
ナターレが来た。大切な人たちと共に祝った12月。
一年で特別忙しくて楽しい季節がやってきた。

カトリックの人が多いイタリアでは、12月8日「インマコラータ(無原罪の御宿りの日)」からナターレ(クリスマス)のお祝いが始まる。祝日のこの日には、イタリア中の家々でナターレの飾り付けが行われる。

私たちは仲良しのユリア一家と毎年恒例サン・ニコラをお祝いしてナターレをキックオフ。サン・ニコラはサンタクロースの原型で、12月5日から6日にかけての夜、子どもたちに贈り物を届けてくれる。イタリアでサン・ニコラをお祝いするところはほとんどないものの、ユリアの故郷ドイツなど北欧の方では一大イベント。ユリアとうちの子どもたちが小さい時から一緒にお祝いしてきて、一緒にお祝いするのが習慣に。それも少しずらして7日から祝日の8日にかけてお泊まりで。

前夜、ドアの外に靴を並べてサン・ニコラを待つ。本当は玄関の外に置くものだけれど、子どもたちは「家の中に呼び寄せて罠を仕掛けて捕まえよう」と企んだ。足跡をとるために粉砂糖を階段にまいたり、釣り糸を張り巡らせたり、ゴムでできた蛇をあちこちに置いたり。罠なのか嫌がらせなのか紙一重。うちの長女、次女はドアを入ったすぐ近くのソファーで寝る始末。

朝になり靴の中にプレゼントを見つけ、みんな大喜び。「あと何年一緒にお祝いできるかなぁ」と、毎年ユリアと顔を見合わせる。

8日に一緒にナターレのビスケットを作るのも習慣。

ドイツでは12月に入る前の週末に、お母さんたちがいろんな種類のビスケットをたくさん作り、12月に絶え間なくやってくるお客さんたちに出せるようにしておくのだそう。この日は二種類。アーモンドがたくさん入った方の生地は薄く焼いて、秋に作ったマルメロのジャムを挟んだ。

家中が香ばしく幸せな香りでいっぱいに。

そして一緒に緑の飾りを作る。ボローニャに住んでいた時はユリアとは近所だったのでしょっちゅう会っていたけれど、田舎に越してきてからはなかなかじっくり会えないので、こんな時にはとことんおしゃべり。

ちなみにうちのネコたち。ハシゴのツリーによく登っている。おかげで星はほとんどてっぺんに付いていたことはないし、よくいろんなものが落ちている。ため息が出るけどあまりに楽しそうなので笑ってしまう。
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ツリーの他に大なり小なりほとんどの家で飾られるプレゼーペ(イエス・キリストの誕生の様子を再現したジオラマ)。料理も工作もダンスだって得意のおばあちゃん、ジリオーラは、ロックダウンの期間に私たちの町のジオラマを作ってしまった。

それも一昔前の町で、商店街には昔の店の名前が入っている。公衆トイレやワイン樽の鶏小屋、洗濯物干しや、本当に水が流れている水車など芸が細かくて素晴らしい。

町の中央には教会と広場。手前には今でも健在のバール、ベンヴェヌーティ(オーナーの名字だけど「ようこそ」の意味)。

ジリオーラはドーナツにこの辺りのお菓子、ズッケリーニなど手作りおやつをたくさん用意していてくれた。料理もできる昔ながらの薪ストーブは、花模様のタイル貼りでとっても素敵。出張料理人もするジリオーラは、去年の夏、友だちの家で伝統的な揚げパン、クレシェンティーニを振る舞ってくれた。

この辺りのことはなんでも知っていて、昔うちに住んでいた人たちの逸話も聞かせてくれた。娘のミレーナは美大を出てから家具の修復を学んで、子どもができるまで町に修復のアトリエを構えていた。手を入れて欲しい家具がたくさんあるので、今度相談しようと思う。

ところで薪ストーブ、パオロの両親の山の家にあった40年ほど前のものを、うちの新しいキッチンに設置した。

少しの薪で料理ができ、部屋中があったかくなる素晴らしいストーブ。料理の火力鍋を置く場所で調整。思い出すのは「魔女の宅急便」の主人公キキが、こんな薪のストーブでホットケーキを作っていたこと。大好きなこの映画、末っ子のたえはまだ観ていないはず。冬休み中に一緒に見よう。

薪の火を使った料理は特別美味しい気がする。暖炉で目玉焼きを焼く時は、物語に入った気分。薪がはじける音。ちょろちょろ踊る火。芯からあたたまる炭の熱。鉄のフライパンで見る見る焼けていく目玉焼き。トーストの香ばしい香り。次は自分の番!とワクワクして待つ子どもたち。こんな些細なことに、何層もの経験が詰まっていて、ちょっとした魔法のひと時だ。
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冬景色に彩りを添える野生のローズヒップ。熟れた実は両手の指で優しく潰して絞り出てきた果肉を舐める。酸っぱくて、ビタミンCが凝縮されている。子どもたちは競って熟れた実を探す。

