【フィガロジャポン35周年企画】 1999年のフィガロジャポンはロマンティックムード♡ 歴史を作ったセレクトショップから豪華俳優まで総力特集!
Culture 2025.07.14
パリ生まれ東京育ちのスタイル誌『フィガロジャポン』は、2025年3月で創刊35周年。パリやパリに生きる人々の哲学から旅、ファッション、食、映画、そしてアートまでフィガロジャポンが発信してきた35年の歴史を編集長の森田聖美が当時の思い出に浸りながら、思い入れたっぷりに振り返ります。1999年に発売したすべての号をプレイバック!
1999年2月5日号(99年1月20日発売)150
メイクアップはムキになってしない、がおしゃれ。
ベストコスメ号。けれども表紙はメイクアップを削ぎ落している。これがモード誌の美容なのではないか、と感じる号でもある。美容ジャーナリストに個人賞を挙げてもらった。齋藤薫氏は徹底して絶対的に良質なブランドを選ぶ。もちろんアルビオン、サンローラン、ポーラなど。キレイの秘密はこういうセレクトにある。中特集で「トレンド予測」があった。これは未来に向けて鉄板企画に育つ特集の芽ばえだった......編集者たちにとっては地獄のように大変な企画となるのだが......。
1999年2月20日号(99年2月5日発売)151
ベストバイ、マストハブという所有の気分。
各都市で発表されるコレクションを受けて、買いたいものをリストアップし、トレンドを掴み、流行りものを買う。おしゃれがマネタイズされるまでの心理を追って、そこに向けてナンバリングしてマストバイを紹介していく物欲企画。メイクアップも市場ではなくコレクションを見据えて、そこから発信されるトレンドを完全キャッチしようとしていた。トレンドはトップダウン、そんな風潮に囚われてもいたし、それで十分、美しくておしゃれだったのだから。表紙のモデルの服は厚手のコットン。ソフィロソフィ ディ アルベルタ フェレッティが打ちだしたこのコットンロマンティックウエアは、フィガロ編集部でそうとう人気だった。
1999年3月5日号(99年2月20日発売)152
アントワープ派を深堀りします。
「モードを愛する人が集まる、アントワープの完全おしゃれガイド。」とは。ドリス・ヴァン・ノッテンやヴェロニク・ブランキーノ、A.F.ヴァンデボルスト、ステファン・シュナイダーに私的なおすすめアドレスを紹介してもらったり、なんともゴージャスなガイド。そして巻頭のファッション特集では、「ピュアで優しいガーリー、そんな春に恋しよう。」とある。ガーリーであることとおしゃれであることがイコールだったシーズンだ。コットンやストリング、パフスリーブにイノセントレース。少し前のシノワズリーブームの時とは異なるオーガニックな装飾。完全にトレンドがチェンジし始めた頃。
1999年3月20日号(99年3月5日発売)153
鉄板なのはデニムなのか、ミュウミュウなのか。
この表紙が大好きだ。ロゴのオレンジ、モデルが着ているデニム、肩に乗ったオウム。色彩があふれていて、脱力していて、しかも可愛い。スタイリングは岡尾美代子氏。ミュウミュウとズッカ、それぞれメンズとも一緒に着ようよ!というテーマだった。カラフルなシーズンで色別にコーディネートの提案をしたりと、ハピネスがあふれる号だった。ビューティではメンズフレグランスにフォーカス。この頃から、女性もメンズを纏ってハンサムウーマン、という概念が深く浸透してきた気がする。そして故・三宅菊子氏による女の視点シリーズでは、亡くなられた淀川長治先生について書かれていた。自分が表に出るのではなく、自分が愛する映画をサポートするエスプリで生き抜かれた映画愛の人だ。スデューディオスな生き方、というのを淀川先生から教わった。
1999年4月5日号(99年3月20日発売)154
注目セレクトショップ、ドレステリアが表紙。
東京おしゃれ全マップ。とうとう東京でも全マップをやろう、という話になって、なんとこの号では塚本香氏も東京のマップを作っていた気がする、自ら歩いて......。セレクトショップが元気で、個性のある書店がたくさん登場し始めて。ただし、多くが変化していて残っていない場所も多数ある。寂しいと感じつつも、時の流れには逆らえない。この人と仕事をしたい!と感じた当時ライジングな写真家は石田東氏。プラダのモードストーリーは最高に可愛かった。インタビューで、テオ・アンゲロプロスを故・和久本みさ子氏が執筆していたのも印象的。映画専門誌以外で、このような知的な映画人にアプローチしていた雑誌は少なかったと思う。
