離婚が禁止されている国、フィリピンの実情とは。
Society & Business 2021.09.29
カトリック信者が多数を占めるフィリピンは、バチカン以外で離婚を禁じている世界で唯一の国だ。夫が暴力を振るおうが、不貞を働こうが、手を切ることはできない。離婚の唯一の方法は相手の精神的欠陥を証明することだが、この手段に訴えられるのは富裕層だけだ。
「死ぬまでの私の唯一の願いは、夫と別れられること」。50歳のヘイゼルは人生の半分を伴侶とともに過ごしてきた。「25年の犠牲の日々」、そう言って、彼女は悲しい微笑を浮かべる(イメージ画像)。 photo : iStock
マニラの下町に住む小柄できゃしゃな主婦は泣き言ひとつ言わず、誇りを持って自分の半生について語る。ヘイゼルが未来の夫と出会ったのは大学生の頃。ふたりは同じ大学で会計学を専攻していた。交際を始めてすぐに妊娠。彼女は結婚を拒んだが、周囲が彼女にプレッシャーをかけた。当時、彼女が研修生として勤めていた企業の経営者もそのひとりだ。「私が妊娠していることを知った経営者から呼び出されて、選択肢はない、罪を抱えて生きることはできないと諭されました。私は若かった。仕事を失うのが怖かった。だから結婚することにしたのです」。2度と後戻りできないことはわかっていた。
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宗教の重み
約1億人の国民のうち80%がカトリック信者のフィリピン(世界で3番目にカトリック信者率が高い国)では、宗教が社会のなかで重要な位置を占めている。教会と国家は公式には分離していることになっているが、実際は両者の境界線は極めて曖昧だ。
カトリック教会が離婚を認めていないことから、フィリピンには離婚に関する法律が存在しない。ヘイゼルはそのために辛い経験を強いられている。
結婚して2年経った頃、彼女の夫は夜間に外出し酒を飲むようになった。それからは泥沼。身体的、精神的な暴力と不貞に耐える20年が続いた。5人の子どもたちも父親の暴力の犠牲になった。「思春期を迎えた娘のひとりが自閉症を患っているのですが、父親から頻繁に暴力を振るわれたせいで、彼女自身もコントロールができない状態になってしまいました。他の子どもたちを守るために、娘を部屋に閉じ込めなければなりません」。
出て行こうか? ヘイゼルは毎日そのことを考えている。しかし主婦である彼女には資金がない。もし彼女が逃げたら、夫は一銭も彼女によこさないだろう。自分のことを話しながら、ヘイゼルはこんな話にどうして関心を持つのかと不思議がる。「どこにでもある話です」と彼女は落胆した様子で言う。
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法制化への希望
こうした女性たちに逃げ道を提供するため、離婚の法制化を目的とする法案がここ数年の間に定期的に議会に提出されている。女性の権利擁護のために活動する元老院議員のリサ・ホンティベロスも何度となく同僚議員たちの説得を試みてきた。2017年にフィリピン統計局が実施した調査によると、これまでに身体的、精神的、性的な暴力を配偶者から受けたことがある女性は4人に1人。「こうした状況は、子どもたちも含め家族全体に影響を及ぼします。子どもたちは将来自分の家族を作るときに、自分が育った環境をモデルとします」と議員は強調する。
2018年には、フィリピン史上初めて、離婚の法制化を盛り込んだ法案が代議院で過半数を獲得したが、元老院で否決されてしまった。2019年も同様の展開となった。「保守主義と家父長制が法案の成立を阻んでいる」と元老院議員は訴える。
マニラのアテネオ大学で社会学を研究するメアリー・ラセリスは「いまも文化的に、男性は好きなようにできます。特に愛人を持つことも。家族をひとつにまとめるのは女性の仕事とされていて、女性が苦しんでも、それは自分のせいと言われるだけ」
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教会の闘い
水面下で離婚法制化阻止に加勢しているのが教会の保守強硬派だ。「カトリック教会は政治を含め、非常に強い影響力を持っています。代議院の委員会でも、教会は積極的な役割を演じていました」と元老院議員のホンティベロスは指摘する。
フィリピン・カトリック司教会議の広報常任委員会事務局長ジェローム・セシラノ神父は、法案を阻止するのは正しいことであると公然と説く。「聖書には結婚は生涯にわたる誓約と書かれています。国が離婚を合法化すれば、個人も結婚という制度も国から保護されなくなる。そんなことになれば、家族が崩壊し、子どもたちを苦しめることになります。私たちの声を届けるために、各種機関、メディア、SNSを通して、闘い続けなければなりません」。
夫が暴力的だったり、不貞を働いていたり、出て行った場合はどうしたらいいのか? 「結婚生活を立て直す方法は必ずあります。あらゆる手段を尽くしてもうまく行かなければ、すでにある法的救済措置を利用して別居することもできる。この上なぜ新しい法律を作る必要があるのですか? 国はむしろ既存の法律を強化するべきでしょう」とセシラノ神父は主張する。
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離別後も身分は既婚
実際に、フィリピンの夫婦が別れる方法は2つある。ひとつは当事者同士が物理的に距離を置き、財産を分ける法的別居。ただし婚姻関係は維持されるため、再婚はできない。もうひとつは婚姻の純粋な取消し。この場合は、裁判官の前でもともと婚姻が成立していなかったことを証明しなければならない。暴力、不貞、あるいは性格の不一致などは、理由として認められていない。