中にはたくさんタネがあって、それを覆うように細い毛が詰まっている。野生のローズヒップは別名「お尻チクチク」と言われ、細い毛は食べると大変なことに。一度ジャムを作ろうかと思ったけれど、ジャムを作るだけ大量のローズヒップからこの毛を取るのは相当の手間なので、手のひらいっぱいの量をハチミツに漬けて有効成分を抽出して使うように。

タネと毛を掃除したら水にさらして、暖炉脇で1日乾かす。

そして生姜、シナモンなどのスパイスにハチミツを加える。そして、紅茶に入れたり風邪っぽい時に小さじいっぱい舐めたり。こんなハチミツを使ったインフージョンも、うちの発酵、保存食品ラインナップのひとつ。

サワークラウト、赤タマネギの酢漬け、干し柿。どれもこの季節の常備品。今年はナターレの贈り物用としても用意した。贈り物は心がこもっていることがいちばん大事。そして、心に残るものになるようにしたいもの。

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6月にリミニのイベントで友だちに紹介されて知り合ったフェデリカ。ヘルシーなレシピがソーシャルメディアで人気になり、テレビやラジオでも活躍する彼女のことは、会った時はレシピ本を出したことしか知らなかった。見ず知らずのわたしにレシピ本を贈ってくれて、お返しは何にしようかと思っていたらもう12月。それで、思い立って小さなポートレイトを贈った。

とても喜んでくれて、1冊目の本の表紙になった服を着た写真を送ってくれた。

人は誰かから感謝された時、深い喜びを感じるもの。国境なき医師団でアフリカの村々で働いていた看護師の友だちや、ハンディキャップのある人たちの世話をする友だち、インドの貧困なエリアにボランティアに行っていた友だちの話を聞くと、彼らの背中を押す根底にあるものは、物理的な見返りではなく、感謝された時に魂レベルで感じる喜びだと思う。

ナターレの時期は慌ただしいけれど、みんなが大切な人たちと過ごしたいと思う特別な期間。ボローニャのお祝いの席に欠かせない詰め物パスタ、トルテッリーニは、ナターレの前の週末に家族や親戚の女性陣が集まって一日中お喋りしながら作るのが伝統。

今年は隣町の友だち、ジャーダと一緒にトルテッリーニ作りに挑んだ。生パスタは好きでよく作るけれど、トルテッリーニは2年ぶりというジャーダ。わたしはトルテッリーニ作りはこれで3度目。それぞれの家庭でレシピが少しずつ違うのも面白い。生地は100グラムの小麦粉に卵ひとつの割合。中身はジャーダはモルタデッラ、プロシュット・クルード、豚ロース、パルミジャーノ。一般的にはナツメグとバターを少々。

友だちの生パスタ工房で作った時は、一度にいくつも生地が切れる長いローラーを使っていたので、このシングルローラーを見てちょっと驚いた。ジャーダの家ではお母さんもおばあちゃんもこれで家族分のトルテッリーニを作っていたという。確かに、薄く伸ばした生地は急いで包まないと乾燥して割れてしまうので、少人数で作るにはこれでが適当なのだろう。

生地は玄人は綿棒で大きく薄く伸ばす。これがなかなか難しい。それで手動のパスタ伸ばし器が大活躍。料理好きの長女ゆまも久々の生パスタ作りに気合が入っていた。

トルテッリーニは「おへそ大」が理想の大きさ。多少不格好でも気のあう友だちとおしゃべりしながら作るトルテッリーニの味はきっと格別。

2時間強で1家族分しかできなかったので、この日作ったものはジャーダに譲った。ゆまは生地の一部で幅広のパスタ、タリアテッレを作って満足。
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ナターレのイブ。例年のように町のバール、ベンヴェヌーティでアペリティーボに。町の真ん中にあるこの教会も、向かって右側のベンヴェヌーティも、ジリオーラのプレゼーペに上手に再現されていた。

イブのディナーはボローニャ出身でパリに住んでいる建築家の友だち家族と。

うちの近所に家を買って、パオロがリノベーションを担当している。フランスは2カ月ごとに1週間の休みがあり、夏休みの後ハロウィンの頃の休み、そしてナターレの休みと度々パリから車を飛ばしてボローニャに帰ってくる。パリにいてもこの丘の上の360度自然に囲まれた景色を夢見るくらいで、リノベーションが完成したら越してくるかどうか迷っているそう。

イブには伝統的に肉は一切食べず、魚料理。エビや酢漬けのイワシなどのアンティパストに、ひよこ豆を潰してケイパー、レモン汁、マスタードと合わせたツナ風サラダ。ムール貝とアサリの酒蒸し。メインはカリッと焼き上げたタラにジャガイモやオリーブのトマト煮。

ドルチェには隣町の名門パン屋さん、カルツォラーリのパネットーネ。暖炉で温めてからサーブ。

ナターレの1週間前、カルツォラーリでは毎年恒例焼きたてパネットーネを連れて帰るイベントが。長期発酵で3日間かけて作られるパネットーネ。焼きたては大きな気泡が潰れないようにひっくり返して吊るされる。完全に冷めるまで吊るしておくのが決まり。