1999年4月20日号(99年4月5日発売)155
ジャーナリスト重視、そして今号でF・オゾン監督と出逢った。
各都市のファッションウィークでおしゃれスナップしていると、海外のジャーナリストに興味が沸く。彼女たちのお部屋までおじゃまする企画を実施した。また、海外ロケのモードストーリーで時折、スタイリストの白山晴久氏が活躍していて、そのページは本当に素晴らしく、今回はグッチであった。この号は心に残る筆者が手掛けた企画が2本。ひとつはじっくりホワイトニングを深堀りして紹介したもの。美白には内外両面からのアプローチが必要。美白成分に関してもすごく学んだ。そして、同い年であるフランス人映画監督フランソワ・オゾンと写真家・荒木経惟の対談を担当した。ふたりともすごく話がおもしろく、ノリノリな時間だった。エロスとロマンティックについて語られた記事だ。
1999年5月5日号(99年4月20日発売)156
ジャーナリスト推しが始まった段階でモデルの地位が......。
表紙のマギー・ライザーは以前も書いたが、デビューしたての時に話して親近感を勝手に抱いている。ユニークで独特のムードを持ったモデルだ。だが、今回の特集の主役たちはまたもやジャーナリストたち。そろそろモデルは「スーパークラス」から「服を上手に見せるふつうのモデルたち」へと変化し始めている兆し。毎号のように世界各地の旅スポットリストが入っているが、この号はニューヨークのショッピングガイド。ノリータのエリアに注目が集まっていた時期だ。美容は海外のアーティストコスメに着目、ルビー&ミリーとバイ・テリー。懐かしい。そしてメイクカットもめちゃくちゃ可愛かった。そして、いままさに再トレンドになっている『ブリジット・ジョーンズの日記』の著者ヘレン・Fの来日に密着。彼女自身に東京滞在日記を記してもらっていて、「ポケットティッシュの贈り物攻撃」の言葉に笑った!
1999年5月20日号(99年5月5日発売)157
ジル・サンダー女史来日に密着、ヴィンセン・ギャロもやってきた。
今号でうれしかったのは、自分が担当したファッション撮影がやっと表紙に選ばれたこと。当時は撮影を担当する編集者が多数いて、表紙に選ばれるには競争率が高かった。スタイリスト別提案の企画も当時から定番になり始めて、岡尾美代子氏のセレクトショップが好きな理由が「セレクトの内容ではなく空間です」と答えたのが印象的だったことをいまでも覚えている。モデルにはオランジーナを持たせたのであった。ジル・サンダーは当時憧れの的で、青山の店のオープンに合わせて来日。そしてヴィンセント・ギャロはめっちゃかっこよかった!
1999年6月5日号(99年5月20日発売)158
朝まで会社でベトナムの原稿を書いていた故・西村緑編集長。
東南アジアの雑貨に人々の注目が集まっていた時代。ベトナムへ出張して、後に編集長まで務めた故・西村緑氏は当時副編集長でもなく現場エディターであったか。打ち合わせスペースで夕方ごろからずっと原稿を執筆していて、翌朝出社したら同じ場所でまだ執筆中だったことも。アジアンリゾートも大人気ゆえ、綴じ込みパートではヒーリングホテルを紹介。美しいヴィラ、プライベートプールなど、いつか行きたい!と思わせるこれらのリゾートは、ヨーロッパの田舎町取材とは異なる魅力を放っていた。アルベール・エルバスがサンローランのデザイナーに就任したばかりでインタビュー。ニコラ・ジェスキエールもバレンシアガ就任直後だった。トム・フォードのインタビューまで掲載され、なんて豪華な......!
1999年6月20日号(99年6月5日発売)159
ニッポンはカタカナで。
ジャパンではなく、日本ではなく、ニッポンで行こう!となった号だ。表紙のモデルはゾラ・スター。塩顔で当時とても人気があった。彼女と湯布院に訪れたルポを合わせて。日本人デザイナーから古典芸能の若手イケメン(なんと団十郎と野村萬斎)、和菓子や日本酒まで、かなりてんこもりでニッポンの魅力を発信した。そしてカルチャー記事は追悼スタンリー・キューブリック監督。名作ばかりで、泣ける......。スキンケア特集で、「夏のスキンケア&ヘアケア、ベストウェイ!」というものを手掛けたが、そうとう苦労した記憶。しかしながら、スキンケアの企画は学びが多く、医学にも通じて本当におもしろかった。
1999年7月5日号(99年6月20日発売)160
カフェブームがやってきたぞ!
