがインターネット販売からスタートする時代だが、ナンシーはそれはまったく考えていなかったそうだ。 B to B(ビジネス・トゥ・ビジネス)。つまり対消費者ではなく、デパートやブティックと取引したいというのが彼女の希望だった。小さな道をタクタクタクと進むより、より難しいところを攻めてみようということで、彼女はダニエルに送ったようにギャラリー・ラファイエット、BHV、ボン・マルシェにもメッセージを送ったところ、その翌週に彼らがアトリエまでやってきたのだ。そして全員と契約……。

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過去の仕事のサヴォワール・フェールを役立たせて 

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初参加したメゾン&オブジェのスタンド。photos:Charity Bougies de NY

「こうした私の営業に役立ったのはカメラマンのElise Dumas(エリーズ・デュマ)が撮影したキャンドルの写真でした。私は彼らにその写真にメッセージを添えたのです。過去の私の仕事が、シャリティ・ブージの営業にとっても役立っています。的確な的、相手に願望を起こさせる言葉、美しい写真、そしてパワフルなエネルギー。アタッシェ・ド・プレスの仕事は、商品がほかに類を見ないものでないことには語ることも凡庸になってしまいます。何か新しいことへと導かなければ、ジャーナリストたちはリアクションしません。八百屋さんがうちには良いリンゴがありますよ!と言ったって、それが素晴らしいものでも誰も気に留めなでしょ。新しい、ほかとは違う、ということがなければなりません。私には過去に体得したサヴォワール・フェールがあり、さらにチャリティキャンドルという価値ある商品があるのです」

今年の秋、初めてメゾン&オブジェに出店した。バイヤーたちから、“ブロカント屋がここで何してるんだ?”とならないように、スタンドに扱っている商品が何なのかが一目瞭然でわかる言葉をフランス語と英語で掲げた。しかも、出店前にまず自分のアトリエで出店と同じスタンドを作って、クライアントのゼロ号としてマーケティングのプロを招いて指導を受けるという一種のシミュレーションも彼女は行っている。

「事前にしっかりと準備することの必要性を私は日本人から学んだんですよ。このシミュレーションのおかげで、スタンドは見た目に美しいだけでなく、商品が何で価格はいくらかがすぐにわかるというように能率的であることも大切なのだとわかりました」

もちろん、とても満足のゆく結果が出せた。イタリア、スイス、オランダ、チリ……現在では海外も含め100店舗が販売している。ブランドがこう発展していくようにと彼女が夢見たとおりに進んでいるそうだ。そして、これからは?

「私の未来の喜び。それはニューヨークと東京のブティックで販売されることです!」

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左:パリ郊外のアトリエにて。慈善団体で購入したうつわが所狭しと並べられている。 右:おもてなしに添えたキャンドルは、失敗した試作品。芯がうつわの深さや直径に適切ではなかったそうだ。芯選びもキャンドル作りにおける大切な仕事のひとつだと語る。photos:Mariko Omura

Charity Bougies de NY
www.charitybougiesdeny.com

 

editing: Mariko Omura

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