セレブたちも次々陥る「SNSバーンアウト」って?

Society & Business 2023.02.07

インスタグラムで、TikTokで、ツイッターで、ユーザーの利用頻度が控えめ傾向にある。たくさんのスターが自己防衛策を講じ、若者もSNSとの関係を見直しはじめた。フランスの専門家が解説する。

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インスタグラム、Tik Tok、ツイッター。その利用が控えめ傾向に。Getty Images

SNSがなかったら、セレーナ・ゴメスも、テイラー・スウィフトも、ストロマエもベラ・ハディッドも、そしてまたミリー・ボビー・ブラウンも、これほどの知名度は得られなかっただろう。しかし近年、キャリアだけでなく、ネット上での「セルフ・ブランディング」(自己宣伝)でも、間違いなく恩恵を得られるにもかかわらず、彼らはみなある時期、SNSを離れる決意をしている。理由は、ヘイトコメント(身体に関することや個人的な選択、発言について)、自分の創作に専念したい、時間を無駄にしていると感じるというものから、不安障害の悪化までさまざまだ。

バーンアウトするVIP。

ゼンデイヤのパートナーで『スパイダーマン』のヒーローを演じるトム・ホランドは、2022年8月、6700万人のフォロワーに向けてSNS休止を発表した。「インスタグラムやツイッターは時間と労力がかかりすぎてとてもつらい。自分について書かれたことを読んでいると、ほかのことが何もできなくなり、おかしくなってしまう。精神衛生上よくない」と説明。インスタグラムに投稿されたこの記事の閲覧数は2700万回に上った。

フランスでも、ラッパーのロムパルやヒップホップのビックグロー&オリーといったスターが鬱症状に苦しんだ後、SNSから去ることを決めた。1年前には100万人を優に超えるフォロワーを抱えていたレナ・シチュアシオンもツイッターを一時中断。「もう何カ月も毎週毎週、ツイッターのトレンド(最もコメントされているテーマ)にランキングされている。私とパートナーのこととか、私の身体に関することとか、私のカールヘア、私の財政状況、私が着たドレスの胸の開き具合……。あるいは単に私がひとりの女の子ということさえ議論の対象になる」

実際に、悪口や批判の洪水に対して自己防衛するのは難しい。レア・セドゥや、ヴァネッサ・パラディクリステン・スチュワートジョージ・クルーニージョディー・フォスターがSNSアカウントを持たないのは、おそらくそれも理由のひとつだろう。しかし上の世代のスターたちとは逆に、Z世代のスターたちの大半はSNSのバズを基盤に地位を築いてきた。ゆえにツールとして信頼を置き、ときには十分用心せずに利用し、節制を忘れてしまうこともある。

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見逃す恐怖と依存。

世界保健機関(WHO)がバーチャル中毒として認定するのはオンラインテレビゲームだけだが、SNSも該当するのではないかという疑問は頻繁に提示されている。何かを見逃す恐怖と依存は多くのユーザーの日常生活の一部となり、有名無名を問わず、ある日燃え尽きてしまったり、依存症治療が必要になることもある。

『(非)ソーシャル・ネットワーク』(1)の著書で、「人間科学におけるデジタル世界監視機関」創設者でもある心理学者のミカエル・ストラは次のように説明する。「SNSバーンアウトは実際に存在します。発症しやすいのは、自己イメージの過剰露出の罠に陥ったインフルエンサーたち、SNSに表示される理想像より自分は劣っていると感じる一般の人々、自己愛的脆弱性を保護する機能を果たしていた宣伝活動の枠の外で批判にさらされるセレブたち……。また、一部の利用者にとっては、何かを見落としてしまうという恐怖感もあります。それが濫用を誘発するのです。これはFOMO(Fear of Missing Out、何かを見逃がす恐怖)と呼ばれます。ただし、どんなタイプの人であれ、もともと精神的な脆弱性を抱えている人にとっては、SNSは有害になる可能性がある」

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自発的な奴隷。

何年も前から不安障害に苦しんでいた俳優のジョナ・ヒルは、鬱に陥らないためにSNSから距離を取るようになった。双極性障害を診断されたセレーナ・ゴメスは数年前にSNSの管理をアシスタントに一任することに決めた。『君がなくてつらかった。あるフランス人の鬱病の物語』(2)の著者で、ラジオ局ユーロップ1を経て同フランス・アンフォのキャスターを務めていたギー・ビレンバウムは、ツイッターも精神的疲労を加速させると語る。「ただ僕自身はSNSバーンアウトには懐疑的です。長時間ツイッターを利用したからといって鬱になるわけではない。オンラインへの過剰接続はひとつの兆候であり原因ではない。もっと根の深い不満の帰結なのです」