雑誌を見ていると世の中の流れがわかる。もちろん今号の巻頭特集は「5大都市トレンド徹底分析 秋のおしゃれ全リスト」。これはランウェイ写真と実際のマーケットの服を交互に見せて、流行りを先取りして物欲を刺激するためのテーマ。でも、それよりなにより、「東京のなごみカフェ57」にトレンドを感じた。この頃から、徐々にカフェというものへの人々の憧れが高まり、おしゃれ風味のカフェよりも、心地のいい、オーナー経営のカフェが流行り始めた。2025年のいまでも残っているところは半数くらいか? また、「パリで大人気のグリグリとは?」という特集では、現代のチャームブームの先駆け!? 小さなマスコットやぬいぐるみを指す"gris-gris"ブームをレポート。
1999年7月20日号(99年7月5日発売)161
なぜか不運が起きるのが......。
アムステルダムに行きたい!とこの特集を振り返って思った。非常にいきいきと完成した号で、カルチャーを作っている人たちにもアプローチ。当時フィガロジャポンに在籍していた牛島暁美氏が担当した特集だ。彼女は取材先で必ずハプニングが起きる。取材したホテルが後に火事になる、反日デモが渡航中に起きる、熱を出す......、取材対象が亡くなる、というのが今号で起きた。でも、撮影された街角の風景も、ショップ取材のカットも可愛い。取材力の確かな腕前。新世代ミレニアムの香りの美容記事や、秋冬小物特集も丁寧に作られていて、当時の見事な編集職人たちが手掛けた号、という雰囲気だ。
1999年8月5日号(99年7月20日発売)162
ハピネスあふれるモード写真たち。
今号のファッション写真にはハピネスがあふれている。「秋の買い物完璧プラン」も色彩もモデルの表情も元気。おしゃれをする喜びを訴えている内容だ。そして「BOYSカジュアル」の綴じ込みでは、当時大人気だったリヒトのプライベート密着や、いまや日本映画になくてはならない存在感の俳優 渋川清彦がKEEの名前でモデル活動していた時代のショッピングルポなど、いまとなっては懐かしいけれど時代がつかめる内容。カルチャー特集は、インタビューは故ヴィヴァン・ウエストウッド。かっこいい。そして北欧から興ったドグマというシネマムーブメントの旗手たちにフォーカス。
1999年8月20日号(99年8月5日発売)163
この時期にパリ、は取材する側からしたら正解。
ヨーロッパの5月~6月は本当に美しい。花や木々がいきいきとしていてクラシックな街並みに色彩が加えられる。だから、8月発売号用にその時期にパリ取材、は実は正解なのだ。トレンドエリアにオベルカンフが上がっている。そろそろボボの登場だ。ルイ・ヴィトンのプレス時代にカミーユ・ミチェリが私的パリ案内をしてくれていたり、実にユニーク。パリから行く海辺のヴァカンス地では、映画『ロシュフォールの恋人たち』のロシュフォールを取り上げていたり。アンティーク屋を好んで取材していた(いまもです)フィガロジャポンは、地方都市でも必ず1軒はブロカントなどが登場。当時、横浜で行われるフランス映画祭を弊誌は全面的にバックアップ。泊まり込みで取材をしていた。ジャック・ドワイヨン、クロード・ルルーシュ、ベルトラン・タベルニエ、クロード・ミレーユ、ギャスパー・ノエ、エリック・ゾンカ、そして、フランソワ・オゾン......。映画好きにはたまらないパラダイスだった。
1999年9月5日号(99年8月20日発売)164
アイルランド、行きたかったなあ。
クランベリーズやケルティック音楽が流行っていた頃、アイルランドに本当に行きたくて取材担当になった同期でもあり2016年から20年まで編集長だった上野留美氏が羨ましかった。当時は雑誌は本当に情報源として必要とされていて経費もふんだんにあった(かな?)ため、海外モード撮影がたくさんできた。今号でもアイルランドに限らず、多くの海外ロケの撮影があった。「秋いちばんのモダン・フォークロア」というファッション特集で、多くの日本人がこのようなスタイルに対して永遠定番として好き、というイメージがある。アイルランド特集とシンクロし、アランニットなどはこのシーズン、絶対マストハブのアイテムという印象付けができたのではないか?
