Business with Attitude 6人の女性による、起業と彼女の物語 農業なくして、持続可能な社会なし。
Society & Business 2021.11.19
第1回ビジネス・ウィズ・アティチュードを受賞した6名の女性たちによる4つのビジネス。起業のきっかけ、この仕事を通じて実現したい社会……、彼女たちが現在紡いでいる、仕事の物語を紹介します。O2ファーム Eriさんの場合は?
取材・文:浜田敬子
「農業なくして持続可能な社会なし。この想いを次世代に」
熊本県の阿蘇山の麓に広がる田んぼ。そこがEriの仕事場だ。4月から10月まで、田植えの準備から稲刈りまでは、農業と4人の子育て中心の生活を送っている。
「だから私、とても賞をいただけるような実態ではないような気がしていて……。いちばんのベースが農業だということを譲らずにやってきた、それだけなんです」
微笑みながらゆったり話すその姿からは、本当に肩の力が抜けた感じが伝わってくる。
東京で育った彼女が南阿蘇村にやってきたのは、夫の祖父母と叔父が続けていた農業を継いだからだ。いまは夫婦ふたりで東京ドーム1.2個分、約6ヘクタールの田で米を作っている。農業は初めてだったが、就農1年目から、「空気もきれいで、好きな人と一緒に働けて、作物が育っていく様子を見ているだけで楽しい」と感じていた。
「もちろん最近は気候変動の影響で長雨や台風なども増えて、無事収穫できるだろうか、というプレッシャーもあります。特に今年はこれまでの19年間でいちばん天候が不順で心配だったんです。だからこそ、もう収穫できたときは『よし!』みたいな。うれしかったです」
牛は放牧で飼育している。以前は多くの農家が放牧飼育をしていたが、いまではO2ファームのある集落では2軒のみになった。
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いまは農業を起業と捉え、規模を拡大して「目指せ1億円プレーヤー」のような考え方もある。だが、大幅な規模拡大はせず、人も雇わず、家族でできる範囲で、と考えている。規模が小さければ、たとえば気候が変わっても収穫時期をずらして対応できる。家族が食べられるだけの収入が得られなければ、足りない部分は執筆や調査研究の副業でまかなう。Eriは農業を中心としたこの「地域分散型」経済の実践者でもある。
「私と夫は就職氷河期の真っ只中の世代なんです。大学を卒業した年に山一證券が経営破綻しましたし。規模を拡大することが間違っているというより、自分の身は自分で守るということが身に沁みているんです」
いずれは夫と農業に従事することは決めていたが、その前に夫婦で留学したドイツでの経験から大きな影響を受けた。そこでは家屋の屋根に太陽光パネルを設置し、家畜の糞尿を利用したバイオマス発電もしていて、農家は売電により一定の収入を得ていた。当時はEUの拡大期で、東欧から安い農産物がドイツに入ってきていて、国産の農産物の価格が不安定だった。売電は農家の収入を安定させるための国の政策でもあった。
「チェルノブイリ原発事故後に再生エネルギーに対する関心が高まっていたこともありますが、それだけでなく実利を求めた政策がすごいなと感じました。同時に、農村の景観は国の資源、みんなの資源だという国民の意識があることが、とても羨ましいと思いました」
雨水を貯水タンクに貯め、資源を有効活用。
野菜は自分の家で食べるものを栽培している。いちばん下の娘は6才。
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農家は食料を生産するだけでなく、エネルギーも産み、何より景観を守っていく大切な存在だという意識は、その後のEriの支えにもなっている。現在は休業中だというが、農家が発電事業で副収入を得られる社会を目指して、里山エナジーという会社も設立した。
阿蘇には2万2千ヘクタールの広大な草原がある。かつて茅葺ぶき屋根の材料や牛の飼料として使われていた草が、使われなくなったことで、手入れがされない草原は減少の一途を辿っていた。Eriが役員を務めていたNPOは国の実証実験として、草を蒸し焼きにして高温でガスを発生させてタービンを回すという「草発電」にも取り組んだこともある。だが、阿蘇の草原は傾斜もあり、ゴツゴツした岩も多い。そういう場所から草を集めてくるために採算が合わなかった。
アイガモ農法の鴨たちを敷地内で飼育している。
その後、東日本大震災が起き、国全体で再生エネルギーへの関心は高まった。Eriも生ゴミなどを生かしたバイオマス発電などの事業化を目指した。いよいよ形になりかけた時に起きたのが、2016年4月の熊本地震だった。南阿蘇村の被害は甚大で、新しいことへの挑戦より生活再建が最優先になった。