ワーカホリックのギーは10年もの間、朝5時から夜中までオンライン状態を維持し、かすかな着信音さえ聞き逃さず反応していた。社会生活や交友関係、家族生活を犠牲にして。「『スマートフォンを調教するためのミニ手引き』で、スマホは自発的な奴隷であるという理論を提示しました。人は何でも知りたがり、何でも見たがり、何でも見せたがる。でもこの背後には、ナルシシズムという病が隠れている。メディアで働いている多くの人と同じように、僕はその犠牲者でした。放送中は日常的にアドレナリン過多の状態、SNSがそれにさらに拍車をかけていた」

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“いいね”とバニティ・メトリクス。

パリ政治学院教授で『SNSの支配からの脱出法』(3)の著書がある社会学者のドミニク・ブーリエも同意する。「相互承認に基づく小さなサークルはこれまでも存在しました。例えばティーンのグループなどです。しかし規模は小さかった。SNSはすべての人に15分間だけ有名人になる可能性を与えました。ヴァニティ・メトリクスと呼ばれる、“いいね”などの投稿記事の下に表示されるちょっとしたマークは、エンドルフィンを分泌させます。私たちは“鏡よ鏡”の時代に入ったのです」

しかし、評判や名声を求めて繰り広げられるこの熾烈な競争は、もちろん、現実生活よりオンライン生活への依存度を高めることにもなる。「所属サークルの変化に伴い、自尊心もネット上の反応に左右されるようになる。この現象はセレブの場合、より顕著です。キャリア構築に貢献することもあれば崩壊させることもあるデジタル世界での評判は、セレブにとってビジネスの行方を決定するポイントのひとつですから」と社会学者のブーリエは付け加える。

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アルゴリズムの圧制。

しかし依存の根が別のところにある場合もある。例えば、大きな影響力を持つ社会のまなざしがそうだ。「人気投稿に載ることはほとんど社会的標識のひとつとなっている」と解説するのは、SNS専門広告代理店We Are Social戦略ディレクターのジャン=バティスト・ブルジョワだ。「アルゴリズムが駆動する新しい形の圧制です」

フランス人が1日にSNSに費やす時間は平均1時間46分。この数字は増加傾向にある。かつてインスタグラムでは、フィードを一通り見るとすぐにそれを知らせるメッセージが表示された。現在は利用者がフォローしていないコンテンツをプッシュしたり、利用者がさらにスクロールしたくなるよう、アルゴリズムに変更が加えられている。アルゴリズムは好みや行動に合わせて利用者の好奇心を刺激したり、あるいは逆に、扇情的な動画のワオ効果のような意表を突いた手段を用いることもある。「利用者の自由裁量を否定することはないものの、プラットフォームやOSの責任者は過剰消費とその負の影響に加担している。SNSの発展に伴い、人々は気づかないうちにSNSを濫用するように仕向けられている」とブルジョワは分析する。

TikTokユーザーは月に平均19.6時間プラットフォームを利用している(フランス国内ユーザーの平均利用時間は21時間)。「ウォッチタイムと呼ばれる、利用者のプラットフォーム滞在時間が価値を決める基準になります。TikTokが急激に発展し、誰もが遅れを取らないよう必死です。ソーシャルメディアという経験が全体的なものになったのはそのためです。気晴らしする、最新情報を追う、ショッピングをする、検索エンジンにアクセスする……何でも可能なのです」

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虚しい幸福。

We are Socialのブルジョワによると、グーグルはアプリケーションの「検索」タブの力を危惧しているという。いまの若者たちがまず最初にクリックするのはこのボタンだ。グーグルの利用率が今年0.8%低下したことは、トレンド転換の兆候を明確に示している。

スマートフォンに関しては、文字通り物神と化した。最ものめり込んでいる人たちにはノモフォビアの症状さえ見られる。これはスマホがない状態、あるいは使えない状況を恐れることを意味する言葉だ。「公共交通機関の利用客を観察してみて下さい。彼らは宙を見つめていたかと思うと、突如、考えることを避けるためにスマホを取り出す。SNSには強い娯楽性があります。利用者は自分自身と向き合うことを回避しているのです」と心理学者のストラは解読する。「しかしSNSが売るのは虚しい幸福観であり、自分自身に過剰に高い要求をして、他者との比較に耐えられなくなった人たちの精神状態をおかしくすることもある。逆に、現実の生活である種の充実感を得ている人たちは、SNSの押し付けを割にうまく切り抜けています」

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社会的プレッシャー。

心が壊れないためには、自嘲も救いとなる。へイター(悪意のある人たち)の格好の標的であるスターたちにとっては特に。「たとえばユーモアのあるピエール・ニネはSNSの使い方が賢く、最大限に攻撃をかわしています。理想のイメージを茶化すような自虐的言動で必要な距離を保っている。ただ、誰もがこうした能力を持っているわけではありません」と心理学者のストラはコメントする。