1999年9月20日号(99年9月5日発売)165
ニットを買っておきたいシーズン。
このシーズンこそ、このアイテムを買っておくといい、というアイテムが生まれることがある。この時はニット。ずっとヘビロテになりいつまでも持っておけるものが見つかる時だった。今号のファッション特集では、キャメロン・ディアスとグウィネス・パルトロウのおしゃれを学ぼうというテーマがあっておもしろかった。ふたりとも、現在はハリウッド映画への出演はほとんどなく独自の道を歩んでいる。当時憧れのファッションアイコンだった。「おいしくて元気になる! 東京のアジアご飯。」綴じ込み特集では、第何次目かのエスニックブームだったのかと思う。ページをめくると、たくさん野菜が摂取できるメニューばかり。美容は「ミレニアムに向けて、美肌革命」。スキンケアの名品が並んだ。まだゲランにはイシマのラインがあった頃だ。
1999年10月5日号(99年9月20日発売)166
北欧インテリアがどんどん人気に。
いまは随分落ち着いたけれども、当時は北欧インテリアが大ブーム。フィガロジャポンもこの頃からたくさん北欧をデザイン、インテリアグッズ、旅先としてマークしてきた。今回は「スタイルのある部屋。」実例。それまではニューヨーク、ロンドン、パリ、ミラノだったのに、ヨーロッパ内でシフトしてきたワケだ。いまや有名人の写真家レスリー・キー氏もこの号あたりからたくさんファッション撮影を手掛けてくれるように。また、美容で綴じ込み特集を作り、「夏疲れ回復レシピ。」とうたっている。このあたりのネーミングは先輩編集者によるものですが、さすがだなあ、と思う。そしてニューヨーカーのデザイナー、アナ・スイの記事はたくさんフィガロジャポンに登場した。彼女が引っ越すたびに新しい住まいのルポも。懐かしいのは、レオス・カラックスの独占インタビュー。行われたのはいまはもう八重洲にはない映画美学校だ。佐藤友紀氏によるインタビューで、通訳の福崎氏の声があまりにもソフト、かつカラックスの声も小さすぎて、友紀氏だけが腹から声を出していたインタビューだったのが忘れられない。2025年6月19日、ユーロスペースや映画美学校を創設し、カラックス含む数々の映画人をサポートしてきた堀越謙三氏が他界した。彼のおかげで素晴らしい作品がたくさん作られ、そして日本でたくさん観られたのだ。映画好きとして、あらためで感謝したい。どうぞ安らかに。
1999年10月20日号(99年10月5日発売)167
国内出張にて毎晩クラブで飲んでいた......。
嗚呼、懐かしい! なぜかわからないが、前号のレオス・カラックスも担当し、今号の関西取材も筆者が担当した。5日発売号班と20日発売号班で分かれいるはずなのに......。もう記憶がないが。大阪・神戸のセレクトショップや古着ショップを巡りつつ、毎晩のように北新地のクラブに行っていた思い出。そこでは70年代のブラックミュージックが流れていた。余談です。デザイン家具を持っていることもおしゃれ人のステイタスだった時代、プロダクトデザイナーへのフォーカス記事も多かった。パリ、ロンドン、ロッテルダムなど東京デザイナーズウィークがスタートして3年目のこの年、何に注目すべきか知ることは人々の欲求でもあった。そして「チープコスメ」の特集も。
1999年11月5日号(99年10月20日発売)168
シネクイントがオープンした年。
渋谷はいまも昔も若者の街。そんな渋谷に新たに、ヒップでクールでファッションを感じる作品ばかりをセレクトして上映するような新映画館ができた。シネクイント。すぐ近くにはミニシアターの大先輩シネマライズがある。各ミニシアターの個性を紹介する企画は映画好きには好物だ。映画を作品紹介に留まらず、「動」的なものとしてどう付き合うかを総合的に紹介している特集。そしてこの後もフィガロジャポンが何度もトライする、映画作品からインスパイアされたモード撮影。今回は表紙にもなった『バッファロー'66』。クリスティーナ・リッチは当時、映画好きおしゃれマニアには大人気だったのだ。前号ではコスメのプチプライスだったが、今号はファッションでもカワイイ価格のブランドを紹介。2025年現在は、各メディアごとに、相応の価格感のものが掲載される細分化が進んでいてこういう特集はめっきりできなくなってしまった。
