ル・ファヴォリと、ドリーミン・マン。
とても親しい友人が、先週、空へ旅立った。
旅立ちの前日まで連絡を取っていたから、ずっとふわふわした感じで、さして涙も出ず、時折、脚が震えて止まらなくなることがあるくらいで、1週間が過ぎた。
今週の火曜日の朝、財務局からメールが届いた。
そのメールを開いて、思わず笑った。
「すごいな。めちゃめちゃ現実だな、これ」
taxe d’habitation(住民税)の請求書だった。
毎年11月に住民税の支払いがあるのだ。
ずっと雨が降ったり止んだりの空模様だったのに、この朝は青空だった。
ゆいちゃんのプリンが食べたいな、とふと思った。
レピュブリック広場近くにある、コーヒーショップ「ドリーミン・マン(Dreamin Man)」のプリン。
松崎裕衣さんが作っている。
エッフェル塔を眺めに行こうかとか、セーヌ川沿いをちょっとお散歩しようかとか、大好きなパフェを食べに出かけようかとか、いろいろ考えてもどれもいまいちしっくりこなかった中で、ゆいちゃんのプリンの佇まいを思い浮かべたら、「あ〜あのお皿の前に座りたいなぁ。食べたいなぁ」と思った。
暗黙の了解のうちに心の痛みを共有する近しい人たちとだけ連絡を取っていた1週間で、連絡を取っていない友人たちの思いやりを深く感じることがあった。
旅立った彼と私が仲がよかったと知る、でも彼とはそこまで直接交流のなかった私の周りの人たちは、見事に、私に「大丈夫?」と声をかけてこなかった。
そのことに、心から、感謝した。
きっと心配しているだろう、と思う何人かがいた。
でも、「心配しないで、大丈夫だから」と表面的に装って、伝えることはせず、甘えることにした。
連絡のないその振る舞いが、私に警戒心を抱かせることなく、少し経って気持ちが落ち着いたら「ごはん行こ〜!」って連絡しよう、という気にさせた。
それを受け止めて「うん! 行こう行こ〜」って応えてくれるのだろうと思えた。
言葉がないことで強く感じた思いやりに、本当に、ほんとうに、ありがとう、という気持ちでいっぱいだった。
だから、誰に会うかもわからない場所へも、出かける気になったのだと思う。
プリンを思ったら、卵つながりで、「ル・ファヴォリ」のスクランブルエッグ入りのサンドイッチも食べたい気がした。
半分に切ってくれるから、お腹いっぱいになったら半分は持ち帰ることにして、そのままプリンとコーヒーを楽しみに行こう。
「ル・ファヴォリ」と「ドリーミン・マン」は歩いて10分ほどの距離だ。
最近のインスタグラムの投稿で、ランチタイムには行列ができることを見ていたから、ピークの時間を過ぎた頃に着くように家を出た。
私はもともと、甘味のない、塩気だけのスクランブルエッグが好きではないのだが、ル・ファヴォリのサンドイッチを食べて、ちょっと見方が変わったのだ(詳しくは、こちらで語っています)。
行くと、新たな人員が加わり、ヴァカンス前よりスタッフの人数が増えていた。
目当てのハムと熟成チェダーチーズに、スクランブルエッグを挟んだ「Le Spécial」を注文。
甘味のあるパンと具の塩気の塩梅がいい。
そしてこの店はいつでも、スタッフのみんなが、感じがいい。
サンドイッチを食べ終えて、「ドリーミン・マン」へ。
ちょうど着いたばかりらしい4人組がいて、小さな店の入り口は詰まっていた。
小さくて、席もそれほどなくて、いつも埋まっているのに、いかにも“待っています”という感じのお客さんが、この店にはいないなぁと思う。
とてもスローな動きのパズルのように、店内のどこかしらの席が空いたら、外で立って喋っていた誰かしらがそこに座って、その間に誰かが注文していたコーヒーが出来上がって外に運ばれて、とゆるやかに循環していて、そのひとつひとつに含まれる時間を、心地よく感じる。
外にひとつ空いている椅子があったから、とりあえずそこに座った。
店主に「プリンまだある?」と聞くと、残念ながらすでに売り切れだった。
じゃあ、と、デザート代わりにラテを頼むことにした。
ラテが運ばれてきたタイミングで、店内のベンチに座っていた人たちが帰った。
それで店内に移動した。
この店で過ごすひと時が日常に組み込まれているなじみ客たちが訪れては去っていく、その流れを見ているだけで、なんだか心が落ち着いた。
そして、ラテがとてもおいしかった。
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