マタニティブルーと混同してはいけない、産後うつ。
Society & Business 2021.10.28
マタニティブルーと混同されやすく、診断が間違っていたり、ひとしれず悩む場合も多い、産後うつ。フランスでは、産後うつは10~30%の女性に見られる症状だという。この辛い嵐をどう乗り越えたか。タブーを取り払うために若い母親たちが語る。
出産後のフランス女性の30~40%が産後うつに苦しんでいるという。photo : Getty Images
「自分は母親に向いていると思っていた」。それに当時、クロエは看護師として新生児集中治療室に勤務していた。赤ちゃんについての知識は十分あった。待望の赤ちゃんを授かり、妊娠期間はつつがなく経過し、出産も「経膣分娩で、器具も使わずに自然に」終えることができた。最初の数日間、赤ちゃんは「穏やか」だった。しかしこの見かけの穏やかさの奥底に、嵐がじっと潜んでいようとはクロエは想像もしなかった。「娘はすやすや眠っていました。ところが私は眠れなくなってしまった。娘がちゃんと息をしているか気になって、確認をしに行かずにはいられなかった。後で自分が出産後で警戒心過剰になっていたのだと知りました(編集部注:出産後の女性の10%に見られる症状)。母乳も出なくて、自分はダメだと落ち込みました。自分ではノウハウを持っているつもりだったのに」
ただのマタニティブルーだと思っていたが、症状はしだいに根を下ろし、少しずつ彼女の精神や身体、パートナーとの生活、そして彼女のアイデンティティさえも蝕んでいった。「娘の泣き声が聞こえると吐き気さえしました。不快でたまりませんでした。何もかも、外に出るのも怖かった。ずっと泣いていました。同時に、この世に娘しかいないような気分でした。自分が誰なのかもわからなかった。何も自分でコントロールできない感じでした。頭がおかしくなってしまった、自分は母親に向いていないと感じました。ときどき死にたくなることもあった」。自分が経験したことが、産後うつと呼ばれるものであると理解するのに2年近くかかった。
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出産後の女性のメンタルヘルス。
オンライン診療専門サイトQareの依頼でオピニオン・ウェイが実施し、9月23日に発表された調査によると、子どもが生まれた後に抑うつ状態を経験したと答えた人はフランス人の母親の30%(父親の18%)に上った。その5日後にあたる 9月28日、産後うつを早期に発見するために、2022年初頭から、出産したすべての女性を対象に、分娩後5週目前後に面談を受ける機会を設ける、とフランス政府が発表した。「リスクがあると診断された女性は、経過を見るために12週目あたりに再度面談を受けていただく」と、パリで開かれた精神保健会議でアドリアン・タケ児童・家族担当副大臣が述べた。
今回発表された施策は、「最初の1000日」委員会の報告書が保健省に提出されてからちょうど1年目に行われた、去る9月23日のシンポジウムを踏まえたものだ。報告書では全世界で出産した女性の10~15%が産後うつを経験しているという数字が言及されていた。「フランスにおいて子どもが誕生した後の1年間に大きな苦しみを経験する女性は10万人以上と推定される。どこに相談すべきかわかっている人はそのうち半数程度にすぎない」と報告書は指摘する。出産した女性の30%が特に配慮が必要なケースに当たると推定される。このことから、出産後の女性のメンタルヘルスは公衆衛生上の大きな課題だといえる。産後うつは、母子間の絆の構築を妨げる要因でもあるだけに、赤ちゃんの心理的・情動的発達に影響を与える可能性もあると報告書は伝えている。
Qareの調査によると、最もリスクが高いのは、30歳以下の女性(40%)と、第1子出産時(35%)だ。とはいえ産後うつになる可能性は誰にでもある。辛い妊娠生活、出産時のトラウマ、自宅に帰ってからの孤立感など、リスク要因はさまざまだ。また妊娠中は頻繁に健診を受けるのに、産後のケアはほぼゼロという落差を指摘する女性も多い。コロナ禍とそれに続く数回のロックダウンの影響でさらに状況は悪化した。
ほかにも気になる数字がある。2021年1月に発表されたフランス国立保健医学研究機構の報告書によると、出産後の自殺はいまや心血管疾患とほぼ同じ比率で、子どもの誕生から1年以内の母体死亡原因の上位に挙がっている。
