食の都・香港で、ミシュランガイドの星の数やレストランのランキングの発表が毎年大きな話題になるのは、ほかのエリアと変わらない。しかし2025年3月に発表された、今年のミシュランガイド香港・マカオには、香港の飲食業界に関わる人たちを、あっと驚かせた朗報が含まれていた。16年連続2ツ星だった「Amber(アンバー)」が、初めて3ツ星に昇格したのだ。
「今年特別なことがあるという匂わせは一切なくて、授賞式では本当に驚いたよ」と微笑む、アンバー総料理長のリチャード・エッケバス。 photography: Miyako Kai
「アンバー」は、ラグジュアリーホテル「ザ ランドマーク マンダリン オリエンタル」のメインダイニングであり、同ホテル総料理長であるオランダ出身のリチャード・エッケバスが自ら率いるフレンチレストラン。2005年の開業当時、香港と言えば広東料理の本場ではあるけれども、ヨーロッパ料理については世界的な評価がまだそれほど高くなかった時代に、カリスマ性あふれるエッケバス氏とのコラボレーションを求めて、世界中の名だたるシェフたちが香港を訪れるようになる。極上の食材を斬新なアイデアを駆使して仕上げる料理で世界的なランキングでも上位の常連となり、香港の飲食業界のレベルアップをけん引。アンバーは名実ともに香港のトップレストランとして君臨してきた。
ランキングや格付けではすべての人が納得する結果が出ないものだが、その中でも「なぜアンバーは3ツ星にならないのか」というのは、当時から香港の飲食業界や食通の間で語り尽くされた話題だった。エッケバスさん本人も、3ツ星獲得を目指した時期があったというが、「だからと言って、評価されやすそうな伝統的なスタイルへと傾くのは、自分らしくない。あくまで最先端を追求し続けたかった」という言葉通り、星の獲得にこだわらずに、あっと驚く方向転換をすることになった。
2018年に、大成功を収めていた「アンバー」を半年間休業し、コンセプトを根柢から刷新。2019年に再オープンしたときには、サステナビリティを軸に据えた新タイプのラグジュアリーレストランへと転換を遂げた。
再オープン後の新インテリアは、軽やかな曲線遣いが特徴。ニューヨークを拠点として世界の名ホテルやレストランをデザインしてきたAdam D. Tihanyが手がけている。漂白剤を多用する頻繁な洗浄が必要なテーブルクロスをあえて取り除いた。 photography: The Landmark Mandarin Oriental, Hong Kong
「フレンチレストランなのにデイリーフリー、最高級店なのにテーブルクロスを撤去するなど、新しいスタイルを貫いたので、元々のファンからも賛否両論となった。もちろん品質には妥協せず、たとえばクリームやバターを使わなくても、40種類のプラントベースオイルを揃えて、組み合わせや調理法の実験を繰り返して、しっかりとしたソースの風味や食感のバラエティを生み出すなど、試行錯誤を継続して完璧を目指してきた」とエッケバスさん。コースの途中で、ゲストをキッチン内に招待して、忙しく働くシェフたちの姿が見渡せるカウンターで、シェフがその場で仕上げる一品を食べてもらうというキッチン体験も、アンバーでの食事の新たなハイライトになった。
6コースの「アンバー Experience」に含まれたキッチン訪問は、主にメインコースの魚料理をキッチン内でいただくもの。体験を重視する世代の顧客の嗜好にぴったりと合致した。 photography: The Landmark Mandarin Oriental, Hong Kong
再オープン当時、すでに50代だったエッケバスさん。彼にとっては、長年かけて築きあげていた成功を破壊して、一からやり直すという思い切った挑戦だった。
「この頃、自分のライフスタイルも様変わりすることになった。かつてはシェフと言えば、働きすぎ、飲みすぎ、太りすぎというのが一般的で、同年代のシェフ仲間の多くが若くして亡くなった。自分が仕事の上での挑戦を続けていくには健康を保ち、ワークライフバランスを取る必要があった。僕の場合は、30年近く離れていた登山を再開して、やがてネパールやアルゼンチンなどで7000~8000m級の山々に挑戦するようになった」
南極海の深海魚マゼラン・アイナメを主役に、フランスのペルテュイ産グリーンアスパラガスや乳酸発酵させたカシューナッツバターなどをあしらった一品。 photography: The Landmark Mandarin Oriental, Hong Kong
登山では、常により難しいルートに挑むからこそ満足感が得られるもの。それは自分にとってのレストランビジネスでの方向性を選択する指針にも共通している、と笑う。
過酷な登山に負けない身体を作るため、かつては8時起床で仕事に出ていたエッケバスさんは、毎朝6時から2時間走るようになり以前よりずっと健康になったという。「そんな僕を見て、チームの若いシェフたちも身体を鍛えるのが当たり前になってきたから、ポジティブな影響を与えられたかなと思うよ」
すべてのコースでベジタリアンの選択可能。エルサレム・アーティチョークを使ったベジタリアン・メニューは、クルミのサワードウ味噌、黒ニンニク、自家製ビールビネガー、エクストラバージンのクルミオイルを組み合わせた、奥深い味わい。 photography: The Landmark Mandarin Oriental, Hong Kong
再オープン時には、批判も少なくなかった新路線も、いま思えば時代を先取りし過ぎていたのだろう。より若い世代に響くコンセプトになったため、アンバーでは中心となる顧客の年齢層がかつての40~50代から30代にまで若返り、香港でのラグジュアリーレストラン業界の不況にも影響されずに、常に満席を維持している。
2022年には、サステナビリティを追求するレストランを讃えるために新設されたミシュランの「グリーンスター」を獲得。そして16年間、不動の2ツ星であったことから、シェフ本人さえまったく想定していなかった3ツ星昇格が、2025年に実現した。これにより、グリーンスターと3ツ星を両方獲得している世界で38軒(2025年7月現在)しかないレストランのひとつとなった。
ドリンク類にも力を入れているアンバー。こちらは毎年余剰が廃棄されていた香港産オーガニック・ライチ250kgを、地元の醸造所Young Masterとオーガニック農園Farmhouse Productionsと協力して作り上げた、エレガントで力強さもあるオリジナルのエールビール「アンバー Lychee Wild Ale」。 photography: The Landmark Mandarin Oriental, Hong Kong
60歳を前にしても、挑戦意欲はまったく衰えず、これからマンダリングループの下、世界で複数の最先端レストランのオープン準備を任されているというエッケバスさん。忘れた頃にやってきた3ツ星の栄誉に、これ以上ふさわしい人はいない。

ジャーナリスト、編集者、コーディネーター。東京で女性誌編集者として勤務後、ヨーロッパ、東京、そして香港で18年を過ごす。オープンで親切な人が多く、歩くだけで元気が出る、新旧東西が融合した香港が大好きに。雑誌、ウェブサイトなどで香港の情報を発信中のほか、個人ブログhk-tokidoki.comも好評。大人のための私的香港ガイドとなる書籍『週末香港大人手帖』(講談社刊)が発売中。2024年に帰国。