女優から映画監督、そしていまはギャラリーを経営するアリスの物語。
パリジェンヌの転職と天職 2022.02.16
2016年、アリス・ミッテランはアートギャラリー「Club Sensible(クリュブ・ソンシーブル)」をバスティーユに開いた。 イラストやデッサンなどをメインに、経済力に限りのある若い層も気楽にアートに親しめる場は当時パリでは珍しく、順調に5年が経過した。昨年11月、プレステージの高い6区にギャラリーは引っ越しをし、目下新しい客層を開拓中である。
Alice Mitterrand(アリス・ミッテラン)。6区の新しいClub Sensibleにて、4月に出産予定だという。photo:Mariko OMURA
女優を目指し3年間学ぶ
アリスの最初の職業は女優だった。もともとは哲学を学んでいたのだが、アマチュアとして演技の講習を受け、おおいに楽しみ、また教授に励まされたこともあり高名な国立高等舞台芸術学校ENSATTを目指すことにしたのだ。いまはリヨンにあるが当時はパリ9区にあり、通りの名前からリュ・ブランシュ校と呼ばれていた学校だ。1度目は第2次試験で落ちてしまったが、翌年に再挑戦をしてアリスは最高点で入学した。
「女優という仕事に子どもの頃から憧れていたのではありません。その情熱は、自分がそれに適していると感じ、教授の励ましもあったことからなんです。いまそう言うと、おごって聞こえてしまうかもしれないけれど……。でも当時は舞台上でとても気楽に演技ができ、また教授も私には存在感があるといって、難しい役柄を任せてくれて喜びしかありませんでした。ラシーヌやシェイクスピアの戯曲を学ぶのも好きで、とてもインスパイアされていて、入学してから3年の間しっかりと学びました。卒業し、舞台の仕事があり、映画やテレビもあって……。でも、この仕事では満たされない、という思いがすぐに芽生えたんです。監督と意見が合わないことがしょっちゅう。俳優に多くを要求することなく、成り行きに任せてる、という感じが許せなかったんですね」
彼女が俳優学校に進むと決めた時、彼女の舞台をすでに見ていた父親はこの選択に満足した。母親は自分も若い時に本格的ではないにしても女優業を噛んだこともあるせいか、難しい業界であり大変な仕事である、といって両手をあげて賛成ということではなかったそうだ。
昨年11月、地下鉄オデオンに近い新しいスペースへClub Sensibleは引っ越しをした。奥に設けたサロン風の寛いだ空間がアリスのお気に入りの場所だ。photos:Mariko Omura
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病気も転機にひと役買って、女優から監督へ
「女優として2~3年働き、主役を演じたこともあります。でも、自分がしていることに面白みを見いだせず、学校時代ほど楽しめませんでした。というのも単に操り人形ということに満足できず、自分自身でクリエイトする必要性を感じ始めたからです。それで映画監督に転身。それは女優として自分にチャンスを与えるためではなく、語りたいことがあり、自分の要求の高さを生かして映画を製作したかったからです。この転身については当時のパートナーと随分と話し合い、彼からはたくさんアドバイスをもらいました。また、ちょうどその頃ひどい坐骨神経痛に悩まされて歩けずにいて、オーディション、キャスティングに出かけられず、シナリオを書き始めたんです。まるで運命のよう……うまくいっていない、幸せじゃないって身体が私にささやきかけてたんですね。女優ってキャスティングに行っても、返事がずっと来ない、自分ではうまくいったと思っても返答がない、来ても不採用……ということの繰り返しで、そんなことも不幸に感じていました。時間を多く捧げる仕事には興味が持てて、幸せだと感じられることがとても大切だと私は思っています。それで病気から回復するや書き始めた短編のシナリオを実現すべく、すぐに製作者を見つけました。最初の短編のタイトルは『l’amour est aveugle』(2005年)。これも含め、私はリアリティの認識をテーマにすることが多かったですね。合計4本の短編を監督し、最初の2本はデビューなので少し不器用という点があるにしても、どれも満足できました。そのうちの1本はセシル・ドゥ・フランスが出演し、テレビ局もこの作品をフォローしてくれたんですよ。最初の短編はフェスティバルでも上映され、またテレビでも放映されていて、それを最近見直す機会があったんです。美しい作品だと思いました」
衣装も選び、俳優たちを指導して、と監督する彼女は、突然その作品の主人となったのだ。女優業とはえらい違いである。興味のあることができ、自分を表現することができた。短編を作りながら、彼女は並行して長編のシナリオを書き始めるのだが、費用の問題や、プロデューサーが降りてしまった、演じてほしい俳優が得られない、といった理由で製作が進められない年月を過ごすことになる。撮影開始にいたるには、監督としてはすべての条件が満たされるまで待つしかないのだ。
