【BWA AWARD 2023】新たな選択肢を創り出す、 女性たちの物語。 「好き」を仕事にすることで見えた、伝統の奥深さを追求する楽しさ。
Society & Business 2023.11.20
「美しく豊かな働き方」を実践する次世代の女性ロールモデルを讃えるフィガロジャポンBusiness with Attitude(BWA)Award。3回目となる本年のテーマは「新しい選択肢を創り出す女性たち」。既存の選択肢にとらわれず、新たな価値観を切り拓き、これからの働き方をより豊かにしてくれる5人の取り組みを紹介します。
橘さつき
【 橘流寄席文字書家 】
「ずっと悩みっぱなしですが、あらためてこの道を選んでよかったと感じています」
寄席文字職人の橘さつきはそう話す。寄席文字とは寄席の看板や、高座に上がる芸人の名前を書いた「めくり」に用いられる独特の太い文字のこと。落語の世界では、江戸の情緒をかき立てる重要な演出のひとつだ。
四角形の枠いっぱいに文字を配した寄席文字。縁起を担ぎ、隙間は最小限に、右肩上がりになるように書くのが特徴。穂先の短い日本画の隈取筆にたっぷりと墨をつけ、鉛筆を持つように寝かせながら大胆に筆を走らせる。
印刷会社に就職して間もない16年前、友人と観に行った演芸イベントがきっかけで落語にハマったさつき。ある時、寄席文字の体験教室に参加して、その存在を知ったという。「寄席文字のことはよく知りませんでしたが、落語が好きだったことと、小学生の頃から書道を続けていたせいか、なんとなく親近感はありました」
その後、荒川区が伝統工芸技術の後継者育成のために主催している「荒川の匠育成事業」の存在をテレビ番組で知り、応募する。
「会社に就職して3年目の時期で、何かもの足りなさを感じていたんです。幼い頃から夢に向かって働く自分の姿を思い描いていましたが、現実は思いどおりにいかなくて......。どうしたら自分の理想に近づけるのかを、ずっと探っていたんです。本気で取り組めることに出合いたいと思っていたタイミングだったので、迷わず応募しました。仕事になるかならないかは後から考えればいい、と」
見習い期間は3年から6年。月6万円の補助金が出たが、これで生計を立てるのは難しい。勤務先には辞める覚悟で報告したところ、働きながら続けてもいいと許可が下りた。
「理解のある会社でいまも週3日、会社に勤務しながら寄席文字の活動を続けています」
最初は楽しくて始めた修業だったが、1年後、大きな壁にぶち当たる。
「"楽しい"のその先になかなか進まない。師匠に言われたとおりに書いているのにポイントがわからない。何がいけないのかがわからず、負のループに陥ってしまいました」
寄席文字のルーツは、江戸時代に寄席のビラ(チラシ)に書かれた文字だが、寄席の軒数が減少すると職人も消滅してしまった。現在私たちが目にする寄席文字を確立したのは橘右近(たちばなうこん)(1903〜1995年)。ビラ字の技術を独学で習得し、いまに続く寄席文字を体系立てた人物だ。橘さつきは右近の弟子である橘右橘(たちばなうきつ)を師匠とする。
「師匠がよく実際に目にした右近師匠の仕事ぶりを話してくれますが、文字に勢いがあって、とにかく格好よかったそうです。そんなカリスマ的存在に憧れ、橘右近の名前を盛り上げたいと集まった橘流一門は、右近が表現した感性を追いかけているんです」
師匠である橘右橘と。最初に体験した寄席文字教室で講師を担当してくれた右橘が数年後、修業先で師となった。「橘さつき」の名前は師匠が考えてくれた。
寄席文字についての予備知識もほとんどないままに入門したさつきは、もがき苦しんだ当時を振り返る。
「書けなくなると、どんどん自分を責めてしまって、精神的に追い詰められた時期も。でも、ここでやめたら一生引きずることになる。気持ちを上げられるのはほかの誰でもなく、自分自身しかいない。そう覚悟を決めてから少しずつ変わっていきましたね」
仕事と修業を両立しながら、なんとか時間をコントロールし、ようやく気持ちの整理がついてきたのは弟子入り4年目。7年目には晴れて「橘さつき」を名乗ることを許され、プロとして活動を始めた。歌舞伎に用いる勘亭流文字も修得し、千社札に用いる江戸文字の鍛錬にも励む。さらに四谷・穏の座の「Otonami」の体験教室やカルチャーセンターで寄席文字を教える。趣味の域を超えて仕事にすることを選択したさつきにとって、寄席文字は尽きることのない魅力にあふれているという。
さつきの作品。寄席文字、勘亭流文字、江戸文字と用途に応じて字体も変化する。独特のデザインには江戸の粋な文化が息づいている。
「趣味は自分が楽しんで満足すればよいですが、仕事にするということは、社会と繋がること。当然責任も生まれますが、追求しようと思えるし、尽きない楽しさも感じます。それこそが生きがいと呼べるんじゃないかな、と」
仕事の一環となると、それまで純粋に楽しんでいた演芸の世界との距離感も変わる。他人に教えることで、文字には無限の可能性があることにも気が付いた。
「文字の奥には伝統と感性が息づいています。寄席文字を伝えることは、技術の背後にある江戸の人々の感性を知り、いまを生きる私たちの感性を磨くことだと思っています」
書家一本で生計を立てるのはまだ難しい、とさつきは言う。パソコンで文字を出力できる時代、伝統の世界でできることはなんだろうか? いまも自問自答の日々は続く。
荒川区と姉妹都市のオーストリア・ウィーンで開かれた職人展で寄席文字を披露したことも。「何が書いてあるかわからなくても、白と黒のコントラストや余白など、寄席文字の美しさは外国人にも伝わる」と実感したという。
「ほかの職人と同じである必要はないと思うんです。私だからできる活動を通じて、この世界の魅力をより多くの人に伝えたい」
置かれた時代や環境は、必ずしもベストではないかもしれないが、そこで精一杯花を咲かせたい、そう言いながら笑顔を見せた。
Judges' Comments
社会から求められる意義や利益のような評価軸から自由なところで、自分の感覚や衝動を追求しクリエイティビティを発揮する──それが長期的に大きな社会的インパクトに繋がると思う。
日本の「文字」に魅せられ、自ら発信し創作する姿はエナジーにあふれている。日本文化そのものの再評価へ繋がる期待感もあり、次世代の「職人」のあり方を導いてくれるような気がする。
乗るか反るかのいままでの働き方にとらわれず、自分がよいと思った伝統工芸を、新しいスタイルで未来に繋げようとする姿が印象的。キャリアや世界の広がりを感じさせてくれる生き方。
photography: Yuka Uesawa text: Junko Kubodera