この焼きたてホカホカのパネットーネといったら、言葉を失う美味しさ。一緒にトルテッリーニを作ったジャーダはカルツォラーリのスタッフで、紙芝居舞台屋、知的障害者の教育者、アンティークショップのオーナーをしていたこともあり、実に多彩な人。イベントの夜は、友だちのミュージシャンのライブをバックにパネットーネの物語を自作の紙芝居舞台で上演。こんな演出の中、湯気の出るパネットーネを豪快にちぎって食べるのは、まるで天国の夕焼けの雲を食べているように贅沢だった。

ナターレの日。先日作りきれなかったトルテッリーニは、念のためにと友だちの生パスタ屋さんにオーダーしておいてよかった。

豆腐に甘く炒めたタマネギを合わせた滑らかなディップなどの野菜のアンティパストに、プリモは定番中の定番、トルテッリーニ・イン・ブロード(肉のブロスで茹でたトルテッリーニ)。

セコンドはブロードをとった茹で肉を緑のソースでいただくボッリートミストに、カルド(アザミ系でアーティチョークに似た風味。茎を食べる)のベシャメルオーブン焼き、バルサミコ風味の芽キャベツの蒸し焼き、カボチャと赤カブのオーブン焼き、二色のキャベツとざくろのサラダなど、メインで野菜料理を食べたい私は野菜ものを豊富に用意。いつもナターレを一緒に過ごす友だち夫婦もとても喜んでくれた。

ナターレのランチの直前、末っ子たえの歯が抜けた。念願の一本目が抜けて大喜び。なぜかというと、枕の下に置いて寝ると「歯の妖精か歯のネズミ」が来てコインを置いていってくれるから。

翌朝。枕の下にはちゃんとコインが。初めてのコイン、「妖精がきたのかな、それともネズミかな」とニコニコ。
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日本だと26日にはお正月モードになるのが印象的だけれど、イタリアではナターレの時期は1月6日のエピファニアまで続く。大晦日の31日はカポダンノ(一年の始まり)と言われ、お祝いのディナーを食べ、年越しパーティ。この時期ドアの外には神聖なパワーを持つと言われるヤドリギを飾る家も。この習慣はもともとケルトや北欧の神話からきているもので、キリスト教とは一切関係がない。パオロは少なくともボローニャでは習慣化していないという。私はヤドリギの生態も神話も好きで、ヤドリギをモチーフにシルバーのジュエリーを作っていたこともある。

近所の丘の上にあるオークにもヤドリギがある。ヤドリギは大地に根を張らず、落葉樹の枝や幹に寄生して生きている。それでも寄生された木が弱ることはない。

熟して黄色くなった実は、光を宿したかのように美しい。

カゾンチェッロの庭園のガブリエッラから贈られた手作りのお菓子には、庭園のリンゴの木に付いているヤドリギが。ヤドリギを贈るのは、愛と友情、魔除けと幸せを呼ぶ意味が込められていると教えてくれた。

カポダンノを一緒に過ごしたご近所さんのマリーナとニコーラの家にも、玄関にはヤドリギをあしらった飾りが。

カポダンノにはボローニャ界隈ではトルテッリーニが欠かせない。ここエミリア・ロマーニャ州、西側のロマーニャはリミニ県とマルケ州の間、サン・マリーノ共和国出身のマリーナたち。トルテッリーニも好きだけどロマーニャで食べられる帽子の形をしたカッペレッティがやっぱり懐かしい味だそう。

とはいえ家々で材料は微妙に違い、席をともにしたマリーナたちと同郷の友だち一家と詰め物の中身の違いの話に花が咲いていた。

セコンドには腸や豚の皮に詰め物をした大きなサラミの一種、コテキーノやザンポーネに、新年にお金をもたらしてくれるという意味で、レンズ豆、それにマッシュポテトを添えていただく。

深夜0時には、花火を上げてお祝い。小高い丘の上にあるサン・マリーノ共和国では、伝統で新年にはたくさん花火を上げるそうで、毎年年末にニコーラのお父さんと息子たちが花火を買いに行くのだとか。動物たちはびっくりするのでかわいそうだけど(たえも涙目になっていた)、花火の後すぐに静けさと満天の星が戻り、お騒がせしました、またゆっくり寝てね、ありがとう。と思った。

この一年、あっという間に過ぎ去った。基本的にやりたいことだけをやろうと決めて過ごした。人に無理に合わせたり、先の予定もほとんど立てなかった。困難なことや試練は、それを恐れて萎縮するのではなく、好奇心から新しい視点でナラティブを読むようにして、ポジティブなメッセージを得るように心がけた。すべてのことは自分のために、自分を通して起きている。自分以外のことは変えられない。でもすべては自分の有り様次第。これからも、毎日この意識を持って丁寧に過ごしたい。

可愛い家族も増えてますます賑やかになった我が家。何はともあれみんな元気に一年過ごせたことに感謝。そして、特別な今を一緒に生きている地球上のすべての人たちに、感謝とエールを送りたい。
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