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マタニティブルーと混同してはいけない。
産後うつを発症しやすいのは出産後2~4カ月目と、6カ月目あたり。「ちょうど授乳が終わる頃ですが、(フランスでは多くの女性が)仕事に復帰する時期でもあります。また寝不足による疲労も蓄積しています。一種の社会的なプレッシャーから、この頃にはそろそろ体調もよくなって、セックスも再開し、仕事にも復帰するものだと私たちは思い込まされている」と周産期専門精神科医のファニー・ジャックは分析する。
それに対し、マタニティブルーは出産から1~2週間後に見られることが多く、「出産した女性の半数から4分の3が経験します。よくある現象で、病気とは考えられていません」とマルセイユ総合病院親子ケア室責任者の児童精神科医ミッシェル・デュニャは説明する。ホルモンバランスの乱れや感情の浮き沈みが見られるが、通常2週間以上持続することはない。
産後うつはよくあるうつ症状(物事を悲観的に考える、動作や思考が緩慢になる、喜びを感じない、無力感や罪悪感にとらわれる)に加えて、特有の症状もある。「赤ちゃんとの繋がりを作ることや、愛着を抱くことができない。自分をダメな母親だと思ってしまう」という例をジャックは挙げる。子どもへの関心を失う女性もいれば、冒頭のクロエのように、極度の融合状態に陥りながら、どれだけやっても足りないという焦燥感を抱く女性もいる。
2016年に帝王切開で出産したソフィ・アドリアンセンは、分娩後なかなか体調が回復しなかった。すでにふたりの娘の父親であるパートナーはすっかり慣れた様子で彼女に代わって家事や育児を担当してくれた。「とても心強かったです。でも一方で私のインポスター症候群に拍車がかかってしまいました。赤ちゃんに痛い思いをさせずにおむつを替えられるか、お風呂に入れられるか、自信を持てませんでした。産後2週間経って小児科へ受診に行くときに、自分がいなくなっても何も変わらないのではないかという考えが浮かびました」。作家である彼女はその時に自分の分身を想像した。彼女なら「最初から何でもできた」に違いない。こうしてバンド・デシネ『La Remplaçainte(代役)』(ファースト出版、2021年刊)の冒頭シーンを描きあげたという。この作品のなかで彼女は辛辣なユーモアを交えて、第2子が誕生するまで続いた嵐のような3年間について語っている。
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適切なタイミングで診断されずに産後うつを放置してしまうと、時には重大な影響が出ることもある。第1子出産から4カ月後、メリナは子宮内に胎盤の一部が残っていると知らされた。彼女は手術を受けた。麻酔から覚めると、目の前が真っ暗だった。
「7回続けて痙攣を起こしました。人工的な昏睡状態に置かれ、集中治療室に連れて行かれました。数日後に意識を取り戻しましたが、私は完全に混乱していました。大統領の名前を聞かれて、私はヴァレリー・ジスカール=デスタンと答えました。生まれた年は? 2016年。今年は何年? 1990年。何もかも混乱していました」
脳卒中か、脳腫瘍か、あるいは注入した薬に対するアレルギーか?集中治療室で様々な検査が行われたが、身体に異常は見つからなかった。別の質問を投げかけられた。あなたにとって、ルイとは誰ですか?「祖父の名前ですと答えました。それからフランス国王の名前、と。私は自分の息子のことも、出産したことも覚えていませんでした」と彼女はため息をつく。医師たちは病院の精神科医を呼んだ。産後うつとの診断が下った。
「私の身体は産後4カ月の間に消耗しきっていて、全身麻酔を受けた後、脳が目覚めるのを拒否してしまったのです。睡眠不足で死ぬこともあります。私はその瀬戸際にいました。あまりの疲労から、私の身体の生命機能は活動する意欲を失ってしまっていたのです」とメリナは説明する。
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理解不足とタブー。
