台湾ガチョウ料理の美味しさよ
まだ私がアメリカに留学中の十代の頃だ
サンゲーブリエルの飲茶店で冷製の鶏肉を友人と美味しく食べている時に、ガチョウはとても美味しいと私が口走った時のことだ
アメリカ人の友人が「ガチョウを食べるなんてひどい!」と大粒の涙をボロボロと流して泣き出した
私は思わず箸をテーブルに置いて手を留めた
今私達、鶏肉を食べているけど?
ガチョウを家族で飼育していた?
色々な疑問がどんどん湧いてきたが、ひどく嗚咽する彼女の気分を明るく変えるような話をして、別れ話で泣き出した彼女を慌てふためいて慰める彼氏状態になったことがあった
その後彼女の気分は明るくなり楽しそうに点心を食べていたが、面を食らった私は喉を通らなかった
その後も彼女に対してはガチョウの話題に触れることなく、次のセメスターでクラスも別々になり、そのうち私は日本に帰国した
二十代になってから、フランス人の友人にその話をしたら大笑いしていた
「アメリカ人は七面鳥もカンガルーも食べるじゃないか!」
阿城鵝肉の存分にスモークされたガチョウの肉は艶々としている
肉のどの部分を口に含んでも芳醇なスモークの香りが鼻腔を満たすし、
ガチョウの油と肉汁が滴って、唇の端からこぼれ落ちそうになるほどだ
噛めば噛むほど溢れ出す肉汁は、無限肉汁と名づけてもいいだろう
ざっくりと添えられた千切り生姜と一緒に食べれば、さっぱりとした風通しのいい後味にしてくれる
必ず一緒に注文するものが、龍の髭のような龍髭菜とさつまいもの葉っぱである地瓜葉の炒め物だ
若々しい青みが、全ての葉にしっかりとまとわりついた油によって、旨味に変化する
滑らかな舌触りで存分に楽しませてくれる
何度も書いているが、台湾の葉野菜の炒め物は芳醇たるそれなのだ
ガチョウの油を混ぜた鵝油拌飯のおいしさは、ほっとするような懐かしみもあるのに背徳感もある、心をぐらんぐらんに揺さぶる逸品だ
強烈にぶつけられた感情は豪速球で投げられたボールのように、懐に深く衝撃と傷を残す
その感情はいつしか形成された価値観というものから湧き出されたものだ
価値観は善し悪しで判断されるべきでなく、ああ、あなたはそうなのね、と一旦片隅に置いておく
幼かった私にはそれができず不用意に傷つけたのだろうか、と罪悪感だけが残っていた
それと同時に、私の価値観を、理由も聞かずに否定されたようで、ひどく傷ついたとも言える
若き日の苦い思い出は、かさぶたにしたまま大人になっていけばいい
「悪いが、阿城鵝肉のガチョウ肉は本当に美味しいんだ」ともう一切れ摘んで口に含み、もはや苦味のなくなったガチョウ肉の味に酔いしれている
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