『レオン』が描いた、少女の性と「男性目線」。

Society & Business 2021.02.19

From Newsweek Japan

ロリコン願望におもねる男性目線の描写と決別し、リアルかつ繊細に思春期を描く新しいまなざし。

nww-200806-movie02-thumb-720xauto-208944.jpg

YouTube Movies/YouTube

文・ロイス・バーク(英エディンバラ・ネピア大学助教)

リュック・べッソン監督の映画『レオン』がアメリカで公開されたのは1994年11月。4半世紀たった今も、議論の的であることに変わりはない。監督自身が編集した完全版は既にリリースされているが、現在は25周年を記念したその特別版も出回っている。

初公開時に物議を醸したのは主役のふたり、一匹狼の殺し屋レオンと年端も行かないその弟子マチルダの関係性だ。10代初めのマチルダが見せる性的な早熟さは観客だけでなく、批評家にも衝撃を与えた。それでもこの映画でマチルダ役のナタリー・ポートマンとレオン役のジャン・レノはスターになり、フランス出身のべッソン監督は華々しくハリウッド進出を果たした。

これまで長年、思春期の少女の物語は性的な早熟さという切り口で紡がれてきた。筆者の専門は若年層の文化研究。この立場から少女の文化の特性を深掘りすれば、支配的な男性目線に代わる新しいまなざしを見いだせそうだ。

映画の世界では、男性目線は異性愛者の男性の視点を意味する。映画やテレビ業界では往々にして彼らが決定権を握っているからだ。

『レオン』は批評家に絶賛された作品であり、多くの点でいま見ても古くさくない。だが少女の性の描き方は公開当初から問題になってきたし、いま見返しても違和感を覚える。

---fadeinpager---

マチルダ(ポートマンは12歳でこの役を演じ、映画デビューを果たした)は家族全員を殺され、同じアパートの住人レオンに助けを求める。レオンには年齢を偽って18歳だと言うが、どう見ても10代初めだ。過酷な家庭環境で育ったマチルダは「私はもう大人よ」と言い張る。「後は年を取るだけ」だと。

時がたつにつれ、2人の間には親密な感情が芽生え、マチルダはレオンに思いを告白し、抱いてほしいと懇願する。

印象的なのは、マチルダがマドンナやマリリン・モンローの扮装をして、レオンに誰の物真似か当てさせるゲームの場面だ。ここはリハーサルなしで撮影したので、ポートマンがマドンナになり切って「ライク・ア・ヴァージン」を歌い、当時大統領だったジョン・F・ケネディのために色気たっぷりに「ハッピー・バースデー」を歌うモンローを真似るのを見て、レオン役のレノが見せる驚きの表情は演技ではないだろう。

賛否両論を招いたこのシーンを見ると、何とも居心地の悪い思いがする。とはいえ、ここで描かれているのは定型的な女の子の遊びだ。この年頃の少女たちにとって、ドレスアップして大人の女性を真似るのは楽しいゲームなのだ。

---fadeinpager---

「性的テロ」の標的に

少女たちが成長過程で背伸びをして大人の真似をするのは今に始まったことではない。インターネットやテレビはおろか、映画やラジオもなかった19世紀にも、少女たちはメディアの影響を受けて大人のやることを真似ていた。当時女の子が夢中になったメディアは雑誌だ。

「子供の権利」の提唱者として知られる社会改革家のエグランティン・ジェッブ(1876〜1928年)は、少女時代から文章を書くことが好きだった。当時の彼女が発行した手作りの雑誌はいまでもロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの女性図書館に保管されている。その中には『ピクウィック・ペーパーズ』なる雑誌がある。

『ピクウィック・ペーパーズ』はチャールズ・ディケンズの初の本格的な長編小説。ピクウィック・クラブなる架空のクラブ発行の月刊誌の形式で発表され、人気を博した。

といっても、ジェッブはディケンズを真似たのではない。ルイザ・メイ・オルコットの小説『若草物語』を読み、この作品を知ったのだ。『若草物語』では主人公の4姉妹が自分たちをピクウィック・クラブのメンバーになぞらえて「ごっこ遊び」をする。

こんなふうに子供たちが模倣を通じて成長することは社会学者や教育学者にはよく知られている。社会学者のウィリアム・コーサロは、これを「解釈的な複製」と呼ぶ。ただの真似ではなく、そこには主体的な要素もあるからだ。

小説や映画では多くの場合、少女の性はオブラートに包んで表現される。実際、あからさまな描写は良くても退屈、ともすると危険だ。ポートマンはマチルダを演じたために「性的テロ」の標的となり、怖い思いをしたと率直に語り、「いまなら『レオン』は製作されないと思う」と言っている。

では男性目線に代わる描写は可能なのか。近年の注目すべき現象は、女性の作家や映画監督が少女の物語を自分たちの手に戻し始めたこと。そのひとりがフランスの映画監督セリーヌ・シアマだ。

---fadeinpager---

デビュー作の『水の中のつぼみ』(07年)をはじめ、シアマは若い女性を主役に据えた作品を次々に発表してきた。そして少女時代の人間関係、遊び、創造性の物語が全て、心を揺さぶる映画になることを証明してみせた。それらは思春期の性を繊細に扱った作品でもある。

男性目線で好まれる性的な早熟さという手あかのついた題材があまりに長く幅を利かせてきた。少女たちのリアルな体験や興味、自由でクリエーティブな生き方をシアマらの作品に期待したい。

Lois Burke, Research Associate in English, Edinburgh Napier University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

[ニューズウィーク日本版 2020年8月4日号掲載]

0e123ac85a74225410c5c6f32b0ba4809aea2460.jpg

texte:LOIS BURKE

Share:
  • Twitter
  • Facebook
  • Pinterest

Business with Attitude
Figaromarche
あの人のウォッチ&ジュエリーの物語
パリシティガイド
フィガロワインクラブ
BRAND SPECIAL
Ranking
Find More Stories