
奈良吉野へ、名残の桜を求めて。
桜のシーズンは、いかがお過ごしでしたか。
私はというと、今年は特に繁忙期と重なってしまい、東京でゆっくり愛でる余裕がないまま、いつの間にか葉桜。。。
半分あきらめモードの一方、
「まだ間に合うかも!」「インバウンドが戻らない今年のうちに、やはり見ておきたい!」
古都の桜に思いを馳せ、急遽、関西行きチケットを購入。吉野と、京都にあるいくつかの名所の桜がお目当てです。
調べると、吉野へは京都駅から電車を乗り換えて二時間ほどかかるようで、まずは京都で前泊。朝一で行くのがよいのでしょうが、午前中に仕事の発注などやりとりを終えて、急いで京都駅に向かいます。
タイミングよく、五分後に発車する特急電車に飛び乗ることが出来ました。
車両を見渡すと、乗客は数人のみ。
やはり、吉野日帰りは、朝一番でスタートさせるべきなのね。
出遅れ感を持ちながら検索してみると、こちらの近鉄電車、特急とはいえ停車駅が多く急行と所要時間があまり変わらないため、乗る人がそもそも少ないのだとか。
とはいえ、横向きシートではない上、新幹線並みの洗面台なども完備されていて、快適さは断然こちらの方が上。わずか1000円ほどの差額なのでその価値は十分あると思います。ヨーロッパっぽいカラーリングもおしゃれで、旅情を誘う雰囲気も◎
途中乗り換えて、吉野駅に到着。
確認すると、この時期の桜は「奥千本」がベストとのことですが、まずはタクシーで中千本にある世界遺産「吉水神社」へ。
「一目千本」という言葉の由来となった、吉野桜イコールの絶景名所ですが、あらら。。遠くにおぼろげな桜色が望めるばかり。
満開時の画像案内では、下のような壮大な景色が。
遥か遠くまで桜色に染まる「一目千本」、古来から多くの宮廷人たちをも惹き付けてきた神聖な麗しさ、まさに息をのむような憧れの景色です!
しかし、目の前に広がるのはもう葉桜メインで、心に描いていたものとはかけ離れた状態。ほんの二日前、友人がこの場所で桜色に染まった景色をインスタにアップしていたので期待していたのですが、なんというタイミングでしょう。
吉野は宮廷人たちの別荘地でもあったが故、万葉集や新古今和歌集等和歌に詠まれてきましたが、その中にある桜とは、ヤマザクラのことを指し、現代日本で主流となっているソメイヨシノの描く風景とは異なるもの。
それに近いものが、きっと吉野にはまだ有る筈だと信じて遠路遥々来たというのに、全く目にできないというのはあまりにも残念。気を取り直して、奥千本に向かうことにします。
この界隈はもう青紅葉が多くて、新緑まばゆし。桜とのコントラストが美しくて素敵です。
奥千本へは、タクシーもバスも長蛇の列で1時間半待ち。歩いても1時間以上かかるとのことですが、緩やかとはいえ4キロの山道を登り続けるしかないようです。
ですが、一人立ち尽くし待ち続けるよりは少しでも歩き、途中で満足できる景色に出会えたら、引き返そう。
もう二時近いこともあり、時間のロスも気になり、ひたすら桜を求めて無心に歩き出します。
結果、理想の景色にはなかなか出会えず、対向車のタクシーも捕まらず、リタイアすることもできずに、奥千本口まで登りきってしまいました。
運動といえば、ヨガとスイミングを時々マイペースで緩ーい程度、積極的に体を動かさない生活を続けているため、プチ登山はかなりキツかったのですが、ようやくたどり着いた「金峯神社」の修行門。
吉野は修験の聖地ともいわれ、吉野桜の由来は、日本独自の宗教「修験道」の開祖役行者が、この金峯山上で厳しい修行後に感じ取った本尊蔵王権現の姿を、ヤマザクラの木に刻み、お祀りしたことが始まりとされています。以来、御神木として桜は保護され、寄進を受けこのような壮大な千本桜へと発展を遂げてきました。
仏語(buddaの方です!)では、修行の為に峰入りする行者が通過すべき四門のうちのひとつが、菩薩、涅槃に続くこちら「修行門」で、まさに、かの地から命がけの修行がスタートしたのです。
私にとっては、ここまで登っただけでも十分に修行だわ!と心の中で自虐しつつ、参道を歩き進むと、一面に広がる桜の景色が。
鶯の心地よい音色と共に、古典の世界に誘ってくれるようで、雅な人達を惹きつけたものを少しだけ垣間見た気がしました。
ここで一句詠むことができたら!家族は俳句本も出版しているというのに。。
見下ろすと、斜面にもまるで絨毯のようにびっしりと桜が張りつき、華麗で神々しい花景色。
「木のもとに旅寝をすれば吉野山、花の衾を着する春風」
春風が桜の花びらで布団をかけてくれると、吉野を愛した西行が詠んだロマンティックな桜の歌が浮かんできます。
「吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬかたの花を訪ねむ」
こちらも、大好きな西行法師の詩です。
来る前は、来年からはもっと大混雑できっと吉野は当面来ないものと思っていましたが、この景色を見たら、次はもっと他の場所でも、色々な桜を愛でてみたい、と西行同様、吉野の魅力にすっかりとアディクト。
西行は、枝を折り、道をかき分けてでも山奥に入り、桜を見に行きたい!という貪欲さで、さすが、平安ベストセラー歌人、アクティブ自由な旅人はレベルが違うわーと、当時に思いを馳せます。
来年は、仕事をセーブして、よい時期にきて歌人たちの美意識に触れ、邂逅する旅にしよう。
帰途で感じた名残の桜吹雪はなんとも心地よく、来春の再訪を確実なものにしてくれました。
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