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他者の決定に依存する仕事に力尽きる
「これは女優時代にオーディションのあと回答を待っている状態と同じです。もともと書くことは好きとはいえ、シナリオを書くというのは映画として存在するためであって、書くことが目的ではありません。短編やビデオクリップの監督、テレビ用のシナリオ書きなどといった仕事で合計10~12年くらい映画界にいて生計を立てることはできていたけれど、“私の映画”の製作にいたることができない! この長編のプロジェクトが3回挫けたところで、力尽きました。新しいアイデアを書くわ!と立ち上がるバネもなく。実現しない夢を追いかけるのはもううんざり!と、欲が失せてしまったのです」
戦うことはしてきた。やりすぎたこともあったかもしれないが、その結果多くを得ることができ、10年以上を映画界で過ごせたという彼女。しかし、長編の実現は自分がコントロールできることではなく、ほかの人が戦う力にかかっていることなのだと気がつくのだ。
「いまから5~6年前のことですね。もう映画界はごめん。何かのあとを走るのもいや。私、ほかのことができるのは確かだわ。といっても、いったい私に何ができるのだろうか?……と考え始めました。知り合いは大勢いて、人脈もあります。私は成功したいという思いがずっとあったので、その頃、人間関係を築くことはごく自然にできるようになっていました」
“ほかのことができる!”と思ったことが、自分でもおもしろいと感じたそうだ。そんな彼女の頭にすぐに浮かんだアイデアはギャラリーを持つことだった。映画の仕事をしている時代にポルトガルを旅し、オリジナル作品やデッサンなど価格もそう高くなく、若い大勢のアーティストの作品を扱うギャラリーを彼女は発見した。とても気に入って、アートに興味を持っていた彼女はたくさん買い物をしたそうだ。2013年頃のことで、パリにはないタイプのギャラリーだった。
「パリにはコンテンポラリーアートのギャラリーはあっても価格的に手の届く作品はなく、いわばミュージアム的存在。自分のギャラリーを!とアイデアが浮かんだ時、このポルトガルのことを思い出したんですね。気に入ったアーティストの美しい作品を提案できる場所を開いてみたい、とインスパイアされました」
Club Sensibleのインスタグラムより。左はPascaline Dargant Collages 、右はClémentine de Chabaneixの『Apres la nuit』。
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2016年、バスティーユにギャラリーを開く
彼女の父親はニキ・ド・サンファル、クロード・ラランヌといった国際的に著名なアーティストを扱う画廊経営者だ。彼は自分が扱わないにしても若いアーティストたちの仕事には興味を持っていて、良いアドバイスをくれ、このアイデアを早速励ましてくれた。彼女の母親はというと、実際にギャラリがオープンするまで心配をしていたそうだ。画廊にはビジネス面の仕事もある。これはそれまで関わったことのない分野なのでアリスには少し不安もあった。しかし、確信のほうがはるかに大きく、“これは素晴らしいアイデア、絶対にこれを実現させるわ!”という思いが恐怖を打ち消した。
「アーティストたちに連絡をとり、プロジェクトを説明し、場所を想像してレイアウトを考えて……。これは以前の仕事同様、演出に繋がることですね。自分が好きなアーティストの作品ばかりで、しかもそれをどのように壁に配置するかを自分で決められて……売れる、売れないに関わらず、ギャラリーの場所が実在する。これは幸せそのものです」
彼女がギャラリーのために選んだ場所はバスティーユのタイランディエ通りだった。開店時は13区に暮らしていたが、その前に16年近く住んだ界隈でノスタルジーもあったゆえだという。近所の店とも知り合いで安心だし、どんなクライアントが得られるかの可能性も見えるという利点もあった。
「扱うのは若いアーティストで価格も手頃なものというセレクションでした。クラシックなタイプのギャラリーでは展示されないアーティストたちで、私の感性に合うオリジナル作品、そしてエディションのプリントを集め、表現法については私はあらゆる種類にオープンなので、気に入るものならデッサン、コラージュ、セラミックでも……。バスティーユにオープンする際に父親からあらかじめ伝えられていたことがあります。最初は友だち、親戚、買い手の好奇心ゆえに好調な滑り出しをすると。確かに3~4カ月はその通りでした。その後数字がひどく落ちこむことはなかったけれど、衣類と違って誰も1日おきにデッサンは買いません。常にリニューアルをすることの必要性を感じ、ウィンドウディスプレイを変え、イベントを開催して人々を集め、アーティストとの出会いを設けたり……と存続させる努力をしました。オンラインの販売を始め、海外でも売れるようになりました」
