Culture 連載
イイ本、アリマス。
生きることを丸ごと愛した人・佐野洋子の遺作
『死ぬ気まんまん』
イイ本、アリマス。
![9784334976484[1].jpg](https://madamefigaro.jp/column/9784334976484%5B1%5D.jpg)
『死ぬ気まんまん』。すごいタイトルである。
これが遺作なのだから、とても佐野洋子さんらしいなあと思う。
2010年の11月5日、絵本『100万回生きた猫』や数々の名エッセイで知られる佐野洋子さんが乳がんで亡くなった。72歳だった。
780万部のロングセラーとなったあの絵本について、後年、こんなエピソードを明かしている。
<ゆるやかに崩壊していった家庭を営みながら、私は1冊の絵本を創った。一匹の猫が一匹のめす猫にめぐり逢い子を産みやがて死ぬというただそれだけの物語だった。『100万回生きた猫』というただそれだけの物語が、私の絵本の中でめずらしくよく売れた絵本であったことは、人間がただそれだけのことを素朴にのぞんでいるということなのかと思わされ、何より私がただそれだけのことを願っていることの表れだった様な気がする>(『私はそうは思わない』)
『100万回生きた猫』を上梓したのは1977年のこと。80年に離婚。
詩人の谷川俊太郎と再婚するが、再び離婚。
晩年は北軽井沢に居を構え、老いた母親を引き取り、しばらくは一緒に暮らした。
当時のことは2004年に小林秀雄賞を受賞したエッセイ『神も仏もありませぬ』や自伝的作品『シズコさん』に詳しい。『シズコさん』は母親をずっと愛せずにきた娘の告白だ。長い葛藤と後悔が、母の老いに直面して、ふいうちの和解に代わる。
佐野洋子という人は、つくづくと「愛したかった」人なのだと思う。
だからこそ、どこまでもまっすぐに、余計な手加減はせず、人と接したのではないか。
誰かと深くかかわること。それはきっと誰にとっても、思うにまかせない一大事業な のだ。人は、愛しては失い、また愛しては失いを繰り返す。あるいは生きていくこと自 体が、ただ「愛したい」という願いごとなのかも知れない。
『死ぬ気まんまん』というタイトルは「かあさん、なんだか死ぬ気まんまんだね」という息子さんの言葉からとられている。
この時、佐野さんは68歳。余命2年の告知を受け、自宅療養していた。
病院で告知されたその足で、ブリティッシュグリーンのジャガーを買いにいく。もう長くないなら老後のための貯金をとっておく必要もない。ジャガーは生涯愛煙家だった佐野さんの貴重な喫煙室にもなった。『佐野洋子対談集 人生のきほん』で自宅を訪れたリリー・フランキーは、ボンネットが鳥の糞まみれになっているジャガーと対面している。そもそも、ものに執着がない人なのだ。ジャガーを買ったのは景気づけ。どかんと欲を出すことで残された人生を「生きよう」とした。
エッセイに登場する「ニコニコ堂」は長嶋有の父親で、国分寺で古道具屋を営む長嶋康郎氏のこと。モモちゃんやトト子さん、これまでのエッセイでおなじみの人たちも出てくる。死を前にして佐野さんの言葉も、まなざしもどんどん澄んでいく。それでいて、ちっともしめっぽくないのである。
<私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ。
ガリガリに痩せて、現場で死ぬなら本望という人も大嫌いである>。
だとしても、それを実践できる人がどれだけいるだろう。
<ああ、あきた、死ぬの、待つのもあきた>と佐野さんは書く。
抗がん剤でツルッパゲになった自分の頭の形がいいことを発見して<一生嘘をつかなかった人はこんな形の心を持っているのだろうか>という。<今度生まれたら「バカな美人」になりたい>というのにも、笑った。どういうわけか佐野さんは自分の顔が嫌いでこの種の発言を散々繰り返してきたが、この期に及んでまだ言うかと嬉しく、せつなかった。もし最後に1曲かけるならジュリーの「決めてやる今夜」にしてもらいたいというのもいい。生きている限りは続いていく毎日を、痛いものは痛い、美しいものは美しいと、あがきながら、いとおしみながら、生きた。こんなふうに余計な虚飾をさらにひとつひとつ手放すように生きられたら、そして死ねたら、どんなにいいか。
これは想像だけれど、佐野さんは「そういう人だった」のではなくて、心と体の全部 を使って、それを成し遂げたのだと思う。
誤解を恐れずに言えば、この本には、死とさしで向き合っているような怖さがある。本当は怖いかも知れないことを、こんなにもすっぱりとありのままの筆致で描くことができる人をほかに知らない。
表題作のほか、築地神経科クリニックの平井辰夫理事長との対談と佐野さん自身による「黄金の谷のホスピスで考えたこと」、そして関川夏央の寄稿「旅先の人 佐野洋子の思い出」も収録されている(関川さんによれば、佐野さんのつくるサムゲタンは抜群に美味しかったらしい)。
対談の中で佐野さんは「本当に元気で死にたいんですよ」と語っている。
元気で死にたい、矛盾するこの言葉の底知れぬ健やかさに打たれる。
死は、佐野さんにとって子供の頃から身近にあるものだった。
戦後、家族で大連から引き揚げてきた時、たくさんの死を目の当たりにしたし、帰国してすぐ、生まれて間もない弟を亡くした。一心同体のように仲のよかった兄も11歳で死んだ(このお兄さんがとても絵が上手だったことが、佐野さんの絵本作家としての原点になっている)。長く生きることは、そのぶん、たくさんの死を見送ることでもある。そうして自分の番が来た。
「小説宝石」で連載されていた『死ぬ気まんまん』は中断され、ついに再開されることなく終わったが、未完というより「さよなら」と手を振って消えてゆくような結末に、読者の一人として「ありがとうございました」という想いで胸がいっぱいになる。心がしなびてしまいそうになった時、佐野さんの本には、いつもたっぷりと水をもらった。読む度に「あなたさあ、かっこつけてどうするの! 生きるって、どうあがいたって、かっこ悪いもんよ。だから面白いんじゃない」と発破をかけられた気がした。
自分の目で見て、触れて、腹の底から湧きあがってくるものを感じてこその人生。
『死ぬ気まんまん』は生きることを丸ごと愛した人・佐野洋子の見事な遺作である。
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