Business with Attitude 6人の女性による、起業と彼女の物語 生きやすい社会を叶える、フェムテックの可能性。
Society & Business 2021.11.19
第1回ビジネス・ウィズ・アティチュードを受賞した6名の女性たちによる4つのビジネス。起業のきっかけ、この仕事を通じて実現したい社会……、彼女たちが現在紡いでいる、仕事の物語を紹介します。フェルマータの杉本亜美奈さん、中村寛子さんの場合は?
取材・文:浜田敬子
フェルマータのミッションは「タブーがワクワクに変わる日まで」。すべての人が自身のいちばんの理解者となり、心身や性に関してタブー視せずに向き合える社会を目指している。
「身体の悩みをタブー視せず声に出せる、そんな生きやすい社会のために」
いま世界各国で、女性が抱える健康上での課題をテクノロジーを使って解決しようとするフェムテックと言われる分野で、女性たちの起業が相次いでいる。fermata(以下フェルマータ)代表取締役CEO(最高経営責任者)の杉本亜美奈は、日本のフェムテックを牽引するひとりである。
女性の社会進出が進み、働き続ける女性も増えた。ライフスタイルは劇的に変化したが、女性たちの身体はそう簡単には変化するものでもない。むしろまだ男性中心の企業や社会に無理に適応させてしまう結果、不調に苦しむこともある。そもそも月経や更年期の辛さを率直に語り合える場もない。フェムテックはそうした現代に生きる女性の健康を守り、生活の質を向上させることを目指している。
フェルマータには、共同創業者でCCOの中村寛子と杉本の豊富な海外経験を生かして、海外企業も含めた約400社とのネットワークがある。そうした企業の商品を販売するオンラインストアや実店舗を運営し、起業から販売までも支援している。10月下旬に開いたイベント「フェムテックフェス! 2021」では、世界6地域27カ国の約160もの商品を展示。中にはIoTやブロックチェーンなどの先端の技術を応用した製品などもあった。
2019 年、世界中のフェムテック企業の商品を集めて、実際に製品を触れるリアルイベントを開催したところ大きな反響があった。
---fadeinpager---
杉本はマレーシア国籍であった父親(現在は日本国籍)の仕事の関係で、小学5年から中学3年までアフリカのタンザニアで育った。国際協力や人道支援の活動への興味から、当初は医師になりたいと思い、ドイツの大学では生化学や細胞学を専攻した。だが、その後日本の医学部を受験しようとした時、英語圏ではないドイツで学位を取得したために受験資格がないとされ、医師への道が閉ざされた。その時に出合ったのが公衆衛生という分野だった。目の前の患者を救うだけでなく、地域や国という単位で人々の健康を守れる専門職があると知り、第一人者の教授の元で学ぼうと東京大学の大学院に進学した。入学したのもつかの間、すぐに足を運んだのが、東日本大震災が起きて1カ月後の被災地だった。宮城県気仙沼市に1カ月間滞在した後は約2年間、福島県南相馬市立病院で住民の内部被曝のデータをとり続け、被災が住民の健康にどんな影響を及ぼしているのかを研究した。現場が学びの場だった。
「そこで感じたのは、人間ってとても脆いものだということでした。私たちの健康はさまざまなことが作用して絶妙なバランスで保たれている。その健康を支えているのは、その地域や国のヘルスシステムとそこへのアクセスのしやすさ。その国のヘルスケアに対する考え方で制度も予算も変わってきます。それをどう設計していくのかに興味を持つようになりました」
杉本はタンザニアで育ち、イギリスやドイツで学んだ。写真は博士課程時代、エボラウィルスを発見したピーター・ピオット博士と。
英国での博士課程を経て、ヘルスケアのスタートアップへの投資関連の仕事をしていた頃に出合ったのが、卵胞のホルモンを自宅で測れる検査キットだった。調べると、欧米では最新テクノロジーを画期的な方法と発想で、女性の健康に活かす技術がどんどん開発されていた。女性が自分の身体をもっと知ることができれば、人生の選択肢が広がり主体的に人生を選択できるのではないか。そのことがより女性を自由にすると確信した。28歳になり、自身の将来とも重ね合わせていた。
---fadeinpager---
フェムテックを産業として成長させる難しさは、薬機法の承認基準や規制が国ごとに異なることだ。たとえば、他国では医療機器として認められていても、医療機器としての薬事該当性の判断ができないモノもある。2年ほど前に活動を始めた時点では、厚生労働省にも投資家にも、フェムテックという言葉を出すと怪訝な反応をされた。グローバル視点では女性の健康を守ることは社会的課題であると捉えられて、フェムテック分野への投資も増えていること、女性の健康問題を放置すれば社会全体への不利益があることを訴えても、なかなか理解してもらえなかった。
