LA育ち29歳の主人公イッサ・ディーの日常を描くコメディドラマ『インセキュア』はHBOで5シーズン続いたヒット作だ。おしゃれな女性起業家がキャリアや恋愛のアップダウンに悩みつまづきながらも、愛する地元サウスロサンゼルスの活性化の夢を成就させていく物語で、アメリカではつい2021年末に完結を迎えた。
このドラマが終わってしまって寂しいのは私だけでなく、アメリカのメディアもしかりで最近までしばらくこの話題に沸いていた。
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ブラックカルチャーを舞台としたこのドラマの原作・制作、主演を務めたイッサ・レイは近年エンタテイメントビジネス界において、新しいタイプの女性リーダーとして注目されている。女優、プロデューサー、脚本家、時にラッパー、起業家でもある彼女はハリウッドや音楽業界に根深く存在する人種や性差別、搾取の実情に反旗を掲げるために、真っ向から声高に挑むことはしない。
声を上げたところで実質的には無視されるだけなのは、経験からわかっているからだ。だからレイが「毒々しく、犯罪者があふれている」と批判する業界のインフラに全面的に頼らないよう2012年から自身で制作会社やマネジメント会社を起業し、『インセキュア』の原点でありブレイクのきっかけとなったYouTubeのウェブドラマシリーズ「The Misadventure of an Awkward Black Girl」を制作。クラウドファンディングも利用して資金を集めた。自分の主張やアイデアを映像作品化し、自分が管理するプラットフォームで配信したのだ。独自のクリエイティビティやビジネスビジョンがブレないよう慎重に協力者を選びチームを固め、小さな成功を重ねてより大きな機会を得てきた。現在は彼女が創設者、最高経営責任者として指揮を取るエンターテイメントメディア会社Hoorae(フーレイ)のほかに、ホスピタリティ、ビューティ事業などの起業や経営にも関わっている。
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ドラマ『インセキュア』は、劇中に流れるセンスのいい音楽もファンの心をつかんだ要素のひとつだった。映画やテレビでの露出が新しい音楽にどれだけ効果があるかを理解している彼女の功績だろう。音楽愛好家でもあるレイはオーディオコンテンツ会社Raedio(レイディオ)も2019年に起業。アーティストの発掘やライブ、映画やTVドラマなどの音楽監修を業務とし、レコード契約(音楽出版)はアトランティックレコードと共同で行っている。
『インセキュア』のサントラは「ドラマがヒットしなくても、音楽は最高だという自信があった」というほどの力作。ドラマ同様にLA、女性、インディーズを重視した選曲でドラマをきっかけにブレイクしたアーティストたちの声が印象的だ。
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また『インセキュア』では、音楽だけでなくファッションやサウスロサンゼルス地区での撮影にこだわり、インディーズのアーティスト、黒人女性、地元のビジネスなど新しい才能を積極的にフィーチャーした。
サウスロサンゼルスといえば、黒人が多く住み、治安が悪いと悪名高きエリアだが、ドラマの舞台はその中でも比較的安全で富裕層も含むコミュニティやカルチャーがあるヴューパークやウィーンザーヒルズだった。ドラマのヒットにより、サウスロサンゼルスが犯罪や貧困、ラッパーやギャングなどメディアに氾濫する黒人社会だけではないことを知らしめた。
ちなみにドラマにも登場し彼女が共同経営者であるヒルトップカフェは、地元だけでなく『インセキュア』ファンのメッカ的存在。カフェを筆頭にサウスロサンゼルスの『インセキュア』撮影スポットマップがあるほどで、地元のロケツーリズムにも貢献している。
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レイには大企業を巻き込み、これまで機会やネットワークが限られていた無名のクリエイターやビジネスを下から支え、表舞台に押し上げる力がある。
2022年1月にはGoogleとのパートナーシップで女性アーティストを支援する「レイディオクリエイターズプログラム」を発表、2月から公募をスタート。ミュージシャンと作曲家2名を選出し、レコーディング、メンターシップ、マーケティングまでをサポートする。
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また、レイのファンクラブともいうべきInside Sh*t(月額5ドル)は、脚本やドラマ制作の指導動画にアクセスでき、レイ本人ににエンターテインメントビジネス関連の質問をしたり、メンバー同士のネットワーキングなどが可能で、従来のファンクラブを超えたビジネスプラットフォームとなっている。
幼い頃から「ボスになりたかった」というイッサ・レイは、生まれながらのリーダーシップ力を発揮し、自分に続く世代のクリエイターやマイノリティ支援にも尽力している。才色兼備でマルチな才能を発揮する彼女が、これからのエンターテインメント界、果てはアメリカ社会をいかにポジティブにリードしていくのか、目が離せない。
text: Chinami Inaishi
稲石千奈美
在LAカルチャーコレスポンデント。多様性みなぎる都会とゆるりとした自然が当然のように日常で交差するシティ・オブ・エンジェルスがたまらなく好き。アーティストのアトリエからNASA研究室まで、ジャーナリストの特権ありきで見聞するストーリーをエディトリアルやドキュメンタリーで共有できることを幸せと思い続けている。