Maïssa Touletのユニークピース。人形やおもちゃなど掘り出した品から生まれるアート作品はキャビネ・ドゥ・キュリオジテ風だ。左のウィンドウの小さいサイズなら1点100ユーロ以下と求めやすい。photos:Mariko Omura
昨年、新しいテリトリーを試してみたいという気持ちから、彼女はギャラリーの引越しを決めた。場所が変われど、オープン時からいまも仕事を一緒にしているアーティストは少なくない。彼女は作品が好きで気の合うアーティストとだけ仕事をしているという幸運に恵まれている。たとえば、コラージュのBertrand Sallé(ベルトラン・サレ)、クアラルンプールのKamwei(カムウエイ)、幼少期をインスパイア源とするアーティストのMaïssa Toulet(マイサ・トゥーレ)、ポエティックなセラミックをつくるClémentine de Chabaneix(クレマンティーヌ・ドゥ・シャバネ)……。
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6区へ引っ越し、ユニークピースの扱いを増やす
「いま、6区という場所柄、ユニークピースへと軸を移しています。そして作品のサイズも大きくなっていて、価格はリーズナブルなことに変わりはないけれど、バスティーユにいた頃より上がっています。アーティストの中にはある程度の価格にふさわしい人がいて、たとえばクレマンティーヌ・ドゥ・シャバネが5年前は180~200ユーロだったのが、いまでは1,000ユーロの価値に、というように。アーティストの価値が上がるのは、ギャラリー経営者の義務なんです。若いアーティストたちは最初は友達に売って、というような始め方をしているせいか自分の力に自信が持てず価格を低めに設定しがちです。私は度を越すことはしませんけど、売れる作品については価格を上げてゆきます。アーティストたちは売れていることに満足なので、それが不安なようだけど、“試してみましょう”と。実際にうまくいっています。お客さんたちも美しい作品に喜んでいます。もっとも私のギャラリーでは高価といっても、1点が1万ユーロとかするのではなく、たとえばMonsieur Caillou(ムッシュ・カイユー)のセラミックは250~750ユーロ、マイサ・トゥーレの貝の脚の作品は樹脂素材で手作りの一点ものでも2,800ユーロです。アートに興味があり、気に入った一点ものなら受け入れられる金額ですよね」
ここで挙げているムッシュ・カイユーは目下のアリスのお気に入りアーティストのひとりだ。“惑星の標本”ということで制作するセラミックのひとつひとつに彼は名前をつけていて、ユーモラスで美しく売れ行きも好調。もうひとりのお気に入りは日仏アーティストのKimiko Kitamuraで、1年半くらい前に彼女からコンタクトがあり、色鉛筆のデッサンで作品ごとに書かれたポエティックなフレーズもアリスの気を引いた。
左: ムッシュー・カイユー。中央のブルー「Spécimen#0146」は350ユーロ。 右 : Kimiko Kitamuraの作品。80ユーロ〜。
「彼女のように連絡をとってくるアーティストも多いですよ。私には好奇心があるし、“金の卵”を逃したくないので必ず仕事を見るようにしています。常に新しいアーティストを探していて、作品が見られるだけでなく、そのアーティストの世界も見えるインスタグラムは“アーティストのショーウィンドウ”ですね。リサーチの最高の道具。まずインスタグラムをチェックして、気に入ったらサイトを見るというようにしています。こうして海外のアーティストにもコンタクトして……」
この新しいサンジェルマンのギャラリーを訪れる層はバスティーユ時代に比べ、少し年齢が高く、アートに精通していて、オリジナル、ユニークピースを求める人も多い。良いタイミングで良い場所にギャラリーの引越しをしたと彼女は満足している。ギャラリーを開く以前の彼女の経験からいまの仕事に役立っていることとして2つを挙げる。ひとつは映画監督をしていたことから、光と空間の関係についてのビジョンがあり、いかに作品を配置するかというアイデアも簡単に浮かぶ。2つ目は、女優だったので対人的に臆することがなく、社交的ということだ。未知の人とも会話を交わすのが苦痛ではなく、他人と打ち解けることが簡単にできる。クリュブ・ソンシーブルの扉を開けて入ってきた人たちと、挨拶を超えた関係を築きたいと彼女は願っている。
左: グラフィック作品ほか、クリュブ・ソンシーブルが扱うタイプは幅広い。 中: ヴィンテージの眼鏡フレームがアートフレームに! 1点135ユーロ。 右: Lisa Agnetunによるひび割れ陶器のファントムシリーズ。一点もので価格もそれぞれ異なる。左中で90ユーロ。photos:Mariko Omura
13, rue des Quatre Vents
75006 Paris
開)14:00〜18:30
休)日、月
www.clubsensible.fr
@clubsensible
editing: Mariko Omura