現代はSNS上で「身体がエロス化」する時代? ヌードはなぜ議論の的になるのか。

Society & Business 2023.07.01

SNS上で身体がエロス化する時代に、ごく普通のヌードがなぜ問題になるのだろうか。哲学者や芸術家たちによる考察。

 

Instagram@joanapreissofficial

やわ肌の身体、メリハリのあるボディライン、体つき......裸体にはありとあらゆる想いが投影される。そして同時に永遠に決着のつかない論争の種にもなる。メキシコの画家、フリーダ・カーロが女友だちの画家ジョージア・オキーフに宛てた手紙の中に、冗談めかしたこんな一節がある。「服のなかを見透かすような視線は好き?」と。女性解放運動の闘士として知られ、自ら何度もヌードになったフリーダのこの言葉は、社会やアートにおけるヌードの役割への疑問をまさに言いあてている。問題なのは裸の身体なのだろうか。それとも、そこに向けられた貪欲な視線なのだろうか。近年、欧米では相反する2つの潮流が社会的なパラドックスを生みだしている。一方ではピューリタニズムの復権に伴い、(主に女性を対象として)慎み深さを求め、欲望をそそる身体の部位を隠すことが奨励される。他方では個人や発想の自由、芸術の名の下に、女性の肉体を美化してエロス化する傾向が強まっている。

---fadeinpager---

自由で不完全な身体

今年ニューヨークで開催されたメットガラ2023は、カール・ラガーフェルドに敬意を表し、コルセットや透けるネイキッドドレスのオンパレードとなった。カイリー・ジェンナージジ・ハディッド、アシュリー・パーク、歌手のビリー・アイリッシュらが、女らしい姿を惜しげもなくさらした。それよりも少し前のこと、女性のトップレス画像がネットにあふれた。フランス系カナダ人の歌手兼モデルのシャルロット・カルダンをはじめとして、世界中の何千人もの女性インスタグラマーがSNSのルールを破り、検閲で削除されるまでの間、乳首の芸術的な画像を投稿したのだった。2004年のスーパーボウルで歌手のジャネット・ジャクソンの胸がはだけてしまった“ニップルゲート”事件がきっかけで始まった“フリーザニップル(乳首解放)”運動は、女性の乳首だけが検閲対象になっていることに抗議するもの。今回もハッシュタグ#FreeTheNippleがネット上であっという間に拡散した。

裸体であれ、なにかをまとった姿であれ、アートや映画、ファッション、広告のなかで身体には各時代の美的基準が反映される。同時に提示されるのは永遠に答えの見つからない問いだ。すなわち、ヌードはどんなときに許されるのか。誰の前だったらヌードになっていいのか。「訳がわからないことだらけ。わかっているのはヌードをみてドキドキするということ。イノシシが土を掘り起こすように、ヌードはタブーを掘り起こす」と、若きナチュリスト(ヌーディスト)哲学者のマルゴ・カッサンは新刊『Vivre nu(原題訳:裸で生きる)』(グラッセ刊)の中で述べている。文化的・社会的帰属を示す宝石や衣服よりもヌードにこだわることを彼女は提唱している。

---fadeinpager---

マルゴの子ども時代の楽しい記憶の中で、本人はほとんど服を着ていない。少女の頃、ナチュリストの叔母や叔父とたくさんの時間を過ごし、「裸で暮らし、音楽を演奏する」ふたりに憧れた。マルゴの本は読者をナチュリストの世界へいざなってくれる。20世紀初頭、アナーキストによる自由なコミュニティに端を発したヌーディスト運動は、ヒッピー時代のユートピアを経て、少女のマルゴにとって思い出深いファミリーヴァカンス村、そして開放的な南仏のルヴァン島などのナチュリストリゾートに発展した。

一方、ナチュリストのコミュニティは安全な場所だ。規範となるロールモデルが存在しないため、身体、さらにはジェンダー間の多様性が平滑化されるからだ。

マルゴ・カッサン

マルゴによれば、子どもたちを裸のままビーチで遊ばせないという最近の風潮は、子どもたちを危険から守るための真の防衛策にはならない。危ないのはSNS上での無遠慮な視線だ。「プライバシーは絶えず侵害されている。30年前なら、ビーチでトップレスになっても、いつのまにか他人の携帯で盗撮される心配も、その後どこかのサイトでさらされる危険もなかった」とマルゴは言う。氾濫する画像はそれが永遠にネット上に残る恐怖心をあおり、結果として裸になることをためらう人が増える。

「一方、ナチュリストのコミュニティは安全な場所だ。規範となるロールモデルが存在せず、身体間、さらにはジェンダー間の多様性が平滑化されるからだ。そこにあるのは映画や広告、SNSでは決して目にすることのない自由で不完全な身体なのだ」とマルゴは言う。肉体へのこだわりが強いのに、飾らなくては自らの肉体をさらけだせない現代人にとって、ヌードはどんな意味を持つのかとマルゴは問いかける。著作の中でヌードを権利の形で取りあげたのは、人々がヌードを「いけないこと、欲望の原因、あるいはSNSで陰部を見せるような犯罪行為」とみなしていることに気づいたからだとマルゴは語った。

