ゲラン専属調香師が語るフレグランスへの想いと、ベチバーの新境地。
Beauty 2025.10.22
厳選された希少な素材を使用し、芸術品のように崇高な物語を紡ぐゲラン最高峰のフレグランスコレクション、ラール エ ラ マティエール。この秋、新作ベチバー フォーヴを携え、専属調香師&フレグランス クリエイション ディレクターのデルフィーヌ・ジェルクが初来日した。彼女のキャリアから創作の背景まで、深く広く話を聞いた。
デルフィーヌ・ジェルク Delphine Jelk
ゲラン専属調香師&フレグランス クリエイション ディレクター
スイスで生まれ育ち、パリのESMODでデザインとファッションを学ぶ。その後グラース インスティチュート オブ パフューマリー(GIP)で調香のトレーニングをスタート。ニューヨークのマスターパフューマーのアシスタントを経て、2014年よりゲランの調香師に。2021年には、フランスの芸術文化勲章「シュバリエ」を受勲。
ー ユニークな経歴ですね。パリのエスモードでファッションの勉強をしていたあなたが、どんな経緯で調香師に?
そもそもファッションは好きでしたが、デザイナーを目指していたわけではなく、パリに行きたいと夢見ていて、ファッションデザインを理由にパリに行った、という経緯です。卒業制作で男性用のホームウエアコレクションを創る時に、色や素材、香りまでリンクしたプロジェクトを考え、スイスの香料会社に協力をお願いしたのが、香りとの出合い。それをきっかけに、ファッションからコンセプトを作って香りをクリエイトする楽しみに目覚め、南仏にある調香師スクールに通うことにしました。調香師になるのは簡単ではなく、卒業後はニューヨークのマスターパフューマーに弟子入りして、修行。そのときにご縁があり、ゲランのラ プティット ローヴ ノワールの制作に携わりました。
ー 2012年に誕生した、"リトルブラックドレス"という意味のフレグランスですね。ゲランにとっては、エポックメイキング的な作品です。
本当にあの時の自分には夢みたいな展開で。ゲランといえば世界一のメゾン。それもファッションメゾンではなくて、正真正銘のビューティーメゾンです。でも、ゲランの香りは、なんとなく母親や祖母世代のイメージがあったのも事実です。自分の世代のものが抜けている、とは感じていました。それを創る過程でヒントになったのが、ソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』。その中でマリー・アントワネットが女友だちと一緒にマカロンをつまむというシーンにインスピレーションを得て、ローズにダークチェリーやアーモンドを組み合わせた、ロマンティックな反面、神秘性もある香りになりました。このフレグランスが若い世代に大ヒットしたのも、私にとっては魔法のような、おとぎ話の続きのような......。ファッションとビューティが融合した"ラ プティット ローヴ ノワール"という名前の香水を創ることにも、不思議な縁を感じました。
ー いまも、香りとファッションのリンクを感じていますか?
もちろん。私はビジュアルからモノを考えるタイプの人間なので、フレグランスを作る時もデザイナーのように色や素材も含めて視覚的要素を大事にしています。大好きなファッションのトレンドも意識しながら。だから、ムードボードを作って世界観をはっきりとイメージし、ファッションデザイナーが洋服を作るのと同じようなプロセスでフレグランスを創作。まっさらな状態から、ビジュアル的な感覚も使いながらひとつひとつ構築していく作業がとても好きで、自分の居場所を見つけた!という気分を味わえます。私にとって、ファッションもビューティもフレグランスも垣根がなく、一本の線で繋がっているんです。
デルフィーヌが手がけた香りのムードボード。
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ー ラール エ ラ マティエール コレクションでは、大人気のペッシュ ミラージュに続いて、新作ベチバー フォーヴを手がけました。そのインスピレーションを教えてください。
