
カサブランカのおうち
旅先には必ずその土地が舞台になっている本を携えて行くことにしているのだけれど、去年モロッコに行った時に選んだのがこちらの『カリファの家』。

『ロンドンからカサブランカに移住したイギリス人作家が、スラム街の真ん中に建つ古い邸宅を購入した経験を綴った』という要約に惹かれてページをめくり始めてみたら、作者のタヒール・シャー氏が育ったのは隣町のタンブリッジ・ウェルズだというではないですか。さっそく検索して彼にメッセージを送ってみたところ、すぐに返信が。
そこからはタヒールが幼少時代を過ごしたマナーハウスの話、彼も昔日本やニューヨークに住んでいた話で盛り上がり、最後には「カサブランカに来るのであれば是非遊びにおいで」と親切に声をかけてくださったのである。
そんなわけで私は幸運にも本の舞台となった実際の「カリファの家」を訪れて、文字通り本の中の世界に足を踏み入れるチャンスに恵まれたのでした。
そもそもこのカリファの家は「カサブランカ=白い家」の名前の起源になったと言われている邸宅。その昔、ポルトガルの船乗りたちが西アフリカ沿岸を航海するときに、この白い家を目印として舵を取っていたことに由来しているのだそう。時が経つにつれてこの呼び名は都市全体の名前として定着して、現在のカサブランカという都市名になったというのだから驚きである。生まれも育ちもがっつりカサブランカの親友ヤスミンもこのことは知らなかった様子。
そんな彼女の運転で邸宅に着いてみると二つの高級マンションに挟まれた場所に、時が止まったオアシスのような空間が佇んでいました。






タヒールが家族と一緒にロンドンからカサブランカに移住してきた20年前、スラム街だった場所にこの家を見つけて、交渉、購入、そして改装、増築した経緯には山あり谷あり笑いありのエピソードが満載。
待ちに待った鍵を手にして門を開け敷地に入ってみたら、数十年間この家に住み着いていた三人の番人たちが「おまけ」として付いてきた話、悪霊を追い払うために家の中で羊をいけにえにした儀式の話などなど。事実は小説よりも奇なり現象は、モロッコでは日常なのよね、と実感。
ゴージャスなサロンやリビングルームが続くおうちだけど、私が目を留めたのはこのカラフルなタイル張りの台所。

急に押しかけて来た私たちを歓迎してくれた、とってもフレンドリーで気さくなタヒール。お土産に持って行ったミンス・パイとクロテッドクリームに大喜びしてくれてめちゃくちゃチャーミングな人。
しかし本を読めば分かる、この家にまつわる数々の苦労、彼が捧げた膨大な時間と努力にはよく途中で匙を投げなかったものだと頭が下がる。このイギリスだって家の購入と改造は大変なのに、モロッコでそれをやり遂げたタヒール。長生きの秘訣の一つと言われる、例の「don't take youself too seriously」の精神なのであろう。


現在は急激に進む都市開発のど真ん中に凛として建つカリファの家、びっくりするくらい高額で立ち退きを求められているのだとか。ディスニーのあの映画みたいですが、それでもタヒールは、「この家はマジカルな場所。僕がずっと守り続けていくつもりです」と語ってくれたのでした。
次回イギリスに帰国の際には私の家に是非いらしてくださいませ。
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