「電話が鳴ると不安」なミレニアル世代......。自分の殻に閉じこもる傾向は、メタバースの進化でさらに加速する。

Society & Business 2022.05.05

バーチャル世界への逃避、過剰な保護…。自分の殻に閉じこもる傾向が強まっている。理想の枯渇した時代をユーモラスな視点であぶり出すエッセイスト、ヴァンサン・コクベールが恐怖心を乗り越えようと呼びかける。

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セーフスペースや自分を保護するコクーンを追求する傾向が強くなっている。photo: Getty Images

『La Civilisation du cocon(コクーン文明)』と題されたセンセーショナルな書籍のなかで、ジャーナリストでエッセイストのヴァンサン・コクベールは、私たちがどのようにして徐々に自分の周りに自分を保護するコクーン(繭)を作り上げていったかを解説している。コクーンという外界から遮断された安全な空間の内側にいる限り、私たちは自分を圧迫する世界と距離を取ることができる。「激しい生という理想から、日常をやり過ごすという理想へ、僕たちはいかにして移行したのか?」と彼は問う。クッションで築き上げた要塞の後ろに隠れて、快適さを投与され続ける私たちの生の有様を著者は仮借なく描き出している。

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――「私たちはこれまでになく物理的、精神的なセーフスペース(安全な空間)の追求に熱中している」と書いていらっしゃいます。この現象をどう説明しますか?

ヴァンサン・コクベール 多くの人が自分を守る場所を探しているのは、何よりも世界との接触を断つためです。外の世界は脅威と受け止められています。人間がこうした逃避衝動に従うのは、コントロールを取り戻し、日常にアプローチする方法を立て直すためです。たとえば、家にこもって孤立主義を実践する人たちは、もはや世界を征服する必要はありません。世界は向こうから直接自分の方へやって来るからです。保護してくれるコクーンの内側にいれば、彼らは自分の小さな生を指揮する偉大な司令官になれる。そこでようやく自分の生の領域を明確に線引きできるわけです。しかし安全というのは危険な概念です。快適さや保護は、あるレベルまで手に入れれば、その瞬間からさらに欲しくなってしまうものだからです!

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――セーフスペースという概念はいつ誕生したのですか?

概念の起源は20世紀中頃に遡ります。ユダヤ系ドイツ人でアメリカに渡った心理学者のカート・ルウィンが1940年代末に「感受性グループ」という概念を初めて考案しました。近年になって、この概念はまず2000年代初頭にアングロサクソン系の大学キャンパスで広まり、次いでメディアやフィクション、ドキュメンタリーといった分野にも出現するようになりました。当時は、特に民族的あるいは性的マイノリティの学生たちが偏見に晒されることなく過ごせる空間を意味していましたが、いまでは励ましや安心感を与えるあらゆる場所、会話、実践、行為を指す言葉になりました。予防という原則がひとり歩きし、個人的探究を表すようになったのです。

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――著書の刊行以来、メタバースが物凄い勢いで発展しています。メタバースは引きこもりコクーン促進剤といえますか?

もちろんです! バーチャル生命維持装置に繋がれた生にさらに1段階近づくことになります。まるで現実世界というひとつの世界を放棄し、分解を加速させ、仮想世界というもうひとつの世界を征服しようとしているかのようです。先日、「Narcotique anonymes(ナルコティック・アノニム:薬物依存症患者の相互援助を支援する市民団体)」がメタバースで初めて開催したミーティングに出席しました。参加者たちが現実世界での感情を、楽しくて安全安心と謳われるこの作り物の世界に移し替えることにどれだけ成功しているかを確認して驚きました。いま僕たちの想像の世界は、ひとつの宇宙から別の宇宙に移行できるくらい順応性が高い。以前はこうしたことはビデオゲーム愛好家以外の人々には無関係でした。

――安全を追求する傾向は私的領域全体にかかわっているように思えます。恋愛や出会いも例外ではないようです。リスクを制御しようとする時代に、恋愛や出会いはどういうものになるのでしょうか?