1959年にメンズフレグランスの「ベチバー」を発表したゲランにとって、ベチバーは大切な香料で、とても大きな存在です。だから、まったく新しいものにするのではなく、歴史的名香とのリンクも必ず残しつつ、違う魅力も表現したい。そこがチャレンジングな部分でした。ご存知のように、ベチバーは砂っぽい土地に育つ植物の根っこで、温かみがあると同時に、グレープフルーツのようなフレッシュ感も併せ持つ香りです。ラール エ ラ マティエール コレクションにはいくつかコンセプトがあり、アートとフレグランスの共鳴だけでなく、"コントラスト"や"サプライズ"も大事にしています。今回のベチバー フォーヴは、土から下の根っこと、地面の上に出ている青々とした葉のコントラストを横から同時に見ているようなイメージで香りを組み立てました。ウッディでドライなスモーキーな部分と、イチジクやパイナップルのジューシーなフレッシュさの鮮やかなコントラストで、サプライズを起こします。インスピレーションソースは、熱帯のジャングル。クリエイティブのプロセスには、最初から最後までずっと、小説『ジャングル・ブック』の音、色、湿度が、私の頭の中にありました。
ラール エ ラ マティエール ベチバー フォーヴ 100ml ¥50,270/ゲラン
ー 歴史あるメゾンの中で、デルフィーヌさんが使命と感じていること、今後やりたいことは何でしょう。
1828年創業のゲランは、現在までに1200もの香水を世に送り出し、そのうちの150作はいまも販売されています。私がゲランに入った時のミッションは、最初から自分の中でクリアでした。もしかしたら本能的に、もともと私の中にゲランとのコネクションがあったのかな?と思うくらいです。調香師としての私がやるべきことは、ゲランが継承してきたものを再解釈して、さらに革新を加えて新しいものを創造すること。と同時に、ゲランの歴史をリスペクトしつつ、それを守っていくことだと思っています。伝統的なフレグランスを長く愛用してくれている皆さんのために尽くすというのも、調香師としての大きな仕事のひとつなんです。実は、現存する150の香水の中には材料が手に入らなくなったり、規制で香料が使えなくなったりしているものも。そういうことが起きた場合、別の素材を使って新しい方程式で同じ香りを再現しなくてはなりません。それは決して簡単ではないのですが、お客様が20年、30年、愛用してきた香りが変わる、という悲劇が起こらないよう、努力をしています。
ー 歴史と伝統あるメゾンの調香師ならではの苦労ですね。
ある意味ゲームのように正解を探さなければならず、ヤキモキする作業だし、なかなか大変。それでもやはりゲランのフレグランスは素晴らしいんです。ゲランにはゲルリナーデと呼ばれる6つの香り、ローズ、ベルガモット、ジャスミン、ヴァニラ、アイリス、トンカビーンがあります。これらシグネチャーとなる香料は、何十年も変わらずに繊細なプロセスを経て、唯一無二のフォーミュラで作られている最高峰のクオリティ。まさにゲランのDNAです。このシグネチャーを使えるからこそ、可能性に制限なく、美しい香りを自由に紡ぐことができる。ゲルリナーデは、私にとって道標的な"レッドスレッド(英語で赤い糸)"なんです。
芸術からインスピレーションを受け創作される、ゲラン最高峰フレグランス コレクション「ラール エ ラ マティエール」と、ゲランに伝わる香りの印「ゲルリナーデ」を紐解く香りのコレクション「ラール エ ラ マティエール エクストレ」。
ー 初来日となった今回は、念願だった京都にも足を伸ばしたとか。
ええ。銀閣寺では、庭園の美しさはもちろん、丹念に整えられた砂紋や中島に込められた哲学的な意味に深い感銘を受けました。また「あらゆるものに神が宿る」という考え方に象徴される思いやりの精神、そして静寂に包まれた時の流れも心を打つものです。光雲寺では座禅も体験。心を鎮めることは容易ではなかったものの、"呼吸を意識することの大切さ"に深く共鳴しました。特に印象的だったのは、伝統に根ざした世界で生きながらも、現代的なマインドセットを持ち、日々誇りと規律をもって取り組むその姿。ゲランのヘリテージを受け継ぎながら、モダニティを吹き込もうとする私自身のビジョンとの間に、多くの共鳴点を見いだしました。さらに、女性たちの着物の箪笥に忍ばせている香り袋の、繊細で詩的な香りも感動的。優雅で洗練された所作に加えて、その芳香は創造意欲を刺激するインスピレーションになりました。
ー 最後に、日本のフレグランスラバーたちにメッセージを。
来日前、日本の香水文化はまだ花開いたばかりと聞いていましたが、実際には想像以上に成熟していて、香りが生活に深く根づいている、と感じました。日本では、クリーンでフレッシュな香りを中心に、ウードのような深く重厚な香りの魅力も広まりつつあります。こうした香りの多様性を、もっと多くの方に知っていただきたいです。
interview & text:Eri Kataoka