ニューヨークの今年一番のビッグニュースと言えば、市長選。34歳で、初のアジア系・ムスリム・民主社会主義者の市長となるゾーラン・マムダニが、先日の選挙で若者から絶大な人気を集め、歴史的な勝利を収めたことは記憶に新しい。ウガンダ出身のインド系家庭で育ったマムダニは、2026年1月からニューヨーク市の111代目のリーダーとなる。歴代市長とは一線を画すバックグラウンドを持つ存在だ。

シリア系アメリカ人のアーティストである妻、ラマ・ドゥワージとの出会いは、マッチングアプリ「Hinge(ヒンジ)」。行きつけのショップは「ユニクロ」。これに対し彼は「本当に頼りになるから」と語っている。いかにもニューヨーカーらしいコメントだ。
母親のミーラ・ナーイルは、映画『サラーム・ボンベイ!』でアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた国際的な映画監督。父のマフムード・マムダニは、コロンビア大学で人類学と政治学を教え、コロニアリズムについて研究し、著名な学者エドワード・サイードとも親交があった教授。そんなアカデミックで多文化的な背景のなかで育ったマムダニが志す、ニューヨークの未来とは?
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暮らしのコストを下げる取り組み
「ニューヨークは世界一の街だと言われるけれど、住めなければ意味がない」。これは、マムダニが繰り返し、語っていたフレーズだ。家賃凍結、市バスの無料化、市が運営する公営食料品店の設立など、彼が掲げる政策は、世界でもっとも生活コストが高い都市のひとつであるニューヨークを根本から立て直す試みだ。インフレの影響により市民の生活費が一段と重くのしかかるなか、暮らしの負担を改善することを掲げている。
なかでも最大の焦点は住宅政策だ。ニューヨークは全米でも家賃が非常に高く、毎年の値上げが当たり前になっている。そこでマムダニが重視するのが、家賃規制アパートの家賃凍結だ。家賃規制アパートとは、家賃の上げ幅が法律で決められている、低〜中所得者向けの住宅のこと。市内に約100万戸あり、家賃高騰から住民を守る役割を果たしてきた。マムダニは、この家賃規制アパートを対象に、任期4年間は家賃を上げないと公約。すべてのアパートが対象ではないものの、多くの市民の生活を支える、大きな一歩となりそうだ。
次に掲げるのが、公共交通の無料化だ。彼は「ニューヨーク市民の多くが、地下鉄片道2.90ドルの負担に苦しんでいる」とし、市バスを段階的に無料化する計画を打ち出している。交通費の負担を減らすことで、生活費の安定だけではなく、住民の移動が増え、地域経済の活性化にも繋がると期待されている。
ただ、市バスの無料化は実現するのが難しいとも言われている。ニューヨークの交通機関を運営するMTAは常に財政赤字と向き合っており、運賃は路線を支える重要な収入源だ。無料にするなら、失われる収入をどこで補うのか、明確なプランが必須だ。市民に優しい発想だが、現実には大きな調整が必要な政策でもある。ニューヨーク州のホークル知事は、同件について慎重姿勢を示しており、現時点では実現は難しいとしている。ニューヨークの住民としては、「バスが無料になってくれるのはうれしいが、現実には難しいだろう」というのが本音だ。
さらに注目したいのが、市が運営する「パブリック・グローサリー(公共食品店)」の構想だ。パンデミック以降、食料品価格は上昇しており、市民にとって大きな痛手となっている。マムダニは、市が安定した価格で食材を提供する店舗を設け、食料を手頃な価格で入手できる仕組みを作ろうとしている。これは北欧の一部の都市でも実施されており、経済よりも暮らしの豊かさを優先する、新しい取り組みでもある。
また、多くの家庭が期待を寄せているのが、幼児保育(チャイルドケア)の無料化だ。ニューヨークの保育費は全米でも最も高く、保育園の費用は月2000〜3000ドル以上かかると言われている。マムダニは、生後6週から5歳までのチャイルドケアを無償化し、どの家庭でも安心して働き続けられることを掲げる。若い世代が家族を持てるようにするための政策だ。
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期待が高まる街のムード
観光については、マムダニが大きな公約を掲げているわけではないものの、ニューヨーク市では、観光客が利用するサービスをどう街づくりに生かすかが話題になっている。現在、ホテルに泊まると約15%のホテルタックスがかかり、その収入は市の大切な財源になっている。また、Airbnbなどの短期賃貸は、住民が住むための部屋が減ってしまうことから規制が進められている。観光で使われるお金や仕組みを街のために活用する動きは、新市長が目指す生活の安定とも繋がっているかもしれない。
市長選の前は、生活コストの高騰に耐えきれずに街を後にする人も多かったニューヨークだが、いまは暮らしが少しでも良くなるかもしれない、という期待が広がり始めている。市政への関心が高まり、日々の生活に変化が訪れることへの前向きな空気が、街のあちこちに漂うようになった。長引くインフレに疲れたニューヨーカーたちは、願うような気持ちで、新しい市長の舵取りを見守っている。

長谷川安曇
東京出身、2004年からニューヨーク在住。フリーのライターとして活動しながら、映像制作にも携わり、キャンペーンやミュージックビデオのプロデュースとフィルムメーカーとしても活動する。www.azumihasegawa.com