産後うつに関するあらゆる数字が憂慮すべき状況であることを示しているが、その大部分は長い間タブーとされてきた、女性を悩ますこの心身の不調に対する理解不足によって説明がつく。「世間にはまだ、出産した女性は幸せでなければならないという圧力があります」と精神科医のジャックは言う。「私たちの社会においては、母親になることはとにかくポジティブな経験でなければなりません。そうでないのは、いい親ではないからだ、と」
「幸せでないといけない、すぐに子どもを愛さないといけないという気持ちでした。でも私にとって子どもは理解できない宇宙人でした。友人たちにこんな話をするのは抵抗がありました」とアンヌ=ソフィ・ブラスムは語る。自分の産後うつの経験をもとに、彼女は小説『Que rien ne tremble(何も揺るぎませんように)』(ファイヤール出版、2021年4月刊)を書き上げた。Qareの調査によると、母親の35%と父親の46%が出産後に自分の感情を人に話すのをためらったことがあると回答した。恥ずかしさを感じたことがあると答えた親は14%に上った。
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適切な診断が下されない。
「最初の1000日」委員会の報告書によると、産後うつを発症した女性で診断が下されているのはそのうち40~50%にすぎないという。稀に症状を訴えても、医療機関側の知識不足のせいで理解してもらえなかったり、誤解を受けてしまうのだ。産後うつの現状を把握している医療関係者の数はあまりに少ない。助産師や精神科医らも、産後うつに関する研究もまだ「それほど多くない」と認めている。
前述したメリナは、2016年に出産。産後しばらく経ってから婦人科医に相談したことがあった。「かなり疲れている、産褥初期でとても辛い、赤ちゃんは泣いてばかりいると医者に話しました。医者からは “普通のことです。赤ちゃんは泣くもの、ママは疲れるもの” という答えが返ってきました。それ以上は、恥ずかしくて何も言えませんでした」
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理由は不明だが、病院の精神科医の診断を受けた後、メリナは同じ病院の婦人科に移された。しかし病床の空きがなく、別の施設に搬送されることに。転院先はなんと……精神医療センター。抗不安薬を多量に投与されたせいで、彼女には自分の置かれた状況がまったくわからなかった。ようやく我に返ったとき、メリナはセンターの食堂にいた。
「茫然としました。周りを見ると、気の触れた人たちがいて、よだれを垂らしたり、自分の頭を叩いたりしている。すぐに逃げ出しました。そのとき私の頭のなかには、ルイに会いたいという考えしかありませんでした。精神科医とやりとりした後、ルイの記憶が戻っていました」
いまになって思えば、周産期精神科の母子ケア室に赤ちゃんと一緒に移送されるべきだったのだ。「自宅に戻って、赤ちゃんの部屋に行きました。姉が面倒を見てくれていました。ルイは目を覚まして、私を見て手を伸ばしました。私はごめんねと言うことしかできませんでした。ルイはにっこり笑って、また眠ってしまいました」
アンヌ=ソフィも2012年に第1子を出産した後に同じ苦しみを経験した。当時は産後うつが話題になることはいま以上に稀だった。娘の泣き声に耐えられなくなり産婦人科を受診した。そこで手渡されたのは……託児所のアドレス! それでも連絡を取ると、今度は精神科医の連絡先を渡された。相談に行ったものの、医師からは「ホルモンの問題」と冷たく言われ、抗うつ薬の処方箋を受け取って帰ってきた。うつ症状から抜け出し、そして自分に何が起きているのかを理解するまでに、数年かかった。
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苦しみを訴える。
アンヌ=ソフィもソフィもクロエも、結局は自己診断で産後うつであることに気づいた。最近では、SNSやポッドキャストでも産後うつに関する情報発信が行われている。ここ数カ月の間に、このタブーを打ち破る決心をした勇気のある母親たちも現れている。とくにSNSを通してほかの母親と意見交換をすることが、彼女たちにとって気持ちを打ち明けるきっかけとなっているようだ。「#Mon post partum(私の産褥期)」によって会話の輪が広がったのに続き、このテーマを取り上げた社会学者でフェミニスト活動家のイラナ・ウェズマンの『Ceci est notre post partum(これが私たちの産褥期)』(2021年1月刊)が出版され、女性たちも出産後の現実について情報を得られるようになってきている。