1999年11月20日号(99年11月5日発売)169
ヘア特集もずっと鉄板だった。
日本にはあまたのヘアサロンがあるせいか、髪型特集やサロン取材の記事は鉄板人気だった。当時からツィギーに通うフィガロジャポン編集者は多く、そこでとってもハードで個性的なヘアスタイルに変身させられるのだけれど、松浦オーナーが筆者には「もうヘアスタイル変えずに貫いたほうがいい、ここまで同じできたんだから」とアドバイスされ、いまでも守り抜いている。つい先シーズンがエスニックに舞い上がったが、今季のおしゃれは新トラッド。60年代を感じながらチェックのミニスカートやアーガイルニットを軽やかに纏うのは楽しかった。来年は2000年でキリがよい年、ということもあって、この年末には「ミレニアム限定品」特集まであった。やけにぬいぐるみ関係が多くてちょっと可愛いページになっていた。ピーター・ブルックと娘のイリーナ・ブルックの対談ページがあり、ピーターの言った『どんな時でも人は笑う。重病でもね』という言葉をずっと記憶の中で大事にしている。どんな辛い時でも、人は笑ったり、楽しんだりできる生き物だ。インタビューページを担当すると、「人」という生き物からなんて多くのことを得られるんだろう、と感激するシーンが多い。年末恒例、「元気の出る星占い」はイラストが本当に怖くて、それで元気が出るとタイトル付けするこの美しき矛盾がフィガロジャポンらしい、と、いまでも思う。
1999年12月5日号(99年11月20日発売)170
おしゃれスナップ×イラストの新トレンド。
やはりずっと同じ特集を続けているとなんとしても少し演出に変化を加えたくなる。ちょっと前からイラストを用いて目を遊ばせる手法が定番になってきた。あなたは何派?的なモードの気分別に紹介してみたり。でも、相変わらずジャーナリストフォーカスだし、ふるいに落とされたモデルたちの中で生き残ったおしゃれピープルを取り上げている。時計宝飾の綴じ込み企画も新製品をスタイルとタイプ別に並べて美しく撮りおろすことに徹底していた。現在は物語を持つ品々を求める傾向。買い物意識は90年代のラストとはまったく違うものになった2025年のいまがある。
1999年12月20日号(99年12月5日発売)171
流行予報の前日譚、「おしゃれ予想」。
ミレニアムの年のはやりものは何か? その予想をする特集。これは2010年代に絶対定番となった流行予報の前日譚だ。でも、プラダの辛子色のシャツに薄手のニットを重ね、膝丈のパープルのスカートに足元はアンクルストラップのヒール......いま見ても、なんて素敵なの!と叫びたくなる。マギー・ライザーが断然元気だった頃だ。「春まで着たい!デイリー・アイテム。」ファッションページは、横波修氏×白山晴久氏というゴールデンコンビ。あまり多くない組合わせかもしれないが、最高にハピネスが漂っている。ユニークなのは、エンニオ・モリコーネに故・黒田恭一氏がインタビューしていること。とても貴重な記事だ。
2000年1月5日・20日号(99年12月20日発売)172
ミレニアムを迎えるのは古代が残る都市で。
時の流れを感じる場所を、ミレニアム前夜~ミレニアムの瞬間を味わう空間として選びたい......ふむふむ、なかなかフィガロジャポンらしい選択かもしれない。永遠の都ローマにて、新しい100年の幕開けを味わう。いつもなら買い物アドレスが多いけれども、この時ばかりはヴァチカンをしっかり取材していた。名シェフの大晦日メニューなども! この時ばかりは世界中のどこでも、ミレニアムの記念品が売られていた。考えてみたら、もう1回ミレニアムを体感することはできないのだ。新世紀に向けてのキーパーソン特集もおもしろかった。若き日の隈研吾氏が挙げられていた。映画界の予想はけっこう当たっていなかったな。東京に一瞬だけセフォラが上陸した時期で、結局撤退になったが、大きく記事をつくった。