タマリンドウの甘酸っぱい味と追憶の旅、ホーチミンへ。
マルグリット・デュラスの「モデラート・カンタービレ」を夢中になって読んでいた頃、ホーチミンはまだフランスの統治下時代のまま、サイゴンと呼ばれていた。当時、夫がサイゴン大学で教えていて、数ヶ月住んだことがある街。そんなノスタルジアから半世紀も経った今、「東洋のパリ」と呼ばれていた街に行ってみた。
ココナツ売りさんもアオザイでなく、今はジャージで。
相変わらず自転車や原付きバイクや車の喧騒が物凄い勢いで疾走している。だけど今は近代化の波も驚異的で、100階建てのビルが、以前はメコン川の対岸のマングローブの茂みだったところにできていて、その夜景は鮮やかな赤や黄色などの極彩色で、絢爛豪華な眺めに。手前にメコン川が流れているので、暗い川面に映って、なかなか見応えがある。
サイゴン川の対岸には極彩色のネオンが立ち並ぶ。
どの都市にいても日頃からほぼカフェの住人の私は、到着翌朝は早速「レジェンド」という地元の人も馴染みの店にいき、焙煎したばかりのこだわりのベトナム珈琲とやらを試してみた。フィルター付きなので、少しの間滴り落ちるのを待つ。
マイルドで、おいしい。練乳を入れてみると、結構気に入った味に。
ベトナムの珈琲の花の蜂蜜もおいしいですよ、と地元の人がいう。
珈琲の花?
白くていい香りですよ。ベトナム中部に畑があります。
珈琲の原産地のせいか、どうやらホーチミンは珈琲カルチャーが進んでいて、オーダーしてから焙煎したり、細かい気遣いが感じられた。日本にも結構いるようだ。(ベトナムコーヒーのファン)
ホーチミンの花嫁はロマンチック。映画「風と共に去りぬ」みたいな階段で記念撮影。
一昔前に私たちが住んでいたパリのオスマニアン風の建物がそのまま残っていて、なんだか感慨深かった。当時はベトナム戦争の渦中だったのだ。遠い記憶では、自宅はタマリンドウの並木道の通りにあった、と覚えていたが、図星間違っていなかったのでうれしくなる。
熱帯果実タマリンドウの実は、甘酸っぱくて、ペーストにして売っていて、カレーに入れたり、ジャムのようにしてパンに塗って食べるようだ。
古都フエの料理は、伝統の宮廷料理として今も大切に引き継がれている。今回こころも身体も癒されたのは、フエ出身のマダムの宮廷料理の店「クアン・リュオク」だった。フエ訛りの女性は、魅力的だといわれているそうで、京都みたいなのだろう。
ホーチミン市の都市計画などに携わっているクインチャンさんに連れて行ってもらったが、彼女は30年前から店に通っているというだけあって、メニューも豊富で、珍しいシジミに似た貝とか、牛肉のジュレとかで、テーブルが埋め尽くされた。
やはりベトナム人は赤が好き。
ホーチミンの西方にあるミトから蛍をみるクルーズに。途中見かけたちょっとアンニュイなミュージシャンたち。
やはりハイライトはホーチミンの西方にあるミトの町まで車で行き、そこから手漕ぎボートに乗って、マングローブのジャングルの静寂の中を分け入り、蛍を見にいくというクルーズのコースだった。黄昏時だったので、とても幻想的で、緩やかに水の音だけをききながら滑走していった。
帰国後行きつけの神宮前「しみじみおいしい」といわれる「ごはんやパロル」の若店主、海音子さんが、「年末ホーチミンに行くの」という。
えっ、私、今帰ってきたところ。
そんなわけで早速ベトナム夜話のおしゃべり会をすることに。その他にも雑誌関係や出版社の人たちが、丁度行こうと思ってる、ぜひ話をきかせて、という。
実は今夜も女友人たちと。この話題しばらく長引きそう。
そして実は私の中のノスタルジア・サイゴンを本にしたいと思っている今日この頃です。
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