手続き上の欠陥以外で、唯一有効な理由は、配偶者のどちらかが責任能力がないと認められた場合だ。自由を取り戻したい夫婦は、相手の精神的欠陥を証明するために恥も外聞もなく闘わなければならない。闘いはしばしば長く苦しいものとなるが、実を結ぶ保証はない。最終的な決断は裁判官の手に委ねられているからだ。そのうえ費用も高額だ。相場は45万〜65万円相当。フィリピンでは平均給与が月3万3000円程度というから、裕福でコネのある家庭以外には手の届かない解決策だ。
すべての家庭にページをめくる可能性を提供することが、ホンティベロスが法案の必要性を正当化する論拠のひとつだ。「この法案によって、離婚手続きの簡略化と低価格化が実現できる。とくに中流階級や貧困層の国民にとって意義があります。またこの法案が成立すれば、再婚も可能になります。誰にでもセカンドチャンスは与えられるべきです」
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人生をやり直す
人生をやり直すなど、ザリーナは考えたこともない。あまりにも障害が多すぎるのだ。5年前から夫と別居している32歳の彼女は、いまも興奮を抑えられない様子で、夫の性暴力によって被った苦しみについて語る。彼女にとって最もつらいのは、彼の名前を使い続けなければならないことだ。「夫? 前夫? 何と呼んだらいいのかさえわかりません」と彼女は途方に暮れる。「自分の名前がどこかに書かれているのを見るたびに、囚人のような気分になります」。
別居後、ほかの人と交際したことは一度もない。「誰かと付き合うなんて考えられません。私はまだ既婚者のままですから。誰かと付き合っても、法律上は愛人となってしまう。もし前の配偶者が知ったら、法廷に訴えることもできるのです」。
婚姻取消しが認められない限り、ザリーナと彼女の夫は「死がふたりを分かつまで」夫婦のままだ。もし別の男性との間に子どもが生まれたら、夫が法的にその子の父親となる。
婚姻取消しの手続きについて調べるうちに、ザリーナは違法な手段があることを知った。高額の裏金を要求されるが、手続きをスムーズに進められる。結果は保証付きだ。結婚取消し届出書と死亡証明書の偽造という家族の絶望から生まれたビジネスは活況を呈している。「離婚に関する法案がまた否決されたことを知ったとき、本当にがっかりしました。私がこうして話すことで少しでも状況が変わることを願います」。
それまでどうするか。ザリーナは最終手段として海外移住を考えている。移住先の国の国籍を取得して離婚手続きに着手するためだ。そうなったときようやく、彼女はフィリピンにおいて正式に離婚者として認められる。
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あまりに長い道のり…
離婚の法制化は元老院の賛成を得られなかったが、国民の大多数は法案を支持しているという。「2017年にフィリピンの大手調査会社ソーシャル・ウェザー・スーテーションが実施した調査によると、国民の53%が離婚の法制化に賛成している」とラセリスは言う。
ここ数年でSNSに登場した離婚合法化を支持する多くのグループの影響もあって、法制化に賛成する人の割合は10年で10ポイント上昇した。「時代は変わります。いまや新しい形の家族が生まれています。フィリピンのカップルのうち結婚を選択しているのは50%にすぎません。驚くべきことに、離婚の法制化を最も支持しているのは、こうした結婚していない人たちなのです」と彼女は指摘する。
離婚できないことが、最終的に結婚そのものへのブレーキになっているのでは?「重要なのはカップルに再婚の可能性を、端的に結婚の可能性を与えることです」と彼女は強調する。「それに、カトリック教徒であることと離婚法制化を支持することは両立可能。世界中のカトリックの国々がそれを証明しています」
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目前の障害
しかしフィリピン社会にはいまも、家族は解消不可能なものという伝統的な概念が深く根を下ろしている。離婚が認められていないだけでなく、同性婚や人工妊娠中絶も禁止されている。マリアンは20歳のときに強姦されて妊娠した。彼女の父親は加害者と彼女を無理やり結婚させた。彼女は自分を暴行した相手が死ぬまで、その男とともに生きることになった。夫は数年前に亡くなった。彼女は離婚の合法化に賛成はするが、自分が夫と離婚することは絶対になかっただろうと告白する。「家族や子供たちの評判に傷がついて、人から後ろ指をさされたに違いありません」。自分の宗教信条に反することにもなる。「“人は神が結び合わせたものを引き離してはならない”のです」と彼女は福音書を引用して言う。「私は毎日苦しみに耐えなければなりませんでした。それが私の運命だったのです」
若い世代を頼みに、元老院議員のホンティベロスは闘いを続けている。目下取り組んでいるのは、法案を再度議会に提出するのに必要な署名集めだ。元老院議員の態度も変化すると期待している。たとえ議会の支持を取り付けたとしても、彼女には大統領の署名を得るという最終的な課題も残っている。
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は2000年に自らの結婚の取消しを行っているにもかかわらず、法案には反対の立場を表明している。そのドゥテルテ大統領は2022年5月に法律が規定する6年の任期を終えて退任するはずだ…。しかし大統領はすでに副大統領候補として出馬する意向を発表している。
text : Manon Tomzig (madame.lefigaro.fr)