現代人が所有する平均的な衣服数は50年前に比べて5倍という。そして昨年に全世界で生産された衣服の数は1000億着。しかもそのうちの3割は売れ残り誰も袖をとおすことなく破棄されている。
衣服は自分自身を表現するツールともなりうる、かけがえのない存在だったはずなのに、いつの間に次から次へと消費していくものになってしまったのだろう?以前のようにもっと純粋にファッションを楽しみながら衣服との関係を慈しみ、自分も周りもハッピーにしていくにはどうしたらいいんだろう?
その答えを探りたいのならば、5月にパトリック・グラントが上梓した『LESS』にヒントがあるかもしれない。
『LESS』の表紙に並ぶラウンドネックのセーターやネイビーのチノは、パトリックの定番スタイルともいえるアイテムだ。
パトリックはイギリスだけではなく日本でも放映されている人気の裁縫バトルTV番組「ソーイング・ビー」の審査員であり、また老舗テーラー街サヴィル・ロウに店を構える「ノートン&サンズ」のオーナーだ。
この本は消費の歴史ととともに、パトリック自身がエジンバラでの少年時代を経て、80年代にロンドンのコべントガーデンにあるポール・スミスでショッピングをした思い出や、ファッション業界でのキャリアをスタートする青年期を振り返ることから始まる。
パトリック近影。『LESS』の裏表紙から。
幼い頃から物を作ることが好きで手仕事の確かさを実感していた彼にとって、ファッションにおいてもそれは大切な要素となっていた。
しかし21世紀に入るとネットショッピングが人気となり、安価な服や小物を次々と販売するサイクルが出来上がる。さらにそれらの値段を下げるためにコストがあまりかからない地域の工場で莫大な量のロットで生産するという各メーカーが築いた、いびつなシステムがどんどんと巨大化し、それに追い立てられるように人々もまた消費を繰り返すようになっていった。
生活するためには物は必要だ。でもたとえば暖かなセーターが一枚、お気に入りのマグがひとつ、座り心地の良い椅子が一脚あれば、それで十分リラックスして豊かに暮らせるのではないだろうかとパトリックは問いかける。昔ながらの素材や職人たちの技術で創り出されたものだけが持つ豊かさは、幸福な気持ちも授けてくれるから。
背表紙にはマグの写真が。パトリックの愛用品なのかも?
生産者や生産地を気に留めながら、選りすぐった数少ない品に囲まれての暮らしこそ、自分だけではなく、他人にも環境にも優しくハッピーな暮らしに繋がっていくと説いている。
この本が出版されるずっと前に、メンズ雑誌「Pen」の取材でパトリックの自宅を訪ねて彼のワードローブを見せてもらったことがある。それはファッション業界人とは思えないくらい、少ない品数で構成されていた。上質なコットンのシャツや仕立ての良いスーツ、丁寧に磨かれた履き込んだ靴。それらは一点一点注意深く選び、大切にしながら愛用している品であるのは間違いないとひしひしと感じたのをいまでも鮮明に覚えている。
ファッションの楽しさとは消費を繰り返すことではなく、作られた工程や環境にも目を向けて選んだ本当に愛せる品と向き合い、長い年月をかけて自分とのあいだに素敵な物語を紡いでいくことなのだと改めて気付かせてくれる一冊だ。
text & photography: Miyuki Sakamoto
在イギリスライター。憂鬱な雨も、寒くて暗い冬も、短い夏も。パンクな音楽も、エッジィなファッションも、ダークなアートも。脂っこいフィッシュ&チップスも、エレガントなアフタヌーンティーも。ただただ、いろんなイギリスが好き。