「出産準備講座があるのだから、産後準備講座があってもいいのでは?」とメリナは言う。彼女のように、妊娠中は充実した健診制度があるのに、産褥期の健診はほとんど行われていないことを嘆く女性は多い。
インスタグラムでは辛い経験をしたママたち同士の間でライティング・ワークショップも行われている。こうして文章にしたり、会話を交わすことを通して苦しみを訴える女性が増えるにつれ、産後うつをテーマにした本やポッドキャストの数もますます増えて行くに違いない。
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かなりの産後うつは”回避可能”。
産後うつは、診断されずに見過ごされているケースがいまだに多くあるが、薬事療法や入院を必要とする「本物のうつ」と、心理療法だけで改善する「抑うつ症状」とをきちんと見分けなければならないと医療の専門家や市民団体関係者は口をそろえる。
精神科医のデュニャと市民団体「ママン・ブルース」はこうした混乱を避けるために、「産後困難症」というより包括的な用語を使う。「“産後うつ”と言われるケースの大部分を占めているのは、すべてをひとりで切り盛りすることができないでいる女性たち。周囲の人々が援助し、彼女たちが2カ月半などという短期間で仕事に復帰しないで済むなら、このうちのかなりの部分は回避可能なのです…。出産後2カ月半は、産後うつを発症する最初のピークでもあります!」と助産師のロワは言う。彼女は、冒頭の「最初の1000日」委員会の報告書のなかで想定されている解決策のなかに、産休期間の延長が含まれていないことを残念がる。「6カ月は必要です。ほとんどの国がそうしています。育児休暇も、経済的なことを心配しないで休暇を取れるようにならなければ」
ほかにも、出産環境の改善という重要な点が報告書には抜け落ちているとロワは嘆く。ハッシュタグ「#Jesuismaltraitante(私は虐待者)」を立ち上げたロワは「ひとりの女性=ひとりの助産師」と銘打った署名運動の発起人でもある。出産時のトラウマや産科での手荒な対応が産後うつの発症にいかに大きな影響を及ぼすかは、多くの証言からも明らかだ。「私はいよいよ出産というときに帝王切開で出産しなければならなくなりましたが、まったく心の準備ができていませんでした。誰からも何の説明もありませんでした。気づいたら両腕を十字に縛られて分娩台に寝かされていました」とマリナはコメントする。
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新しい”村”の必要性。
言葉で苦痛を癒した後は、行動だ。「最初の1000日」委員会報告書で、タケ児童・家族担当副大臣は本気で取り組む姿勢を示したと、市民団体「Maman blues」のエリーズ・マルサンドは評価する。彼女は男性の育児休暇の期間が延長されたことも喜んでいる。「まだやるべきことはたくさん残っていますが、それは親たちとともにひとつひとつ作り上げて行くこと。医療の専門家たちは診断をするだけです。親たちは独自の経験を持っています。両者を連携させなければなりません」と彼女は訴える。
新しいアイデアもどんどん生まれている。その後も何人もの女性が出産後の女性への支援ネットワークを立ち上げている。ベルギーの市民団体「Super mamans」は、出産後に自宅に帰って来た母親たちのために手作りの料理を届けるサービスと、母親同士の話し合いの場を提供する活動をフランスでも始めた。ナントの市民団体「Les Pâtes aux beurre」は、ブルターニュ・ペイ・ドゥ・ラ・ロワール地方、ナルボンヌ市とブーローニュ・ビヤンクール市に、悩みを抱えた親たちのための相談窓口を設けている。ガール県の非営利団体「La Ronde Solidaire des Mamans du Gard」は、育児に奮闘する親たちを孤立させないよう、子育て家庭に食事を届ける活動を行っている。「子どもをひとり育てるには、村がひとつ必要だ」という昔の格言が、少しずつ息を吹き返しつつある。
Bénédicte Lutaud (madame.lefigaro.fr)