広いエリアで取り組む必要があるバイオマス発電への挑戦は、地震によって一旦は頓挫した。そこで、少しスケールを縮小して村の温泉施設のボイラーの燃料を、重油から間伐材などを利用した木質バイオマスに切り替える形での再生エネルギー事業を模索した。金融機関からの融資の話まで進んでいた時点で今度起きたのは、新型コロナウイルス感染症の拡大。温泉施設の客足は減り、経営が立ち行かなくなり、施設は休業した。
「農業もそうですが、エネルギー事業も自分の力ではどうにもならないことが多いんです。私の座右の銘は『七転び八起き』。私が目指しているのは、持続可能な社会という大きな山。だから登山道もたくさんある。こっちの道がダメなら別の道を考えるとか、一度下ってから考えるみたいなイメージです」
農業を中心とした地域で循環する経済の実現を、という大きな山を登ろうと決めたのは、ドイツでの体験からだった。1度海外に出たからこそ日本の良さにも気付き、日本が持っているものも、どんな社会を目指すべきなのかも深く考えるようになった。
自宅のソーラーパネル。食だけでなく、エネルギーも地域で循環する形が理想だという。
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20年以上前に設立された女性農家を中心としたNPO 法人「田舎のヒロインズ」の理事長を務め、書籍『耕す女』にエッセイも寄稿している。いまの生活に満足しているが、それでも農業を始めたばかりの頃は、右も左も分からなかった。いろんな地域で農業をしている女性を知ることで、特に若い世代に「農家という選択肢もアリだな」と思ってもらいたいという。
ある時には田んぼでファッションショーも主催した。その地区の代表者には了承も得ていたが、予想以上の人が集まり、車を停める場所がなくなり、クレームに繋がった。
「そんな時はすぐさま「すみません!」と謝るようにしてます。私が表彰してもらえるとしたら、それは鈍感力かな。やっぱり農村は保守的なので、新しいことをすると『出る杭』として打たれます。でも私自身が打たれていることに気付かないんです(笑)。でも、農村が保守的なのは悪いことではないと思っています。保守的だから開発されずに済んでいるところもある。でもそんな中で、やっぱり農業は大事だな、農村での子育てってストレス少ないよな、と思っているので、その想いを次の世代に伝えられたらと思って活動しています」
田んぼでファッションショーの時に作った洋服には、南阿蘇の農村の風景を転写でプリント。
農業だけでなく、第1次産業は従事者の高齢化が課題だ。農林水産省の統計によると、日本の農業就業人口は2010年の約260万人から、19年には約168万人にまで減少した。うち、40代以下の農業従事者は11%だ。一方で、食料自給率はカロリーベースで50%を切るなど、多くの食料を輸入に頼っている。耕作放棄地も増えている。
Eriは日本の7割を占める山林や農地も含めた自然とどう共生していくのか、阿蘇の麓で考え続けている。東京に一極集中している人たちが少しでも地方に目を向けることで、もう少し子育てにもポジティブな思いを持ってくれるのではないか。都市部ではひとりだけでも大変と思っていた子育てを、2人目も3人目も産みたいと感じてくれるのではないか。地方の自然にはそうした人間の欲求を呼び覚ます力があると確信している。
「農業なくして、持続可能な社会なし」
これはEriが発信し続けているメッセージだ。
最近、農業に興味を持った大学の後輩が、会社を退職して阿蘇に移り住んできた。回り道したり、一旦下山もしているが、Eriが目指している山の大きさに惹かれている仲間は、確実に増えている。
O2ファームの米を使った朝食。大学の後輩の女性が農家を志して移住してきた。近くのカフェを間借りし、週に2回、朝食を出している。
<推薦者のコメント>
農業から始まり、教育や再生可能エネルギーへと 飛躍させてきた彼女の行動力は、他の女性たちへの手本になると思う。その土地に根付く形で雇用を生み出したり、自分が生きる場所に直接貢献していることも素晴らしい。
彼女が農業のあり方に変革をもたらしている。汚染の多い産業を、再生可能エネルギーを使って持続可能な新しいモデルに変えている。農家の子どもたちを幼い頃から教育し、考える農家を育てようとしている。 倫理的な農業を実践している彼女は、多くの人々のロールモデルとなるだろう。
海外で経験し学んだことを日本へ持ち帰り、自分の故郷の生活に繋げて、新しくものを創りあげていくという起業の思考を評価。収益活動と教育の組み合わせにも注目。
photography: Sodai Yokoyama, interview & text: Keiko Hamada