---fadeinpager---

トレンドが変わった

SNSで身体は偏在するものの、そのリアル感は薄れる一方だ。ヌードそのものを表さずに暗示する画像も増えている。具体的には、半分に切った果物を股にはさんだ女性(歌手ロザリアのジャケット写真)といった類の画像だ。社会学者のエルザ・ゴダールは「今、ヌード表現は深刻な問題を抱えている。世界中のどの国もアメリカのピューリタニズム的思想に影響され、こうした表現が忌避されるようになっている。1970年代にヌードはありふれたものだった。今日、ヌードをさらすことはずっと面倒なことになっている。その一方で望んでもいないポルノ画像が勝手にまん延している」と言う。

プライベートは露出過多

エルザ・ゴダール

エルザはこれを「仮面の社会」と評する。「プライベートは露出過多。若い人たちが、自分の抱える問題や疑問をポッドキャストやSNS、Netflixの番組でオープンに語るのを耳にする。その一方で、矛盾するようだが画像には補正フィルターを使い、みせたくない部分を隠している」と。トレンドが変われば求められるものも変わる。フランスのランジェリーブランド、オーバドゥは1990年代、顔のない女体の写真を使った広告で有名になった。今日、そのような広告は受け入れられないだろう。「あれは男性が欲望を向ける性的な対象と女体をみなした広告だった。今日、ヌードを見せるための新ルールが必要なことは確かだが、ヌードを排除すればいいわけでもない。過度な道徳心による禁止が問題なのは、それに対抗する過激な反応が起きることだ。女性が恥ずかしい存在であるかのようにヌードを隠すことは女性にとって何の解決にもならない」とエルザは語った。

---fadeinpager---

ピューリタニズムと過度のセクシュアリゼーションは対になっていることが多い。身体を隠してタブーを増やせば増やすほど、その背後にエロティックな意図が見え隠れする。ファッションの世界でも問題は複雑だ。イギリスのトップモデルでパフォーマーのビアンカ・オブライエンは、キャリアアップしたいモデルにとってヌードがある種の義務となっていた時代のことを覚えている。ビアンカが若くしてモデル業をスタートさせた1990年代、プレッシャーは常に存在した。

「現在ではカメラの後ろにも女性が増えて、異なる視点から撮ってくれるようになり、女性モデルを見る人々の目も変わってきた。でも20年前は、ファッション写真の8割は男性フォトグラファーが撮っていた。そして彼らはモデルの服を全部脱がせる説得術に長けていた。モデルの多くがプレッシャーを感じながらやり過ごしていた」とビアンカは言う。当時はケイト・モスがファッションアイコンだった。そしてケイト・モスもヌードになっていた。「“超クールなケイトがヌードに納得している。どうして君にできない?”というような説得をされた。でも結局は彼女もヌードを強要されたこと、それがトラウマになっていることをのちに認めている」とビアンカは語り、自分がヌードになったのは何年も経ってからだったと付け加えた。

---fadeinpager---

ヌードは自分を解放する素晴らしい手段

ビアンカ・オブライエン

「私が一緒に仕事をするのはアートとファッションの境界線上にいるフォトグラファー、たとえばヌードとその社会的意味を探求する非凡なユルゲン・テラーや、絵画のように美しいヌード写真を撮ってくれたジェローム・セッシーニなど。ヌードは自分を解放する素晴らしい手段で、おかげで自分の体で嫌いだった部分を受けいれることができるようになった」とビアンカ。

ヌードは魂を映しだす鏡でもある。マン・レイやカルティエ=ブレッソン、ヘルムート・ニュートン、ロバート・メイプルソープ、最近ではシンディ・シャーマンやヴァネッサ・ビークロフトら巨匠もヌードを撮っている。とらえどころのない魅力のミューズ、シャーロット・ランプリングを毛皮と下着だけの姿でユルゲン・テラーが捉えた写真は永遠の名作だ。シャーロットによれば「画像というものには時に、精神分析のような治癒効果がある。わいせつさはヌードを付随的に必要としているだけで、ヌード自体に淫らさは一切ない」そうだ。今日のアート系フォトグラファーの一部にとっては裸体そのものが政治的な意味を持ち、これを通じて発するメッセージが人々の視点へ教育的効果をもたらす。