いまは摩擦も差異もないパーフェクトな出会いという妄想が支配的です。「オーダーメイドの独裁」とも呼べる傾向がこれを助長しています。僕たちは、相手に対して、自分自身、あるいは自分が思っている自分に適応してほしいと常に求めている。そして同時に、自分の生活から偶然や未知のものを排除しようと努めています。自分の要求に合わせてパートナーを「最適化」できると考えるのはとても幼稚な発想です。オーダーメイドという概念は消費する製品には有効ですが、対人関係において通用するわけがありません。

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――この快適なコクーンの中では、外界からの侵入を遮断するために、侵入物は徹底的に検知される。いまはただの電話さえ干渉とみなされることもあると書いていらっしゃいます。どうしてこのようなことになったのでしょうか?

電話が鳴ると不安な気持ちになるという人は、ミレニアル世代の76%、ベビーブーム世代の40%に上ります。僕たちは相互作用に時間を費やしていますが、交流は主に肉体を介さない方法で行われています。だから、唐突で生々しい電話の向こうの相手の声は侵入とみなされるのです。電話の声は僕たちを再び外界に結びつけ、人間が僕たちの前にいるという事実を思い出させるからです。

――あなたの考えでは、このコクーンの学習は幼少期からすでに始まっている…

その通り。外がどれほど脅威に満ちた世界かということを僕たちは子どもたちにかなり早くから教え込んでいます。たとえば1970年代にはCE2(小学校3年)の生徒たちの80%がひとりで通学していました。いまは圧倒的多数の子どもたちが大人に付き添われて小学校に通っています。一般に、子どもたちの物理的スペースは縮小しています。数年前には「ヘリコプター・ペアレント」という言葉が誕生しました。自分の子どもの上空でホバリングするような、子どもに対する過剰な保護衝動を持った父親や母親を指します。しかしこの現象がエスカレートすると、今度は「芝刈りペアレント」という表現が使われるようになりました。子どもがライバルや競争や失敗に直面するのを防ぐ。それが彼らのモットーです。子どもがそうした事態に遭遇しないように、親があらゆる障害物を「刈っておく」わけです。

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――不快さを拒否するこの傾向が行き過ぎると、単純に強度が失われることになりませんか?私たちの生がコンセプト化してしまう恐れはないですか?

いま、確かに僕たちは内的な冒険こそ重要であるという印象を持っています。「私」の輪郭を明確に定めることで、世界に住みやすくなるのだと。しかし人は動くことを通して自己肯定できるようになると僕は確信しています。恐怖を乗り越え、自分自身の凡庸さに直面することで、僕たちは道を見つけるのです。また、コクーンは僕たちを非人間化する傾向があります。現実から逃避することで、僕たちは他者や一般大衆から遠ざり、その結果、共感力が大きく失われてしまう。

――快適なコクーンの中で、いつか窒息してしまう危険はありませんか?

このコクーンの誘惑によって社会という総体が次第に断片化しつつあることに、僕たちは気づき始めています。対人的な警戒心が強くなるに伴い、社会全体にも不信感が蔓延しています。自己の外へ出るための自己研鑽なくしてコクーンから出ることはできません。誰もが自分の心の底に潜む恐怖心や、逃避してしまう理由について考え、僕たちの身の回りにある孤立状態を構築する技術的、商業的手段について疑問を持たなければなりません。保護欲求は生の原動力にはなりえません。一層高まる不確実性をみんなで力を合わせて切り抜け、意図的な閉じこもりを解体することのほうが、社会設計としてより有望だと思います。

*Vincent Cocquebert著『La Civilisation du cocon. Pour en finir avec la tentation du repli sur soi』Éditions Arkhê刊。

text: Sophie Abrita(madame FIGARO.fr)

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