ちょっとでもミスを犯そうものなら、たちまちコミュニティが大炎上するのは言うまでもない。「SNSには判断を下し、立場を取ることを強く促す社会集団としての作用があります」と社会学者のブリエは付け加える。「学校でスケープゴートになるだけでもつらいことですが、ネットワークには増幅効果があり、SNSでそうした状況に陥ることは誰にとっても耐え難い苦痛です」

昨年、「ウォール・ストリート・ジャーナル」はメタ(フェイスブックとインスタグラムを所有する巨大ウェブ企業)の内部調査資料を入手した。インスタグラムがティーンエージャーの精神的健康に与える被害についてまとめたこの調査によると、32%がインスタグラムによって自分のコンプレックスが悪化したと回答し、6%がSNSを自殺願望の原因に挙げている。過度の社会的プレッシャー、完璧さのイメージの氾濫、孤立。必ずしもこうしたものと闘うための道具を持っているわけではないが、若者たちの方がSNSの危険性を徐々に意識しているようだ。

フランスでは、ソーシャルメディアの過剰使用を懸念したり、スマホを不安を生む原因と考える16~18歳の若者は、国民の平均に比べて1.7倍多い。「デジタルの存在しない生活を経験した世代でも、これまでに失ったものを考えて苦しむ場合はあります」とブーリエは説明する。「若い世代にも用心している人たちもいます。しかし総体的には、シニアは抵抗力があり、依存症になりにくい。SNSを身近な人たちとのコミュニケーションツールや家族アルバムの共有手段として活用しているからです。自己評価を高めたり、人と比較するための道具としてではなく」

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デジタルデトックス。

悪影響がメリットを上回ってしまったときは、どんな解決法があるのだろう? デジタルバカンスを取る? ROMO(Relief of Missing Out:何かを見逃がすことからの解放)の達人になる? これはFOMOの対極。すなわち、情報肥満と闘うためにネットの利用を控え、不安の原因となるニュースを見ないよう呼びかけるものだ。

こうした形で利用者が離れて行くのを防ぐため、皮肉(かつ狡猾)にも見えるが、プラットフォーム側も防御策を講じている。今年7月、TikTokは「視聴時間制限モード」を導入した。利用者自身があらかじめ決めた視聴時間を超えてサービスを利用するのを防ぐことが目的だ。アンドロイドもこれに同調している。「もちろんこの決定にはご都合主義的なところがあります」とブルジョワは説明する。「しかし、バブルが崩壊しないよう、そして利用者に飽きられないよう警戒し、自分たちの商品を保護するひとつの方法でもあるのです」

デジタルデトックスの大家となったいまも、ツイッターに17万5000人のフォロワーを抱えるギー・ビレンバウムはシンプルな対策を紹介する。通知機能をオフにすることだ。「基本中の基本ですが、これですべてが変わる」。友人同士で食事をしている最中にはスマホは出さない。夜は早めに電源を切る。「電話に出なければ、ツイッターをチェックしようという考えが起きないから」。悪意のあるコメントは読まない。手書きをする。そしてとりわけ集中力を取り戻すために本を読む。「長期的なレベルでは、イメージ読解力を鍛える本格的な訓練同様、デジタルとの付き合い方を教えることも必要だと思います。子どもたちが直面している状況に社会は対処しきれていません」

ストラは家庭単位でのスクリーンの共有をすすめている。「自分が面白いと思った動画を身近な人に見せることで、イメージをめぐって会話が生まれたり、社会的絆を再創造することにもなります。しかし、次のことを覚えておいてほしい。デジタル生活の方が楽しいと感じるのは、その人にとって現実が苦痛だからということです。この段階で、心理セラピストに相談し、治療を始めるべきです。携帯電話をオフにしても、アカウントを削除しても、問題の解決にはなりません」

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より少なく、よりよく。

デジタルデトックスを実践した後、スターたちは結局SNSに復帰している。しかしリスクを身をもって経験した彼らの行動には変化が見られる。リアーナビヨンセは仕事上のニュースについてのみコメントを発し、公的生活と私生活、デジタル生活と現実の生活を分けている。SNSに復帰したトム・ホランドも、いまはごくたまにしか投稿しない。「ネット中毒の経験から学んだ人もいます。たとえ完全に無視することはできないと自覚しても、何を共有したらいいかきちんと選択できるようになっている。アルバムの発売や映画の公開など、何らかのイベントがあるときだけ。そうすることで一般の人々の意識やメディアにアピールする時間を得ているわけです」。つまり、享受するのはいいが、ほどほどに、というわけだ。

(1)Michael Stora著『Réseaux (a)sociau』Larousse出版刊。
(2)Guy Birenbaum著『Vous m’avez manqué.  Histoire d’une dépression française』Les Arènes出版刊。
(3)Dominique Boullier著『Comment sortir de l’emprise des réseaux sociaux』Le Passeur出版刊

text: Marilyne Letertre (madame.lefigaro.fr)

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