18世紀前には存在しない?! 歴史から見る女の友情。

Society & Business 2024.02.25

歴史家のオーレリー・プレヴォストは著作『L'amitié en France au XVIe et XVIIe siècles, histoire d'un sentiment(16世紀と17世紀のフランスにおける友情とは。ある感情の歴史)』(1)で、友情について考察している。

実は、女の友情に関する文献が登場したのは18世紀になってから。それまでは男性の友情に関する文献しかなかったという。フランス「マダム・フィガロ」が歴史家のプレヴォストに、女の友情についてインタビューした。

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オーレリー・プレヴォストの著作は友情の記憶についての考察。photography: pixdeluxe / Getty Images

----(マダム・フィガロ)17世紀における女の友情の研究をする際、どんなところが大変なのでしょうか?

(オーレリー・プレヴォスト)感情を研究するための主な資料は、日記、回想録、旅行記、文学なのですが、私が女の友情について研究を始めた時、これらの資料を研究対象から除外せざるをえませんでした。友情について述べられている文献はすべて男性の手によるもので、男性だけが正当な書き手だったからです。

そこで、発想の転換で、戯曲のような間接的な資料を用いました。そこに女友だちとして描かれている登場人物がいるかをチェックしてみたのです。すると17世紀の作品では、女性は話の聞き役や隣人として登場しても、女友だちとして登場することはありませんでした。女友だちという言葉自体、ほとんど出てこないのです。

当時の私的文書のうち、女性の友情に言及している唯一の文献は、アイザック・ド・デュモン・ド・ボスタケという、フランスのプロテスタント貴族の回想録です。この貴族はフランスでのプロテスタント信仰が認められたナントの勅令が廃止されたため、フランスから亡命することになりました。その際に泊めてくれた相手が、自分の妻や娘の女友だちらだったことを回想録に綴っています。そこに否定的なニュアンスは一切含まれていません。それは彼がプロテスタントだったからだろうか、それとも亡命者という立場だったからだろうか、あるいはそういう人柄だったのだろうか......真相は不明ですが、当時としては極めて珍しく、注目に値します。

----女の友情という概念そのものが存在してなかった、ということでしょうか?

むしろ目に止まらなかったと言うべきでしょう。友情を示すための場を女性たちが持ち合わせていなかったのです。学校も、高等教育機関も、飲みの場も、美味しい食事をとる場もすべて男性が独占していた。16世紀の哲学者、モンテーニュが法官の同僚のラ・ボエシと育んだ美しい友情を当時の女性が大っぴらに育むことなどありえません。

モンテーニュは晩年、マリー・ド・グルネという女性と文通しますが、最初モンテーニュが気乗りしなかったのは彼女が女性だったから。しかも当時の社会において異性間の友情は禁止されていた。男女を別々にしておきたい教会にとって、異性間の友情など混乱の元だったからです。

燃えるような恋に現代人は憧れますが、17世紀にはそれは疎まれた。友だちのような夫婦が良いとされたのです。情熱は危険なものとみなされ、そんな感情は持たない、良き友であり物分かりの良い、穏やかな関係の夫婦が良しとされたのです。

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----18世紀に転機が訪れた。それはなぜ?

17世紀の男性は女性を蔑視していました。すなわち、女性はゴシップ好きで、気まぐれで、不完全で、男性より劣っているとみなしていた。当時の男性にとって友情は社会的な繋がりであり、自分の地位を確立し、庇護者を得るためのものでした。そして女性は家の中にいればいいと思われていたのです。

18世紀に入り、友情を築くのにも言葉が重要になってきました。仲間同士で意見を交わし、相手の言うことに耳を傾け、感情を表現するなど、男性も言葉を介して関係を築くようになったのです。おしゃべりはもはや女性の特権ではない。男性だって喋るのだ!とね。

----庶民階級の女性たちについての文献は残っていないのでは?

確かに、知識階級は主に書簡を通じて友情を育み、時代を超越してきました。一方、ロレーヌ地方の田舎の村に住む女性たちがほかの女性たちと友情を育む場といえば、洗い場や畑。彼女たちが打ち明け話をしなかったわけではありません。それは共同作業をしている時や、夜に繕い物をしたり刺繍したりしている間にされていたのかもしれない。

----現代のデジタル社会の友情の記憶を、未来の歴史家はどのように見るでしょう?

SNSでのセルフィーや写真は残っていくでしょう。しかし、プライベートな会話はどれだけ残るだでしょうか? 結局は今日も17世紀と変わらず、普通の人たちが交わした会話は消えてしまい、残るのはテレビドラマや文学なのかもしれません。児童向けも含めて。

児童文学は社会の変化を表します。たとえば親しい同性の友だちと気軽に出かけるお母さんの姿が当たり前になることもあるでしょう。

ひとつ確かなことは、未来の歴史家も知恵を絞って資料を探すことになるだろうということです。たとえば入院時の同意書を書くのが夫とは限らず、女友だちだったりすることから読み解かなくてはならないでしょう。

(1) Aurélie Prévostは歴史学の博士号を持ち、ロレーヌ大学歴史研究センター準会員である。『L'amitié en France au XVIe et XVIIe siècles, histoire d'un sentiment16世紀と17世紀のフランスにおける友情とは。ある感情の歴史)』(Presse universitaire de Louvain刊)

text : Delphine Bauer (madame.lefigaro.fr)

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