---fadeinpager---

ユニークな視点

そうしたフォトグラファーのひとりがパリの才能ある若手写真家、マルグリット・ボーンハウザーだ。最近、ベルギーのフェミニスト集団「Hanami 40 +」と共同で、40歳以上の女性のヌードというユニークな視点からの素晴らしいポートレート・シリーズを制作した。「こうしたヌードを撮る人は少ない。みんな心配だからだ。年を重ねた体の美しさへの理解が欠けていると思う。古臭い理想像の規範に縛られたままの人が多いのは、想像力が欠如しているから。でもヌード写真に味わいと官能性をもたらすのは不完全さ。私の他の企画同様、柔らかな光を当てることで距離感を作りだし、脱いでも生々しくならないようにした」と写真家は語った。

 

 

---fadeinpager---

実際、今日のアートシーンでヌードの存在感は決して小さくない。たとえばカルティエ財団でのロン・ミュエク展では、卑猥なまでに巨大な体や痩せた体をハイパーリアリズム彫刻で表現している。ピノー財団のブルス・ドゥ・コメルス現代美術館でのチャールズ・レイ展では、古代ギリシャ彫刻から着想した作品が並ぶ。「ヌードが不在ということはない。性質が変化しただけだ」と言うのは美術史家でパレ・ド・トーキョー館長やパリ国立美術学校校長を歴任後、展覧会キュレーターとなったジャン・ド・ロワジーだ。「今日、アートシーンや社会で目にするヌードは、欲望の迷路に私たちを引き込むものではない。むしろギリシャの彫像の普遍性を知らしめ、イギリスのアーティスト、トレイシー・エミンの作品のように襲われた苦しみを表現している」とジャン・ド・ロワジーは語る。

彼によればアートにおけるヌードは、もはや人間に働く官能的な相互作用を表すものではなくなっている。「極めてリアルな身体が実存的な苦しみや権利主張の苦しみに囚われている。たとえばミリアム・カーンのヌードは、糾弾するためのものだ」とジャン・ド・ロワジーは言うと、つまり、愛の女神ヴィーナスは武装解除されてしまったのだとつけ加えた。16世紀のフィレンツェの画家、「ブロンズィーノの作品“愛の勝利の寓意”では神々が愛の神エロスによって人間の情念が掻き立てられるさまを見学し、楽しんでいる。今日、こうした主題がアートで取り上げることはなく、人間らしい温かみや複雑さがやや失われている」

---fadeinpager---

フォトグラファー、ユルゲン・テラー:“ヌードは自然体”

「自分のことはアートフォトグラファーともファッションフォトグラファーとも思っていません。作品を制作するフォトグラファーと思っています。(トップモデルの)マルゴシア(・ベラ)のヌードをジークムント・フロイトのソファで撮ったとき、私は彼女と一緒に魂の震える瞬間を探求したいと思いました。この手の仕事は互いの完全な信頼関係や共感が必要です。私はあまりヌードを撮りません。しかし、45歳のクリステン・マクメナミー、60代のヴィヴィアン・ウエストウッドやシャーロット・ランプリングのヌードは撮りました。彼女たちの写真を撮り、時には自分も一緒に楽しく写ったのは強い友情の絆で結ばれているからです。深い理解で互いに繋がれた瞬間でした、彼女たちのことは尊敬しています。ドイツ人である私にとって、ヌードは自然体です。セルフポートレイトを撮りはじめた時、なんらかの服装と紐づけされたくないと思いました。ヌードのおかげでより直接的な表現ができるようになったのです。生まれる時も素の自分もこの姿です。肉体の形や色が好きです。写真を撮るたびに自問自答します。“どうやったらもっと良く撮れるだろう”と。それには純粋に、正直になることです。私が好きなのはこうして自分を解放したときに自ずと生まれる甘美さなのです」

ユルゲン・テラーは作品集『Donkey Man and Other Stories』(Rizzoli社)を出している。

---fadeinpager---

パフォーマー、アーティストのジョアナ・プライス:「ヌードはなんらかの物語と結びついたときに完全な意味をもつ」

「裸の身体はすべからく、困惑や感動、興味をかきたてるものです。ヌードには感動があります。大切なのはどんな眼差しで見つめるかです。ナン・ゴールディンが私のヌードを撮影したとき、私たちは互いを知ろうとしていました。ヌードは同意や真実を意味します。ユルゲン・テラーが魂をとらえるなら、ナン・ゴールディンは身体表現やジェスチャー、人生のかけらをとらえます。今日、ありきたりで時には下品なヌード画像がインターネットにあふれているのに、芸術的なヌードへの検閲がますます厳しくなっているのはなぜなのか、不思議に思います。私はパフォーマーであり、身体は私の基本ツールの一つです。ヌードは演劇であれ写真、映画、絵画であれ、なんらかの物語と結びついたときに完全な意味をもちます。アートにおけるヌードはなんらかの言葉を纏っているのです」

text: Paola Genone (madame.lefigaro.fr)

Share:
  • Twitter
  • Facebook
  • Pinterest

石井ゆかり2025年
ベストコスメ
パリシティガイド
Figaromarche
Business with Attitude
フィガロワインクラブ
BRAND SPECIAL
Ranking
Find More Stories