連載【石井ゆかりの伝言コラム】第18回「10連休」&「新元号」
石井ゆかりの伝言コラム 2019.05.01
第18回「10連休」&「新元号」
今年のゴールデンウィークは10連休ということで、楽しみにされていた方も多いのではないかと思います。私はフリーランスなので、基本的に「人が休んでいる時は働く」ことにしております。混雑が苦手なので、休みは平日の、空いている日にとったほうがいいのです。とはいえ、火曜・水曜・木曜は、お店の定休日も多く、観光地にいたってはそもそも「オフシーズン」でどこもやっていない、などということもしょっちゅうです。やはり、社会的な時間割と一緒に動くほうが、結果的には効率が良いのかもしれません。
「社会的な時間割」といえば、なんといっても、新元号です。最近は役所などでも西暦での記入がOKのところがずいぶんありますので、あまり「平成」を気にしなくなっていましたし、生活がどう変わるわけでもないのですが、発表の日のあのドキドキする感じは、一体何だったのでしょうか。ネットで見ていても、多くの人が「どうでもいい」と言いつつ、時間が迫るとテレビやラジオをつけているのが伝わってきて「この興奮……おそるべし!」と思いました。
このコラムでは、しばしば「時間の区切り」の話を書いてきております。時間にはもともと「区切り・境目」など存在しないのに、人間はどうにかしてそこに線をひいて、その線を「感じる・生きる」ことに怖ろしいほどの情熱を注ぐ生き物なのです。年末年始や春分・秋分、年度替わりなど、時間軸の上で「そこを目指してまっしぐらに突き進む」という目的地のようなものを、私たちは「仕込む」ことなしにはいられないようです。
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お正月やお盆などは、毎年決まって巡ってくるものですが、「元号」というものは、いつ切り替わるかわからない「境目」であり、非常に特殊です。今回もカレンダーどおりではありませんでしたし、どこの国・文化にもあるというものでもありません。当たり前のように私たちは「元号」を受け入れていますが、これはよく考えると非常に不思議なものです。ある国家なり、集団組織なりが、時間に名前をつけようというのです。そして、構成員の全員がその「意味」を分かち合っているわけです。
犬や猫、林檎や梨ならば、目に見えますし、手で触れられます。形があって色がある、質感があるものに、名前をつけるということは、なるほどと思われます。でも、もともと形もなければあるかどうかもわからないものにも名前をつけるという衝動は、一体どこから来るのでしょうか。物体に名前をつければ便利になりますが、形のないもの、存在するかどうかわからないものに名前をつけると、話はかえって、ややこしくなるような気もするのです。
実は、占いもまた、形のないものばかり扱う世界です。
そもそも占いと「時間」は切っても切れない関係にあります。さらに「運」とか「流れ」とか「相性」とか、あるのかないのかわからないものに名前をつけて、それらを扱うのが主な作業なのです。ただ、占いで使う「時間の名前」は、一般名詞です。
いっぽう、元号は、人の名前や地名と同じような、「固有名詞」です。固有名詞が与えられるということは、「完全に同じものは存在しない」という認識を生みます。今日と明日と明後日、過去と現在と未来は、特に個別の名前を持っていませんが、「平成」「令和」という時間には、個別の名前があって、区別されます。数字で呼ばれるだけの時間とは、これはだいぶ、事情が異なります。
その証拠に、新元号が発表されるとすぐ、多くの人が「その時代の特徴」「性質」「意味」などについて語り始めました。まるで、生まれたばかりの子どもに命名し、その子の性格や才能や未来を語りあっているようでした。
人間はあらゆるものを擬人化し、語りかけようとしますが、もしかして「時間」にも、ある種の人格のようなものを感じとろうとしているのでしょうか。
10連休、普段とは別の時間の流れを感じる人も少なくないだろうなと思います。「時間」の扱い方、感じ方には思いがけない広がりがあるものなのだなあと、あらためて感じたエイプリルフールだったのでした。
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