連載【石井ゆかりの伝言コラム】第24回「どんぐり」&「銀杏」

第24回「どんぐり」&「銀杏」

銀杏、と書いて「いちょう」とも「ぎんなん」とも読みます。お題を出してくれた青木さんがどちらの意味で書いたのかはわからないのですが、どっちでもいいということにしようと思います。
京都にも銀杏の美しいところはたくさんあります。東大路の京都大学のあたりが有名ですが、今出川通付近から北大路方向に堀川通をずっと上がっていくルートは壮観です。私が個人的に気に入っているのは京都工芸繊維大学の門の大木で、特に散り始める頃には景色全体が金色に染まります。
 紅葉や楓と違い、銀杏はムリに山に登ったり、「名所」のような場所にゆかなくても、街中で普段から楽しめる紅葉なので、私のような出不精には、とてもありがたいのです。秋から冬への贈り物のようです。多くの人が銀杏の実であるぎんなんを拾おうと、木の根元をうろうろしているのを見るのもおもしろいものです。なかには料亭のスタッフなど「プロ」もいるという話を聞いたことがあります。まさに「贈り物」です。

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幼い頃は木の実はなんでも、宝物のように見えました。小学生の頃、近所に林が多かったので、ドングリやクヌギを大事に集めて遊んだのを思い出します。先日、ネットで読んだ記事にドングリの話がありました。スーパーマーケットの床にドングリが落ちているのを見た人が、「これは、どこかの子が落とした宝物かもしれない」と思い、思い切ってサービスカウンターに落とし物として持ちこんだところ、ちょうどそこにドングリを落とした子が探しに来ていた、というのです。
ドングリを拾ってあげた人は、ただ優しい人だったというのに留まりません。子どもの頃に木の実を大切に集めた気持ちを覚えていなければ、そんなことはできなかっただろうと思うのです。
不思議で仕方がないのですが、幼い頃のトキメキや夢見る気持ち、何かを特別に大事に思う気持ちは、大人になるとどんどん、わからなくなります。
わずかにその気持ちを忘れずにいられる「選ばれし人々」だけが、絵本の名作を作ったり、子どもが心から欲しがるおもちゃを作ったり、ドングリの忘れ物を届けたりすることができるのだろうと思います。

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相次ぐ台風や災害など、最近は大自然の怖ろしさがしばしば、話題に上ります。大自然は人間にとって脅威であり、その脅威と戦うために、これほどの文明を発達させたのが人間です。
そのいっぽうで、幼い子の目にドングリが宝物と映るのは、なぜなのでしょうか。誰に教えられたわけでもなく、木の実を集めたがるのは、どうしてなのでしょうか。
ぎんなんは、しばらく地面に埋めて皮を腐らせてから食べるのだ、と聞きました。確かにぎんなんはほろ苦く美味ですが、食べすぎると害になるとも聞きました。面倒で、害があり、臭いもあるぎんなん。それでも、私たちはあの、殻を剥くと翡翠のように美しい木の実を、心から珍重し、楽しみます。
私たちの「心」は生まれながらに、いくつもの不思議な眼差しを抱えているもののようです。

design : SANKAKUSHA

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