「ツテを頼って、カバンいっぱいに海外のフェムテック関連商品を厚労省に持って行っても、『市場ができてから来てください』と言われました。悔しかったけど、でもその反応もわかるなと思って。市場がないとされている産業に、企業も国も動かないですよね」
日本、アジアに市場がないなら、私たちが作ろう。彼女は実際の製品を持って企業経営者や投資家などの元を回り始める。政治家を訪ねた時は吸水型のサニタリーショーツを持参。実際にショーツを机の上に広げて、そのプロダクトがどれだけ女性の生活を変えるかを訴えた。ともに起業した中村は、杉本のことをこう評する。
「亜美奈の突き進むスピードがすごいので、最初は周りが追いつけないこともあります。でも同時に周囲を巻き込んでいく力もすごいので、実は行政との交渉なども得意です」
杉本は言う。
「私、目的思考なんです。解決したいものがある時は回り道をせず、どうすれば達成できるかを考えます。アメリカで最初に吸水型の生理ショーツで投資を集めた起業家は、投資家にまる1日、ナプキンをつけてもらい、その後ショーツを履いてもらったそうです。生理などの女性の健康課題は、個人差が大きいため女性同士でも理解し合えないこともある。さらに生理機能が異なる男性に理解を求めるには、ハードルがある。互いに理解を深めるためには、実際にモノに触れる体験などを通して、共通言語を作り、興味を持ち、対話を始めることが大事だと思います」
「フェムテックフェス! 2021」には、世界27カ国から日本初上陸の最新プロダクトを含む、約160ものフェムテック商品が展示された。
---fadeinpager---
ヘルスケア業界にいた男性起業家たちが、この分野が「空白」だったことに気付き参入することもあるが、女性たちが参入する意味は少し違うことが多い、と中村は言う。
「自分の身体の悩みや疑問について、タブー視せず、声に出し、解決策を求めていい。脈々と続くフェミニズムのムーブメントも、フェムテックの根底に流れていると思います」
フェルマータのメンバーは生物学的女性が多いが、そのバックグラウンドはさまざま。各人がお互いの強みと弱みを生かし合っている。現状、経営陣は全員女性だが、それは「女性だったから」でなく、「この人だから」という要素が強いという。そもそも最初は中村がCEOで、杉本は組織を作り上げるCOO(最高執行責任者)だった。だが走り出したものの、何かしっくりこない。もうひとりの現COOの女性も含めて3人で話して、一度席替えのようにポジションを交換してみようと、いまの役割分担に落ち着いた。
杉本は信頼できる人から、“10歳以上年上の人のアドバイスは聞かないほうがいい”と言われたことがある。これだけ世の中が加速度的な進化をしている中では、10も上の人はもう違う世界を生きているからと。その言葉に納得しつつも、杉本は祖母の言葉をいまも大切に心の中で反芻する。海外生活が長かった彼女に日本について教えてくれたのは祖母だった。祖母には、「家族でも畑でも会社でも何でもいい。自分が死ぬ時に何かひとつ成し遂げたものを残せるように」と言われた。
杉本が学生時代を過ごした当時のタンザニアでは、大半の国民が貧困層にあたる。紛争も身近にあった。帰国した当初、日本はコンビニに行けば24時間、何でも手に入る便利さを享受しつつも、その便利さの中で、生きている実感が持ちにくいと感じていた。
「だからこそ自分が生まれたからには、何か役割を果たしたい。吸水ショーツを生理用品として認めてもらう。画期的なフェムテック製品を新医療機器として承認申請する。小さくても、そんな一歩一歩を積み重ねていくことで、少しでも生きやすい社会になればいいなと思っています。そう思うのも、おばあちゃんの言葉があるからです」
都内港区にあるショップでは、オンラインで販売している商品を実際に手に取って見ることができる。
<推薦者のコメント>
タブー視されていた課題に風穴を開けて、見て触れるオープンな場を作ったことが、日本のフェムテック市場を活性化させた。デジタルだけでなく、リアルにこだわった点を評価したい。価値観を変えるという大きな目標に向かう推進力と、時代をとらえた提案力も素晴らしい。
日本のフェムテックの第一人者であり、そういう分野の存在を知らしめた功績も大きい。フェムテックは女性が自分の身体と向き合いながら、社会進出し、女性自身に自己決定権があるという意識を広めていく上でも重要だ。
海外でアカデミア側から政策にも関わっていたことや、孫泰蔵さんとキャピタリストとして働いた経験を生かして、日本のフェムテック市場創出に向けて多角的に動いている。自らプラットフォーマーとしてユーザーとメーカーの接点を作り、ムーブメントを作り出していることを高く評価したい。
photography: Sodai Yokoyama, interview & text: Keiko Hamada